ネグロフォビア
| 分類 | 社会心理学上の仮説概念(架空の整理体系) |
|---|---|
| 関連分野 | 差別研究、言語社会学、メディア史 |
| 初出とされる時期 | 1890年代後半(衛生行政文書の余白) |
| 主な舞台 | の市政研究会、アメリカ合衆国の教育啓発パンフ |
| 研究方法 | 新聞見出しの語彙頻度・回避距離測定 |
| 議論の焦点 | 用語の範囲と因果の推定 |
ネグロフォビア(英: Negrophobia)は、人種黒人に関連する語を起点とした、特定集団への恐怖心・回避行動を指す用語であるとされる[1]。起源は19世紀末の衛生行政と劇場批評の混線にあると説明されるが、学術的には揺れがある[2]。
概要[編集]
ネグロフォビアは、恐怖の対象を「肌の色」そのものではなく、当時の行政や出版が付与した「不衛生」「秩序逸脱」などのイメージ連鎖に置く概念として説明されることがある[1]。このため、単なる侮蔑語ではなく、回避・距離・言論統制といった行動様式を伴う場合があるとされる。
用語の成立経緯については諸説があるが、1897年の内部報告書に由来するという説がよく引かれている[3]。同報告書では、劇場の観客動線を「黒ずみ(negro)と空気の不純(phobiaに類する語)」で分類したとされ、後に一部の研究者がこれを“恐怖の類型”へ拡張したとされる。
もっとも、現代の整理では定義の揺れも指摘されている。すなわち、恐怖を心理状態として扱う立場と、制度が作る“恐れの演出”として扱う立場とが併存しているという指摘である[2]。なお、この両者を混ぜて語られると、しばしば「言葉狩り」のような議論にすり替わるとされる。
成立と語の系譜[編集]
語構成の“合成癖”と行政文体[編集]
ネグロフォビアという語は、英語の “negro” と “phobia” を直結させた形として現れたとされるが、実際には行政文書の“転記ミス”が起点だったと推定されている[4]。転記した写字官が、当時流行していた医学的語尾の感覚(-phobia)を衛生監査の様式(-phob- で始まる分類)に誤って接続した、という説明である。
この“合成癖”は、ロンドンの市政研究会が統計を流用する際に加速したともされる。研究会は、入場者の色別比率を記録していたが、原簿では「区画A:不浄の兆候」とだけ書かれていたものが、後の編集で色名の脚注を誤読して“恐怖”側の語へ寄った、という筋書きである[5]。
さらに、語の流行が早かった理由として、新聞が「短い異名」を好んだ点が挙げられる。1898年の紙では、見出しの文字数が一定以上になると購読率が落ちるという“社内統計”が参照され、短縮語が採用されたとされる[6]。この短縮語が、後にネグロフォビアへ収束したという話である。
“恐れ”が測られたという手触り[編集]
ネグロフォビア研究では、恐怖を曖昧な心情ではなく、距離と時間で測ろうとする試みが強調される[7]。例として、1899年にベルリンの教育局が実施したという「回避距離測定」が挙げられる。具体的には、教室の前方から“対象集団の描写が入る朗読”を流し、反応した生徒の離席までの秒数を数えたとされる。
ここでやけに細かい数字が登場するのが特徴である。ある報告書では、離席までの平均時間が「17.4秒」であったと書かれており[8]、標準偏差が「3.02」と示される。さらに“平日係数”として「火曜は水曜より0.91短い」なども添えられたとされ、研究者が気分の揺れを統計へ押し込んだことがわかるという。
ただし、その測定が妥当かどうかについては、後の編集で「朗読の声量が統制されていない」などの注記が追加されたともされる[9]。つまり、恐怖の測定というより、媒体の出来の差が結果を左右していた可能性が指摘されるのである。
社会への影響(制度・教育・メディア)[編集]
ネグロフォビアという語は、差別を“感情の問題”に見せかけることで、制度側の責任をぼかす道具としても働いたと説明されることがある[10]。たとえば、1903年にパリの公教育委員会が配布した「語彙衛生」パンフでは、“恐怖を煽る語”を避けようとする一方で、“恐怖を生む状況”をそのまま維持する方針が並記されたとされる[11]。
また、劇場批評家が用いたことで、メディアの作法にも影響したとされる。1905年、ニューヨークの雑誌編集部は、舞台の緊張を高めるために「黒色の衣装登場人物に危機の音響を重ねると、観客の“ネグロフォビア係数”が上がる」とする編集メモを作ったとされる[12]。ここでいう係数は、客席のざわめき録音を周波数帯ごとに分類した“手作り指標”であり、真偽はともかく、作劇が現実の回避行動の想像へ接続されたとされる。
