二階堂てるお・はるお
| 正式名称 | 二階堂てるお・はるお |
|---|---|
| 別名 | 双名連署、二影式署名 |
| 発祥 | 昭和後期の東京都千代田区周辺 |
| 提唱者 | 二階堂照雄・治雄とされる |
| 主な用途 | 文書署名、会合出席、責任分散 |
| 運用期間 | 1974年頃 - 1991年頃 |
| 関連組織 | 関東複名研究会、都内同姓同名協議連盟 |
| 記録数 | 公的非公的あわせて約4,800件 |
| 特徴 | 一人で二人分を演じる |
| 評価 | 行政文書史上まれに見る曖昧さ |
二階堂てるお・はるお(にかいどうてるお・はるお)は、東京都を中心に発達した二重名義型の民間記録術である。二人組の実在確認を避けつつ、責任と名誉を同時に分散させる手法として知られている[1]。
概要[編集]
二階堂てるお・はるおは、昭和後期の都市部で広まった、二人組を装って一人の人物が複数の役割を引き受けるための慣習である。表向きは連名の人物名として扱われるが、実際には千代田区の会議室文化と、出席者名簿の省略運用が結びついて成立したとされる[1]。
この用法では、てるおが対外折衝、はるおが議事録確認を担当する、といった分業が語られることが多い。ただし、関係者の証言はしばしば食い違っており、「そもそも二人いたのか」という根本部分についても、いまなお学説が分かれている[2]。
成立史[編集]
千代田区役所仮説[編集]
有力な説では、1974年の千代田区区民会館改修工事に際し、同姓同名の兄弟が誤って同一人物として扱われたことが起点とされる。書類上の不整合を解消するため、担当職員が「二階堂てるお・はるお」と並列表記したのが始まりであるという[3]。
このとき使われた朱肉がやや薄く、押印が左右で微妙にずれたことから、「二重署名は実体を持たないが、記録としては実在する」という後年の理論が生まれた。なお、この仮説には一次資料が乏しく、区政史研究会からも「要再確認」とされている。
青山会館拡張期[編集]
1978年から1982年にかけて港区青山周辺の貸会議室で行われた町内調整会では、出席率を上げるため、会合当番が「二階堂てるお・はるお」の名義を借りることが流行した。実際には当番が一人でも、名簿上は二人分の椅子が用意され、茶菓子も2倍で計上されたという。
これにより、予算申請上の「参加者数」が平均で1.8倍に膨らみ、東京都の一部で会議室予約が逼迫したとされる。半ば伝説化しているが、当時の文房具商の領収書には「二名分 万年筆一式」といった奇妙な記載が残る[4]。
放送文化への流入[編集]
1980年代半ばには、NHKの地方番組や深夜の地域情報枠で、この名義が「視聴者参加型の匿名アドバイス」として紹介された。特に、相談者の個人情報を守るため、回答者をあえて二人組に見せかける演出が受け、東京圏の一部で模倣が相次いだ。
もっとも、番組出演者の控え表には一人分の弁当しか発注されていないことから、実際にはスタジオ内で「てるお役」と「はるお役」を一人のアシスタントが交代で演じていた可能性が高い。制作関係者の一部は、これを「日本的な多面体MC」と呼んでいたという。
運用上の特徴[編集]
二階堂てるお・はるおの最大の特徴は、責任の所在を曖昧にしながら、実務だけは落とさない点にある。会議ではてるおが賛成し、はるおが補足するという形で議事が進み、反対意見が出た際には「それははるおの見解である」としていったん棚上げすることが可能であった[5]。
また、文書作成においては、冒頭をてるお、結語をはるおが担当することで、1通の通知文があたかも2名の共同声明であるかのように見せる技法が用いられた。これは総務省関係者の間で「二影式」と呼ばれ、1989年頃には一部の自治体で研修対象になっていたとされる。
一方で、印章管理が難しく、実印が2つあるのか1つしかないのかを巡って、少なくとも17件の不服申立てが生じた。最も有名なのは、新宿区の集合住宅管理組合で発生した「どちらのてるおが理事長なのか」問題で、最終的に両名とも同一人物であるとして処理された。
社会的影響[編集]
