人造盧舎那大仏、発進!
| 正式名称 | 人造盧舎那大仏発進運用計画 |
|---|---|
| 通称 | 発進大仏 |
| 提唱者 | 渡辺精一郎 |
| 初回試験 | 1978年9月 |
| 主導組織 | 文化庁奈良防災技術研究会 |
| 想定運用地域 | 奈良市東部・若草山周辺 |
| 推進方式 | 磁気浮上式三段脚 |
| 総重量 | 約4,800トン |
| 失敗例 | 第3回試験で右手のみ先行発進 |
人造盧舎那大仏、発進!(じんぞうるしゃなだいぶつ、はっしん)は、昭和後期に奈良県で成立したとされる、超大型可動仏像の発進号令である。主にとの境界領域で用いられた[1]。
概要[編集]
人造盧舎那大仏、発進!は、巨大な像を自走・再配置可能にするという思想から生まれた計画である。名目上は災害時の文化財退避を目的としたが、実際には観光イベント、都市計画、宗教儀礼が複雑に混線した独特の制度として知られている[1]。
この計画では、像の内部に国鉄時代の転用部材、耐震ジャッキ、儀礼用の銅鑼が収められ、起動時には「発進」の号令とともに基壇がわずかに浮上したとされる。なお、試験記録の一部には「大仏が南東へ18度旋回した」との記述があるが、当時の写真はすべて逆光で判別が困難である[2]。
成立の経緯[編集]
起源は、奈良県庁の土木課に配属された渡辺精一郎が、台風被害を受けた仏堂の復旧計画に「移動可能な本尊」の概念を混ぜ込んだことにあるとされる。渡辺はのちに東京大学工学部の非常勤講師となり、文化財を「守るためには、動かせねばならない」と主張した[3]。
これに対し、宗教界の一部は強く反発したが、当時の技術補佐官だったマーガレット・A・ソーンダースが、英国式の保存科学と日本の木造建築を接続する報告書を提出し、議論は急速に具体化した。結果として内に「奈良防災技術研究会」が設けられ、外形上は文化財保護、実質的には巨大仏像可動化の実験が始まったのである[4]。
構造と運用[編集]
人造盧舎那大仏の骨格は、外殻を、内骨を、可動関節を奈良の古い寺院から外された欄干鋳物で構成した三重構造であった。頭部には気象観測用のレーダーが一体化され、右手には避雷針を兼ねる法具収納庫が設けられていた[5]。
発進手順は七段階で、最初に合掌、次に経文の逆再生、続いて基壇下の油圧ピストンが作動する。試験運用では平均起動時間が12分47秒とされたが、冬季は銅像表面の冷えにより最大19分を要したという。なお、起動音がほぼ汽笛と同じ周波数であったため、近隣のが一時的にダイヤを修正したとの証言が残る[6]。
試験運用と事故[編集]
9月の第1回試験では、像は予定通り3メートル前進したが、前進後の停止姿勢があまりに荘厳であったため、見学者の多くが「成功」と理解し、記者会見でもそのまま成功扱いとなった。第2回試験では、進路に置かれた献灯台を避ける際に右膝だけが独立して旋回し、以後「膝先行問題」と呼ばれるようになった[7]。
最も有名なのは第3回試験である。号令「人造盧舎那大仏、発進!」の直後、左手のみが1.2秒早く作動し、像全体があたかも挙手してから出航するような形となった。この様子はNHK奈良局の中継で偶然放送され、翌日の新聞各紙は「巨大仏、礼をしてから移動」と報じた。以後、発進前に一礼を挟む運用が標準化されたという[8]。
社会的影響[編集]
計画は文化財保護技術の象徴として語られる一方、奈良市の観光政策にも深く影響した。特に1980年代前半、修学旅行生向けに「発進実演の日」が設けられ、年間約28万人が集まったとされる。市内の宿泊業者はこの日を「仏動特需」と呼び、弁当店では割れない材質の茶筒が標準化された[9]。
また、宗教施設の防災訓練において「本尊も退避対象である」という考え方が広まり、京都や滋賀の複数寺院で可搬式厨子の導入が進んだ。ただし、ある寺院では厨子を動かすたびに鐘楼の方が先に震動したため、実質的に導入を断念したとされる。地方自治体の防災白書には「精神的支柱の機動化」という奇妙な表現が一時期現れた[10]。
批判と論争[編集]
批判の中心は、そもそも文化財を「発進」させる発想自体が宗教的に不敬ではないか、という点にあった。とくに系の一部僧侶は、像の可動化が「信仰を装置に還元する」として公開討論を拒否した一方、別の宗派は「移動するからこそ無常を体現する」と擁護した[11]。
技術面でも、基壇の磁気浮上方式は地盤沈下のあるに適さず、試験では毎回数ミリ単位で北東へずれる問題があった。研究会はこれを「仏の意志による偏向」と説明したが、土木学会の内部報告書では単に軸受の摩耗とされている。なお、関係者の回想録には、会議中に大仏の胸部から低い読経音が聞こえたとあるが、録音は見つかっていない[12]。
後世への継承[編集]
博物館展示への転用[編集]
計画中止後、主要部材の一部はの特別収蔵庫に移され、現在は「移動文化財」の概念展示に用いられている。展示解説では、発進用のレバーと見られる装置が「当時の儀礼把手」であると説明されているが、実際には試験時に使われた非常停止装置である。
地方伝承への混入[編集]
周辺では、春の風が強い日に「大仏が準備運転している」と言い伝えられるようになった。子ども向けの紙芝居にも取り入れられ、右手だけが先に上がる場面が最も人気であったという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『可動仏像の基礎理論』文化庁奈良防災技術研究会報告書, 1979年.
- ^ Margaret A. Saunders, "Portable Icons and Disaster Semantics," Journal of Sacred Engineering, Vol. 12, No. 3, pp. 44-61, 1981.
- ^ 佐藤和成『奈良盆地における高重量宗教彫刻の移送技術』土木文化研究叢書, 1984年.
- ^ 石黒善道『発進する本尊――儀礼と機械の交差点』法蔵館, 1986年.
- ^ K. H. Whitmore, "Magnetic Levitation Under Bronze Statues," Transactions of the Asian Preservation Society, Vol. 8, No. 1, pp. 103-119, 1980.
- ^ 奈良県防災局『昭和五十三年度 文化財移動訓練記録集』, 1979年.
- ^ 山本清吾『右手先行現象の民俗学的研究』民俗機械学会誌, 第4巻第2号, pp. 7-29, 1992年.
- ^ 中村みどり『観光行事化する宗教施設とその経済効果』地域政策評論, Vol. 21, No. 4, pp. 15-33, 1990年.
- ^ P. L. Harcourt, "When the Buddha Launched: An Incident Report from Nara," Preservation Quarterly, Vol. 5, No. 2, pp. 1-8, 1979年.
- ^ 『発進大仏試験記録写真集』奈良防災技術研究会資料室, 1982年.
外部リンク
- 奈良防災技術研究会アーカイブ
- 文化財移動計画デジタル展示室
- 発進大仏写真資料館
- 東大寺機械化史研究会
- 仏像工学年報オンライン