ノーリアの一覧
| 名称 | ノーリアの一覧 |
|---|---|
| 分類 | 水車・揚水装置の型式一覧 |
| 分野 | 工学史、農業史、水利学 |
| 成立 | 1897年頃に原型、1930年代に整理 |
| 掲載対象 | 伝承資料、現存遺構、再建模型 |
| 主な地域 | 中東、北アフリカ、南欧、中央アジア |
| 選定基準 | 直径、桶数、駆動方式、史料上の呼称 |
| 関連機関 | 王立地理学会、イスタンブール工芸史研究所 |
ノーリアの一覧は、から地中海沿岸にかけて断続的に使用されたとされるの型式・設置様式・水利運用を分類した一覧である。19世紀末のオスマン帝国水文調査と、20世紀前半のロンドンの工学史家たちの照合によって成立したとされる[1]。
概要[編集]
ノーリアの一覧は、と総称される揚水装置を、地域差と年代差に基づいて整理した一覧である。一般には同一の装置群として扱われるが、実際にはの石造大型型、の木製軽量型、】周辺の半地下型など、用途と呼称が大きく異なるものが含まれる。
この一覧が学術的に定着したのは、にが近郊で採取した歯車片を、帰国後にの水工史資料と突き合わせたことに始まるとされる。その後、1934年ので「ノーリア系装置」の暫定分類が採択され、現在の一覧の骨格ができあがったとされている[2]。
選定基準[編集]
一覧への掲載基準は、単に水を汲み上げる機構であるかどうかではなく、回転式の車輪に付随する容器列を有し、かつ史料上で「noria」「naura」「nawra」などの転写差を持つこととされた。これにより、同じ地域でも系の装置は原則として除外される一方、修道院の庭園用に改造された小型装置が例外的に含まれることがある。
なお、1938年版の一覧では、直径が未満のものを「小ノーリア」、以上未満を「標準型」、それ以上を「大環型」と呼ぶ規定が試みられたが、後年の研究ではこの数値は調査官の巻尺の縮み癖を補正し忘れた結果であると指摘されている[3]。
一覧[編集]
古典的な石造ノーリア[編集]
ハマー川大輪式(推定【11世紀】) - 西部で用いられたとされる石造ノーリアで、直径がに達したとされる。輪の外周に刻まれた個の桶は、夜間の給水量を安定化させるために意図的に不均等配置されたという説がある。
ダマスカス北門型(【12世紀】頃) - 都市用水道への補給で知られる型式で、の影響を受けた装飾歯車が特徴である。現地の伝承では、ある職人が歯数をにしたために運転時に必ず一度だけ軋み音が鳴るとされ、見物人の人気を集めた。
ハマの双輪式(【13世紀】) - 二基が並列で設置された珍しい構成で、片方が止まるともう片方の水音が増幅されることから、近隣の旅人が「町が息をしている」と記した。実地調査では、修復時に片輪だけ異様に新しい樽材が混入しており、1930年代の博物館員が記録を取り違えた可能性があるとされる。
アレッポ外環型(【14世紀】末) - 城壁外の灌漑路に設けられた大型装置で、桶列の間に家禽の羽が挟み込まれていたことから、冬季の凍結防止に鵞鳥の羽を用いたのではないかと推測されている。もっとも、実際には市場の清掃後に偶然混入しただけであるとの反論もある[4]。
イベリア・地中海沿岸の変種[編集]
ムルシア河岸型(【15世紀】) - の果樹園地帯で普及したとされる木製の軽量型で、輪の支柱がオリーブ材で作られていたため、乾燥年にはきしみ音が独特の「二拍子」になったという。修道士がその音を手がかりに祈祷時間を測ったという逸話が残る。
セビリア運河型(【16世紀】) - 港湾の近くで使用されたとされるが、潮位差の大きい日にのみ高効率を示したため、港務局が「天候に左右されすぎる公共設備」として一時運用を制限した記録がある。なお、桶の内側にで維持点検日が刻まれていたことから、当時の職人の識字率研究に利用された。
マルタ・堡塁型(【17世紀】) - の要塞修理用に設置された小型装置で、石壁の厚みを利用して水を上げる半地下式である。英国海軍の技師が「軍事施設にしては妙に牧歌的である」と書き残したことで知られ、のちに観光客向けの再現がに行われた。
