ポッキー学園
概要[編集]
現在では、ポッキー学園は「食と教養の接続」を掲げる学園施設として知られている。施設名に反して教育内容は菓子製造だけに限られず、味覚心理学・行動設計・微量栄養学の実習が体系化されているとされる[2]。
同学園は、校舎を「カリキュラム・タワー」と呼ぶ独特の空間運用を採用している。具体的には、各階が異なる“学びの温度帯”を担当し、廊下照度や換気量まで単元に割り当てられることで、学習成果が安定する設計思想に由来する[3]。なお、これらの詳細は学園の公開資料では断片的にしか示されていないため、研究者の間では「講義よりも建築が主役だった」との指摘がある[4]。
名称[編集]
「ポッキー学園」という名称は、入学式当日の“儀礼配布”に由来するものとして語られている。すなわち、開設時に採用された配布形態が棒状菓子の配分アルゴリズムで統制され、全学年で同じ角度・同じ秒数に割り当てられたことが、校名の呼称に結びついたとされる[5]。
一方で、校章の図案が規則的な格子で構成され、「割る/つなぐ」比喩が教育理念に適合したためだと説明される資料もある。もっとも、この校章の原案を描いた人物は長く秘匿されており、後年になって「佐伯 圭吾の助手が夜間に描き直した」という伝聞が残っている[6]。
このように名称は、菓子文化を“教育装置”に読み替えた時代の空気を反映したものとして、地域の講演会でしばしば取り上げられている。
沿革/歴史[編集]
創設の背景[編集]
同施設の前身は、昭和34年に開かれた「一口思考研究会」であるとされる。研究会は、当時の栄養行政の議論と学校給食の拡充が同時進行する中で、子どもの咀嚼習慣を“講義”で変える試みとして発足した[7]。
当初の計画では、講師が一方向に話すだけでなく、学習者が同時に微量の食品刺激を受けながら注意配分を学ぶ方式が想定された。ところが実験室だけでは温度管理が難しく、夜間に床へ微風を流す調整が必要になったため、結果として「校舎そのものが装置になる」発想が育ったとされる[8]。
その後、東京都港湾部の再開発構想に便乗する形で用地が確保され、佐伯建築事務所が実施設計に指名された。
建築の意思決定[編集]
ポッキー学園の建築では、最高棟が「38.2 m」と定められた経緯が細部まで語られている。これは消防法の高さ基準に合わせたというより、「校舎から見える海面までの視線角」を 3.1 度に固定するためだと説明される資料がある[9]。なお、同説明には裏付け資料が一部欠けているとされ、要出典が付されそうな記述として専門家に笑われた経緯がある。
また、講堂の音響設計には“割音(かつおと)”の研究成果が反映されたとされる。学園では、学生が食べる際の音が注意散漫を抑えうるという理論が流行し、講堂の天井吸音材の配置が 72 個の区画に分割されている。これにより、特定の周波数帯で「食べる音が抑えられ、発言の音だけが残る」状態が作れるとされる[10]。
このような学習環境の“読み替え”は、当時の教育行政からは革新として歓迎された一方で、衛生面の運用ルールが過剰に複雑になったとの批判も生まれた。
閉鎖と再評価[編集]
同学園は平成初期に一度閉鎖されたが、その理由は「味覚実習の安全基準が改定されたため」と一般には説明されている[11]。ただし地元では、改定よりも先に“実習のレシピが学内で流通しすぎた”ことが影響したのではないかという噂もあった。
閉鎖後は建物が地域イベント会場として転用され、特に「48秒ルール」と呼ばれる見学導線が観光客の間で話題になった。これは、入口から最初の展示を見終わるまでに 48 秒を超えないように誘導する仕掛けで、案内係がストップウォッチを持っていたとされる[12]。
その後、保存側の活動により、後述の文化財指定に至ったとされる。
施設[編集]
ポッキー学園には、旧寄宿舎、講堂、味覚観測室、格納庫(展示用)など複数の棟が存在する。現在では、最も象徴的なのは「カリキュラム・タワー」と呼ばれる主棟であり、外装は煉瓦風タイルを採用しながら実際の構造は鉄骨造であるとされる[13]。
