初眼
| 行事名 | 初眼 |
|---|---|
| 開催地 | 北海道函館市・鶴川眼社 |
| 開催時期 | 旧暦二月初午の翌日(概ね3月上旬) |
| 種類 | 春の視覚祓い・目鏡奉納・稚児行列 |
| 由来 | 港の潮霧で“最初に見えたもの”を祀る習俗に由来するとされる |
概要[編集]
初眼は、春先に行われる視覚祓いの年中行事として、周辺で行われる祭礼である。参加者は“今年最初に目が覚めた瞬間”を象徴する小箱を携え、社殿で開封する儀式を受けるとされる。
「見ること」そのものを祓うという点で、身体儀礼にも観賞儀礼にも分類しうると説明されている。なお、祭りの中心は神職による祝詞だけでなく、一般の商人や視力測定家が携わる点に特色があるとされる。
名称[編集]
「初眼」の語は、早朝に最初へ意識が向いた“眼の目覚め”を意味する語として説明される。地元では、単に視力の良し悪しではなく、心が初めて「外界を判別できた感覚」を指す語として用いられてきたとされる。
また、祭りの正式名称は「初眼大祓(はつめおおはらえ)」と呼ばれることがある。これは明治期に導入された札取り方式(後述)により、同名の年中行事が複数地域で誤って並記されたため、行政上の区別として“祓い”を付したという説がある。
由来/歴史[編集]
初眼の起源は、函館の港で頻発した潮霧に求められるとされる。古記録では、霧が深い年ほど夜明けに視界が一気に回復し、最初に「像」として定着したものが“吉凶を告げる”と信じられた。
鶴川眼社の縁起では、霧が晴れた瞬間にの影がはっきり見えた年に漁獲が増えたことが契機となり、村人が「最初に見えたもの」を個別に祀ったのが始まりとされる。一方で、近年の民俗学的再解釈として、実際には“最初に見えたもの”が海図に記された目標と一致していたため、結果として漁の成功と結びついた可能性も指摘されている。
海霧と“最初の像”伝承[編集]
初眼の起源は、函館の港で頻発した潮霧に求められるとされる。古記録では、霧が深い年ほど夜明けに視界が一気に回復し、最初に「像」として定着したものが“吉凶を告げる”と信じられた。
鶴川眼社の縁起では、霧が晴れた瞬間にの影がはっきり見えた年に漁獲が増えたことが契機となり、村人が「最初に見えたもの」を個別に祀ったのが始まりとされる。一方で、近年の民俗学的再解釈として、実際には“最初に見えたもの”が海図に記された目標と一致していたため、結果として漁の成功と結びついた可能性も指摘されている。
明治の札取り制度と視力測定家の参入[編集]
明治期に港湾の帳簿統一が進むと、祭礼にも「登録」が必要になったとされる。そこで、社務所の帳簿係であったが、参加者に番号札を配り、儀式の時間差入場を管理したと伝えられる。
この制度は当初“混雑回避”が目的だったが、札の番号順に祝詞が変わる仕組みだったため、商家の間では「初めの眼の向け先」をめぐって競争が生まれたとされる。さらに、大正末期には視力測定家のが測定器を寄進し、「今年の初眼はどれほど焦点を結ぶか」を記録する慣行が加わった。
記録のねじれと“嘘っぽい細かさ”の形成[編集]
祭りの手順は、口伝のはずであったにもかかわらず、ある年から妙に細かな規定が残されたとされる。たとえば、目鏡奉納の際は「小箱の封蝋に直径3.2ミリの“見え止め”刻印を入れる」などの条項が、昭和初期の改訂文書に現れる。
ただし、その文書は当時の筆者が体調不良で、文字が一部擦れているため、研究者の一部では「本来は3.8ミリだったものが転記で減った」と推定されている。この種の数値の揺れが、逆に祭りを“本物らしく”感じさせる要因になったとする見方もある。
日程[編集]
初眼は、旧暦二月初午の翌日(概ね上旬)に行われる。早朝の整列は午前4時37分からとされ、参加者は雪明かりの照度に応じて3列に分けられる。
当日の進行は、(1)小箱開封、(2)視覚祓いの祝詞、(3)目鏡奉納、(4)稚児行列、(5)“最初の像”公開、の順で行われると説明されている。なお、雨天の場合は灯台前の仮設回廊へ移されるが、移動の距離が「正確に徒歩12分以内」とされる点が妙に具体的である。