クレタ島階段型(【18世紀】) - の段丘農地に設けられた特殊型で、回転軸が斜面に対して斜めに据え付けられていた。これにより桶が満水に達する前に一度だけ空気を噛むため、地元では「ため息のノーリア」と呼ばれていた。
近代以降の再建・模倣例[編集]
ウィーン博覧会展示型(【1873年】) - で展示された復元模型で、実物よりも歯車の噛み合わせが滑らかすぎるとして専門家の議論を呼んだ。展示初日、模型の脇に置かれた説明札が風で飛び、来場者の一部がこれを「新式の発電機」であると誤認したという。
パリ植民地博物館型(【1907年】) - パリのに設けられた教育用再建品で、回転のたびに水が正面の樋から外れ、床に小さな池を作った。館員は「来館者の理解を助ける演出」と説明したが、清掃係は毎日の雑巾水を追加で必要とした。
ロンドン学会標準型(【1932年】) - 主導で作られた比較用模型で、各部材に番号札が付けられた最初の形式である。ところが、桶の数が史料ごとに違うため、最終的に個と個の二案が残り、委員会は妥協案として「可変型」と記した。
東京臨水式(【1964年】) - 東京の水利展示会で紹介された再現機で、モーター補助を用いたため「厳密にはノーリアではない」とする批判があった。一方で、会期中にが見学し、子ども向けパンフレットの「水は上へ行きたがる」という一文だけが妙に有名になった。
地域的に異端とされたもの[編集]
サマルカンド半地下型(年代不詳) - の古い水路遺構に接続されたとされるが、輪の半分が地下に埋まっているため、長らくではなく貯水槽と見なされていた。1960年代の発掘で、桶の一つからが出土し、給水ではなく寄進箱として併用されたのではないかとの説が出た。
フェズ回廊型(【15世紀】頃) - の学僧たちが記録した型式で、修道施設の回廊をくぐるように車輪が設置されている。雨季には水が上がる前に祈りの列が通過してしまうため、運用には厳密な時刻管理が必要だったという。
ベイルート港壁型(【19世紀】) - の港湾修理に際して仮設された装置で、海水混入率が高いため灌漑用途には不向きであった。しかし塩分を含んだ水が石材を白く見せることから、地元の画家が背景装置として好んだと記録される。
歴史[編集]
成立の経緯[編集]
ノーリアの一覧が作成される以前、各地の揚水装置は単なる地方技術として扱われていた。これを変えたのがオーストリア出身の工学史家で、彼はにとを巡った後、共通する歯列の比率を「水の記憶」と呼んだとされる。
その後、にで開かれた非公式研究会で、各地の写真乾板が机の上に並べられ、参加者が輪の直径を目測で言い合った結果、分類表が必要になったという。もっとも、当日の議事録には「誰が一番大きい輪を見たか」で一時間以上揉めたとあり、学問的というよりは半ば競争的な場であったことがうかがえる。
整理と標準化[編集]
に入ると、ロンドンとパリの博物館が保有する模型を相互比較する試みが進められた。ここで問題となったのは、模型の多くが元の遺構よりも美しく作られており、しかも搬送の際に桶が一つずつ減っていたことである。
1934年のでは、フランスの技師が「一覧は技術史ではなく、観光客の記憶術である」と発言し、会場をざわつかせた。しかし最終的には、地域名・輪径・桶数・水路勾配の四項目で整理する案が採択され、これが後の定番形式になった[5]。
戦後の再評価[編集]
第二次世界大戦後、荒廃した灌漑地の復旧に伴い、ノーリアは「前近代の遺物」ではなく、低エネルギー水利の象徴として再評価された。とりわけの農業復興計画では、ディーゼルポンプの燃料不足を補うために一部の古式装置が再稼働し、役所の報告書には「意外にも静かである」とだけ記された。
一方で、には観光資源化が進み、夜間照明を取り付けた結果、桶の影が水面に個ではなく個映ることが問題視された。保存団体は「影の数は文化財の本質ではない」と説明したが、住民の一部は「幽霊桶が増えた」として抗議したとされる。
批判と論争[編集]
ノーリアの一覧には、実在遺構と後世の復元品が同列に並ぶことへの批判が根強い。特ににのが、一覧中の件は写真資料の影だけで判定された可能性があると指摘して以降、分類の信頼性が議論されている[6]。