この慣習は、1990年代初頭のバブル崩壊後、少人数で過大な業務を処理せざるを得ない現場に広く浸透した。特に、印刷業、町会運営、学園祭実行委員会などでは、「二階堂形式で行く」という表現が、二人分の仕事を一人が引き受けることの婉曲表現として定着した[6]。
また、都内の一部では、同姓同名者の情報整理を目的に「てるお台帳」が作成され、1991年時点で登録件数は3,214件に達したとされる。もっとも、この数字にはてるお本人が電話帳に自己申告した分と、区役所が見間違えた分が混在しているため、正確性には疑義がある。
このような曖昧な二重名義文化は、その後の意識の高まりとともに急速に衰退した。ただし、名刺交換の現場では現在も「二階堂さんですか、てるおさんですか、はるおさんですか」という確認が、半ば冗談として残存している。
批判と論争[編集]
批判の中心は、そもそも「二階堂てるお・はるお」が実在の人物群だったのか、それとも行政文書が生んだ架空の合成人格だったのかという点である。特にの旧資料館で発見されたとされる名簿には、筆跡が3種類ある一方で署名は1つしかなく、研究者の間で大きな議論を呼んだ[7]。
また、1979年の関東複名研究会シンポジウムでは、「複名は民主的か」という問いに対し、出席者34名中19名が途中で自分の役割を忘れたため、議事録が途中から別会合として扱われた。これを受け、保守派は「二重名義は責任逃れを制度化する」と批判したが、支持派は「責任が逃げるのではなく、歩いて分散するのだ」と反論している。
なお、1990年頃に某テレビ局がこの事案を再現ドラマ化しようとした際、出演者が全員「てるお役」をやりたがったため制作が頓挫したという逸話が残る。
評価[編集]
現在では、二階堂てるお・はるおは実務合理化の民間技法としてよりも、都市生活における人格の分割と書類行政の相互作用を示す象徴的存在として扱われている。大学の地域文化論では、明治大学や早稲田大学の一部ゼミで事例研究の対象になったことがあるとされる[8]。
一方で、当事者が最終的に何者であったかについては、いまだ確定していない。ある研究者は、二階堂てるお・はるおとは「一人の人物が、二人分の社会的期待を抱え込んだ結果、書類上だけ増殖した現象」であると述べている。もっとも、この定義自体がもっともらしいだけで、別の研究会では「ただの宛名ミス」と片づけられている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯隆一『二重名義の社会史』中央文化出版, 1994, pp. 41-68.
- ^ Margaret A. Thornton, "Duplicitous Signatures in Postwar Tokyo", Journal of Urban Folklore, Vol. 12, No. 3, 1998, pp. 201-229.
- ^ 二階堂史料研究会編『てるお・はるお台帳の研究』都心資料社, 2002, pp. 9-57.
- ^ 渡辺精一郎『行政文書における人格分割の技法』東亜評論社, 1987, pp. 112-145.
- ^ K. S. Weller, "The Twofold Clerk: Municipal Naming Practices in Japan", Pacific Bureau Studies, Vol. 8, No. 1, 2001, pp. 33-49.
- ^ 山口みどり『会議室文化と名簿の政治学』青山書房, 1991, pp. 77-104.
- ^ 田島憲太『二影式署名の実務と崩壊』日本行政学会叢書, 1990, pp. 5-29.
- ^ Harold Inoue, "When Teruo Met Haruo: A Case of Split Public Identity", East Asian Record Review, Vol. 5, No. 2, 1996, pp. 88-110.
- ^ 関東複名研究会『複名と責任のあいだ』関東複名研究会紀要, 第4巻第1号, 1980, pp. 1-23.
- ^ 白石和夫『名刺交換の儀礼と誤認』港北新報社, 1989, pp. 66-91.
外部リンク
- 関東複名研究会アーカイブ
- 都心資料データベース
- 二階堂史料年表館
- 複名文化保存協会
- 昭和会議室録音庫