各種行事[編集]
各種行事の中心は、社殿前でのである。参加者は前年の“見えなかったもの”を書いた紙片を入れた小箱を持参し、神職が一度だけ刃を入れてから開ける儀式を受けるとされる。
次に行われるのが、視覚祓いの祝詞である。祝詞は音階のように区切られ、最後の句では、を3本同時に灯し「目の焦点を鎮める」とされる。なお、灯火は消える順番が決まっているとも伝わる。
さらに、祭礼の呼び物としてがある。澤田眼鏡所の系譜を引くとされる人々が、前年に寄せられた古レンズを清め、社殿の棚へ並べる。最後に「最初の像公開」が行われ、今年最初に見えたものに関する短い報告が読み上げられる。ここで、参加者が“霧の中で見えた色”を語るため、色名の語呂合わせが地域の若者に流行するとされる。
地域別[編集]
では、目鏡奉納が最も整備されている。理由として、明治末期にが“レンズの破損事故”を減らすため、保管台帳の雛形を社務所へ提供したという口碑がある。
そのため、寄進された古レンズは台帳番号で管理され、当日の公開順は番号の語呂(例:12は「いと」と読む)で決まるとされる。
函館(鶴川眼社)の形式[編集]
では、目鏡奉納が最も整備されている。理由として、明治末期にが“レンズの破損事故”を減らすため、保管台帳の雛形を社務所へ提供したという口碑がある。
そのため、寄進された古レンズは台帳番号で管理され、当日の公開順は番号の語呂(例:12は「いと」と読む)で決まるとされる。
札幌・小樽(札取り習俗の派生)[編集]
札幌市や小樽市では、札取り制度が祭りの核として残ったとされる。参加者が番号札を胸に下げ、祝詞の詠唱が終わるまで“眼をそらさない”とされる点が特徴である。
ただし、眼をそらさない競技は疲労を招くため、近年は「そらしてよいが瞬きは1回まで」とするローカルルールが広まっているとされる。
釧路(灯台前回廊の独自化)[編集]
では、雨天時の移動が“灯台前回廊の儀”として固定化されている。移動時間が12分以内とされるのは、風向きと霧の流れを計算した測位説に由来すると説明される。
一方で、地元の古老は「測位ではなく足の裏の冷えを祓うためだった」と冗談めかして語るとされ、両解釈が併存している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 鶴川眼社編『鶴川眼社縁起と初眼の儀』鶴川眼社社務所, 1931.
- ^ 榎本章太郎『港町における札取り祭礼の運用(初眼)』北海道庁民事課, 1909.
- ^ 田中澄江『春霧の象徴体系:“最初の像”の民俗学』北海道民俗叢書刊行会, 1978.
- ^ 澤田昌人『視力測定器寄進の記録と地域の受容』眼鏡工業史研究会, 1986.
- ^ 佐々木和馬『祭礼の時間管理と行列心理(12分説の再検証)』『北方都市研究』第12巻第3号, pp.41-59, 1994.
- ^ Margaret A. Thornton『Ritual Optics in Maritime Communities』Journal of Comparative Folklore, Vol.18 No.2, pp.201-223, 2002.
- ^ Eiji Nakamura『Early Modern Calendrics and Civic Festivals in Northern Japan』『Acta Anthropologica Nordica』Vol.9 No.1, pp.77-92, 2011.
- ^ 函館港務局『航路標識と祭礼行動の相関報告』函館港務局資料室, 1937.
- ^ 青木玲子『灯台回廊儀の温度帯推定』『北海道環境史レビュー』第5巻第1号, pp.9-31, 2018.
- ^ 鈴木光『数字の揺れが信仰を強くする:直径3.2ミリ文書の周辺』『民俗史の校訂』第2巻第4号, pp.130-148, 2020.
外部リンク
- 鶴川眼社 公式掲示
- 函館初眼保存会
- 北方祭礼データベース
- 澤田眼鏡所アーカイブ
- 潮霧伝承・音声資料室