味覚観測室は、ガラス面に微細な曇り加工が施され、室内の人の表情が観察しにくい設計となっている。これは、観察者の表情が評価に影響することを避ける意図に由来する[14]。また、観測窓の外側に“割り込み光”と呼ばれる補助照明が設けられ、照度が 410 lx から段階的に 220 lx まで下がるよう制御されるとされる。
ほかにも、屋上の「折り目庭園」では、植栽をジグザグに配置し、散歩中の歩幅が学習用音声の間隔と一致するよう設計されたとされる[15]。もっとも、この効果については研究会資料以外に確認できる根拠が乏しいとされ、訪問者の体感談が中心になっている。
交通アクセス[編集]
同学園の所在地は、都心側の再開発地区に隣接するものとして案内される。最寄りの公共交通機関として、東京都心東部を経由する架空の路線である「レーズン線」から徒歩 9 分とされる[16]。この路線は実在の鉄道路線とは一致しないとされつつ、観光パンフレットには平然と記載されているため、注意が必要とされる。
自動車での来訪では、校地周辺の制限速度が 20 km/h に設定されている。これは“試食待機列が車道へはみ出さない”ようにするための措置であると説明されるが、警備記録では 1 回だけ車列が 6.4 m ほどはみ出たと記録されている[17]。
また、見学者は入口で 1人1枚の「割音チケット」を受け取り、講堂エリアでは専用リーダーにタップする運用がある。なお、チケットに有効期限は記載されていないが、スタッフによれば“気分が落ち着くまで”が有効だという。
文化財[編集]
ポッキー学園の建築群は、学園建築の保存活動を背景に、東京都の条例による登録有形文化財相当として扱われている。特にカリキュラム・タワーは、外装タイルの意匠が「教育メカニズムの象徴」として評価され、昭和末期の意匠保護指針に基づく選定対象となったとされる[18]。
また、講堂の吸音区画(72区画)と音響制御の考え方が、単なる装飾ではなく運用技術として残された点が評価されている。これに関連して「割音と講義の相互干渉」をめぐる技術報告が残されているとされるが、原資料は一部が返却されず所在不明とされる[19]。
このように、教育施設でありながら建築技術が中心に据えられたことに由来する特徴から、観光と研究の双方に利用されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯 圭吾『教育建築における微視的環境制御』佐伯社, 1987.
- ^ 田中 朋香「咀嚼音の注意機構に関する実験(港湾地区学習施設調査)」『日本教育環境学会誌』第12巻第3号, pp. 41-63, 1992.
- ^ Margaret A. Thornton「Sweetness as Curriculum: Early Prototype Classrooms in the 1960s」『Journal of Sensory Pedagogy』Vol. 5 No. 2, pp. 11-29, 1998.
- ^ 【平成】教育行政記録編纂室『学校給食規準と副次的運用(抜粋)』文教統計局, 1991.
- ^ 林 章太「カリキュラム・タワーの景観角度設計(報告概要)」『建築意匠研究』第28巻第1号, pp. 88-96, 2001.
- ^ Klaus R. Meister「Acoustic Zoning in Lecture Halls: The 72-Cell Model」『Proceedings of the International Symposium on Quiet Rooms』Vol. 3, pp. 201-219, 2004.
- ^ ポッキー学園史料保存会『ポッキー学園・講堂資料集』学園史料保存会出版, 2010.
- ^ 山田 透『“48秒ルール”の社会受容』都市観光研究叢書, 2016.
- ^ 外装タイル技術研究会『煉瓦風外装の意匠と耐候(第2版)』タイル工業出版社, 1985.
- ^ M. L. Hart『Canteen Cultures and Urban Planning』Blue Lantern Press, 1977.
外部リンク
- ポッキー学園公式アーカイブ
- 港区学習環境博物館(特設ページ)
- 折り目庭園ガイド
- 割音チケット運用メモ
- レーズン線時刻表(観光用)