バルビゾン・クリストフ
| 名称 | バルビゾン・クリストフ |
|---|---|
| 分野 | 絵画、室内装飾、農村美学 |
| 成立 | 1894年ごろ |
| 起源地 | フランス・イル=ド=フランス地方 |
| 提唱者 | オーギュスト・ルヴォワール |
| 主要媒体 | 油彩、石灰顔料、蜜蝋下地 |
| 代表的施設 | バルビゾン協会付属色調研究室 |
| 特徴 | 室内向けの遠景錯視、農作業の儀礼化 |
| 流行期 | 1898年-1931年 |
| 関連都市 | パリ、フォンテーヌブロー、リヨン |
バルビゾン・クリストフは、末のフランスで成立したとされる、室内装飾用の細密筆致とを組み合わせた美術様式である。とりわけパリ近郊ので実験的に普及したとされ、のちにとの干渉を避けるために独特の「半陰影規格」が導入されたとされる[1]。
概要[編集]
バルビゾン・クリストフは、期に現れたとされる装飾美術の一派である。名称はと、同地で活動した聖歌指導者に由来するとされ、農村風景を「祈りの室内」に持ち込むことを目的としていた[2]。
この様式では、遠景の木立や畦道を極端に圧縮して描き、室内から見たときだけ奥行きが成立するよう設計された。また、壁画の一部にではなく脱脂した麦わら粉を混ぜることで、夕方のランプ光にのみ反応するという奇妙な性質があると報告されている。
成立史[編集]
バルビゾン村での実験[編集]
1894年、画家オーギュスト・ルヴォワールがの下宿屋で、雨天時の室内退屈を紛らわせるために始めた素描が起点とされる。彼は、窓外の畑をそのまま写すのではなく、室内の椅子の脚の影と対応させる方法を考案し、これがのちの「相関遠近法」の原型になった[3]。
1896年には、近隣の木こりら12名が参加する試験展示が行われ、観覧者は作品の前に置かれたの角度によって絵の見え方が変わることに驚いたという。なお、この麦束は実際には展示装置であったが、後年の案内書では「儀礼用供物」と説明されることが多い。
クリストフの名の由来[編集]
「クリストフ」は、聖歌隊長であったクリストフ・マレにちなむとされる。マレはの外郭補修に関わった修復技師でもあり、壁面の湿度を測るためにの束を吊るしていたという[4]。
彼は絵画における色の沈み方を声楽の残響にたとえ、低音部の緑を「湿ったド」と呼んだと伝えられている。ただし、この発言を記録したとされる手帳は1940年代に複製されており、原本の所在は確認されていない。
技法[編集]
半陰影規格[編集]
バルビゾン・クリストフの最大の特徴は、明暗差を完全な陰影にせず、常に15〜20%の光を残す「半陰影規格」である。これはが黒白のコントラストを固定化してしまうことへの対抗策として考案されたとされ、壁面が昼と夜で別の景観に見える効果を生んだ[6]。
実際には、塗料に石灰と蜜蝋を混ぜたための物理的反射である可能性が高いが、当時の批評家はこれを「農地の記憶が室内温度に応答している」と表現した。
家具連動構図[編集]
この様式では、絵画単体ではなく、椅子、卓上ランプ、カーテンの裾までを一つの構図として扱う。展示会では、作品の前にの椅子を必ず2脚置く規定があり、片方の脚が欠けている場合は「不作の象徴」として逆に採用されたという。
また、制作現場では下書き用の方眼紙ではなく、パン屋で使う紙袋の折り目がそのまま用いられることがあった。これが偶然にも視線の流れを分散させ、鑑賞者に「懐かしいのに見覚えがない」印象を与えたと説明されている。
社会的影響[編集]
20世紀初頭のフランスでは、都市化への不安を背景に、バルビゾン・クリストフは「失われる農村の保存装置」として受け入れられた。学校の図画教育でも採用され、1912年の教育委員会報告では、児童の74%が「家の中で畑の匂いを想像できるようになった」と記されている[7]。
一方で、農村の現実を美化しすぎているとの批判も強かった。とくに1919年の食糧配給期には、豪奢な邸宅の壁に麦畑が描かれていることが「趣味の配給違反」と揶揄された。この頃から、様式は美術というより生活規範として扱われるようになり、業界にも波及した。
批判と論争[編集]
もっとも有名な論争は、1927年の「乾燥時間偽装事件」である。バルビゾン協会が公表した17時間30分の乾燥時間は、実際には季節平均を丸めた数字にすぎないとの研究班が指摘した[8]。これに対し協会側は、「乾燥時間は作品の人格であり、天候の平均ではない」と反論した。
また、クリストフ・マレの功績をめぐっては、彼が実在の人物というより複数人の合成名ではないかとの説が根強い。特に、1923年の会議録において彼の署名が左利きと右利きで混在している点は、現在でも要出典とされやすい。
衰退と再評価[編集]
に入ると、機能主義家具との流行に押され、バルビゾン・クリストフは急速に姿を消したとされる。ただし地方の旅館や司祭館では生き残り、沿岸の宿では1960年代まで「夕暮れの壁紙」として注文が続いたという。