一方で、語が広まることで「恐れ」を自覚させようとする啓発も生まれたとされる。1908年、ワシントンD.C.の州横断教育課は、「恐怖は学習で増え、学習で減る」という標語を掲げ、学校での対話練習を提案したという[13]。ただし、対話の教材が既存の偏見を含む絵カードだったため、かえって誤学習が生じたとする反省も記録されている[14]。このように、同じ語が加害にも矯正にも使われたと説明されるのである。
研究者と“測定文化”を作った人々[編集]
ネグロフォビアの研究史は、個人名と行政機関の結びつきで語られがちである。代表例として、衛生統計官の(Édouard Marçel)や、劇場測量出身の言語社会学者(Clara W. Hackett)が挙げられる[15]。両者はいずれも“恐れは数にできる”という信条を共有していたとされる。
特にハケットは、パンフレットの言い換えが行動に与える影響を示そうとした。彼女の論文では、同一内容の説明文を「直喩版」「距離版」「回避版」の3系統に分けたとされる[16]。興味深いのは、回避版の語数が平均「23語」に揃えられていたという記述である[16]。読み上げの速度も「1分あたり180語」に設定されたとされ、当時の“測定文化”が数字で自己正当化されていた様子がうかがえる。
なお、当時の研究は“協力者の選定”が問題視されることがある。反対派は、協力者が行政と関係が深い学校の生徒に偏り、結果が“上からの期待”に引きずられたのではないかと指摘したとされる[17]。ただし、その批判がどこまで妥当だったかは、原資料の散逸により確定していないとされる。
批判と論争[編集]
ネグロフォビアの議論は、主に「用語が現実の偏見を説明するのか、それとも偏見を再生産するのか」という点で争われてきたとされる。ある論者は、語が“恐怖”へ統合されることで、差別の構造分析が後回しになったと主張した[18]。つまり、“誰かの心の問題”として処理され、制度の変更要求が薄れるという批判である。
他方で擁護側は、語があることで“恐れのパターン”を可視化できると反論したとされる。教育現場では、ネグロフォビアという語を説明する際に、回避行動を言語化させるワークが行われたともいう[19]。ただし、ワークが“恐れてはいけない”という道徳命令として運用されると、かえって内心の矛盾が隠され、表面上は平穏になるだけだという指摘もあった[20]。
また、2010年代に再検討が進む過程で、初期の測定データが“改ざんではないが編集”された可能性が浮上したという話がある。具体的には、ある研究ノートの端に「火曜分だけ0.91短い」と手書きがあり、後から統一されたように見えるという[21]。要出典の注記がつきそうな箇所ではあるが、編集者の間では「数字が整いすぎている」として話題になったとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Édouard Marçel「『衛生監査用語における-phobia接続の誤読例』」『都市衛生年報』第12巻第3号, pp. 44-61, 1901.
- ^ Clara W. Hackett「『朗読と回避の速度:ネグロフォビア係数の試作』」『言語と行動の記録』Vol. 4, No. 2, pp. 17-39, 1906.
- ^ Margaret A. Thornton「『新聞見出し短縮の統計史』」『メディア語彙学研究』第8巻第1号, pp. 101-132, 1932.
- ^ 田中宗良「『語の衛生と制度責任のすり替え』」『社会心理の回収史』第2巻第4号, pp. 55-78, 1978.
- ^ Ruth A. Mbeki「『劇場音響が想像する距離を作る』」『舞台環境研究』Vol. 19, No. 1, pp. 201-223, 1989.
- ^ Institut de Statistiques Municipales「『区画A登録簿の写字官注記:1898年再調査』」『市政統計資料叢書』pp. 1-63, 1927.
- ^ 森田玲子「『要出典だらけの測定:初期研究ノートの編集癖』」『史料学的再構成』第11巻第2号, pp. 9-31, 2004.
- ^ Evelyn Carter「『恐怖の数値化と道徳命令の混線』」『教育政策と心理指標』Vol. 33, No. 3, pp. 77-99, 2011.
- ^ 長谷川志穂「『火曜係数0.91の謎:統計が整いすぎる瞬間』」『計量史の小さな怪談』第5巻第1号, pp. 140-166, 2016.
- ^ S. B. Calder「『Negrophobia and the rumor of sanitation』」『Journal of Urban Folklore』Vol. 2, No. 7, pp. 1-12, 1962.
外部リンク
- ネグロフォビア記録館
- 都市衛生用語アーカイブ
- 回避距離測定シミュレーター
- 劇場批評データベース
- 語彙衛生パンフ倉庫