また、の一部研究者は、一覧が中心の視点で編集されており、以南の水利技術との連続性を切り捨てていると批判した。これに対し編集側は、掲載紙面の都合と、現地調査で虫よけ油が切れた事情を挙げて反論したが、学会ではやや苦しい説明として受け止められた。
さらに、2008年には旧市街の再開発現場から「未知のノーリア断片」が出土したと発表され、現地報道では一面トップになった。しかし後日、断片の寸法が展示用の木枠と一致することが判明し、博物館側は「学術展示の途中経過である」とコメントした。
社会的影響[編集]
ノーリアの一覧は、工学史のみならず、学校教育や観光案内にも影響を与えた。特に以降の中東地域の教科書では、ノーリアが「水を上げる装置」ではなく「共同体が水を分け合うための社会装置」と説明されるようになり、児童が家でコップを回して水を運ぶ遊びをする地域もあった。
また、にの関連調査団が複数の遺構を訪れた際、現地ガイドが一覧表を持ち歩きすぎて紙束が湿り、結果として「一覧そのものを保存すべきである」という逆説的な結論に至った。これ以後、いくつかの自治体では装置本体よりも、点検記録簿の保存に予算を割くようになった。
なお、観光客向けの土産として「桶の音を再現した小型オルゴール」が流行した時期があり、にはの市場で一日が売れたとされる。もっとも、実際には半数以上が風鈴に近い音であり、ノーリアの再現としてはかなり疑問が残る。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Ernst Weissenberg『Water Remembers: Preliminary Notes on Wheel Lifts』Journal of Hydraulic Antiquities, Vol. 3, No. 2, pp. 41-68, 1903.
- ^ Paul Duval『Typologie des noria du Levant』Revue d’Histoire des Techniques, Vol. 11, No. 1, pp. 7-29, 1935.
- ^ William H. Fairchild『Fragments from the North Gate: A Syrian Survey』Proceedings of the Royal Geographical Society, Vol. 19, No. 4, pp. 201-219, 1899.
- ^ Clara Méndez『On Shadow-Based Attribution in Waterwheel Catalogues』Boletín de Estudios Mediterráneos, Vol. 27, No. 3, pp. 155-181, 1984.
- ^ 渡辺精一郎『地中海揚水装置史』工業史研究会紀要 第14巻第2号, pp. 33-59, 1936.
- ^ 佐伯直人『回転揚水機構の比較民俗学』農村工学論集 第22巻第1号, pp. 4-26, 1957.
- ^ Margaret A. Thornton『The Noria as Civic Infrastructure』Urban Water Review, Vol. 8, No. 2, pp. 88-112, 1972.
- ^ 石田久雄『一覧表が文化財になるまで』保存科学 第31巻第4号, pp. 210-238, 2009.
- ^ Jean-Baptiste Arnaud『Les roues qui chantent』Cahiers d’Archéologie Hydraulique, Vol. 5, No. 1, pp. 1-17, 1931.
- ^ 小林和彦『ノーリア図譜の再構成における問題点』水利史研究 第9巻第3号, pp. 77-95, 1998.
外部リンク
- イスタンブール工芸史研究所アーカイブ
- 王立地理学会デジタル資料室
- 地中海水利遺産ネットワーク
- ダマスカス旧市街保存委員会
- ノーリア比較図譜データベース