1978年、周辺で行われた企画展をきっかけに再評価が進み、現在では「農村の視覚化を通じて室内空間の倫理を問う試み」として美術史上の位置づけが与えられている。ただし、現存作品の多くが改装時に塗り直されており、真贋判定はきわめて難しい。
一覧[編集]
以下は、後世の研究者がバルビゾン・クリストフの代表例として挙げる主要作品である。いずれも現存状況が不安定で、同一作品が地方銀行の応接室と修道院の食堂に同時に存在したと報告されるものもある。
《雨季の食堂》(1897年)- ルヴォワールの初期作とされる。食卓の中央に描かれた白い皿が、実際には遠景の月であるという逆転構図で知られる。
《二つの窓、三つの畑》(1899年)- 2枚の窓ガラス越しに異なる季節の畑が見える作品である。鑑賞者が左右に動くと、作物の種類まで変わると宣伝された。
《司祭館の午後》(1901年)- クリストフ・マレの聖歌的理論を最も忠実に反映したとされる。キャンドルの火が消えると背景の樹木だけが明るくなる仕掛けがあった。
《麦束とサン=ラザール》(1903年)- 駅舎と農地を重ねた象徴的作品で、鉄道員の制服が「収穫前の静けさ」を表すと解釈された。
《七脚の椅子》(1905年)- 実際の椅子を4脚しか置けない部屋のため、残り3脚は壁画で補った作品である。家具の不足を美学に転化した例として有名である。
《湿ったドの聖歌》(1907年)- 音と色の対応を試みた異色作で、展示室の温度が上がると緑がわずかに沈むよう設計された。
《フォンテーヌブローの待合室》(1908年)- 林業組合の待機所向けに制作された。長椅子に座った者だけが森を遠景として認識できるという。
《冬の配給票》(1910年)- 食糧難への社会的応答として制作されたが、チケットの模様があまりに細密で、実際に配給券と誤認された。
《リヨンの絹と土埃》(1913年)- 絹商人の邸宅に納められた作品で、光沢のある壁紙と農村の道が互いに反射し合う珍しい効果を持つ。
《黒い畦道》(1921年)- 失業対策事業の一環で制作された大作で、畦道の端に小さく描かれた靴跡が批評家の間で議論を呼んだ。
《乾燥の誤差》(1927年)- 論争の中心となった作品。制作者が乾燥時間の記録を一晩で書き換えたという逸話が残る。
《ブルターニュの壁紙見本帳》(1931年)- 様式末期の作品で、壁紙見本として配られたにもかかわらず、美術館に回収されるまで13年かかった。
《朝の椅子、夜の畑》(1934年)- すでに衰退後の作とされるが、後世の模倣者による可能性が高い。だが、模倣の方が原作より評価された珍しい例である。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Jean-Michel Lavois『Traité du demi-ombrage rural』Presses Académiques de Paris, 1908.
- ^ 渡辺精一郎『農村写生と室内倫理』美術史研究会, 1914年.
- ^ Margaret A. Thornton『Barbizon-Christophe and the Domestic Horizon』Vol. 12, No. 3, Journal of Continental Aesthetics, 1932, pp. 201-229.
- ^ クリストフ・マレ『湿ったドの手帖』バルビゾン協会出版局, 1899年.
- ^ Pierre Delacroix『La Chambre et le Champ: Études sur l'art d'intérieur』Éditions de la Seine, 1925.
- ^ 佐伯康弘『半陰影規格の成立』『美術と気候』第4巻第2号, 1968年, pp. 44-61.
- ^ Anne-Sophie Renaud『Le faux temps de séchage』Revue d'Archivistique Imaginaire, Vol. 7, No. 1, 1979, pp. 15-38.
- ^ 岡部澄子『バルビゾン・クリストフ再訪』『図像学年報』第18巻第4号, 1981年, pp. 5-19.
- ^ H. L. Mercer『Domestic Landscapes of the Late Republic』Cambridge Meridian Press, 1994.
- ^ 小松原信也『壁紙の中の農村』みすず書房, 2002年.
- ^ Élise Montfort『Le Catalogue des chaises manquantes』Éditions du Nord, 2009.
外部リンク
- バルビゾン協会アーカイブ
- フランス装飾美術学会デジタル館
- 農村視覚化研究所
- クリストフ・マレ記念資料室
- 半陰影規格保存協議会