多度クエ
| 分類 | 地域伝承の即席食品(儀礼食) |
|---|---|
| 主な材料 | 発酵粉・煮詰め醤・乾燥甲殻片(とされる) |
| 発祥地(伝承) | 周辺 |
| 初出が確認される時期(伝承) | 後期〜初期 |
| 提供の目安 | 陰暦の二の辰・収穫直後の未明 |
| 効能(通説) | 運気の上書き、疲労の短期回復 |
| 象徴的道具 | 木札付きの鉢(「札鉢」) |
| 研究状況 | 民俗学・食品史の両面で言及があるが資料が分散している |
多度クエ(たどくえ、英: Tadokue)は、を中心に語られてきた「食べると運が上書きされる」とされる即席伝承食である。特にの旧家では、一定の季節にだけ提供される儀礼食として知られている[1]。
概要[編集]
多度クエは、見た目は「濃いとろみの煮汁に、粉状の何かを落としたもの」と表現されることが多い。実際の調理手順は家ごとに差があるとされるが、共通点としての古い語りでは「最初のかき混ぜが十二回で止められる」ことがしばしば強調される。
その成立は、農耕暦と衛生知識の境目にある民間加工技術へ、噂話が後から上書きされた結果として説明されることが多い。もっとも、地域外では「民俗オカルト食」として扱われることもあり、提供時の所作(鉢を回さず、札を先に撫でる等)が効能の一部とみなされる点が特徴である[2]。
概要(選定と記録のされ方)[編集]
多度クエが「多度クエ」と呼ばれる条件は、単に料理名ではなく“儀礼の条件”として運用されてきたとされる。具体的には、(1) 乾燥甲殻片を用いること、(2) 火加減を「指で鍋縁が熱くない程度」と定義すること、(3) 提供の直前に木札へ口上をすること、の三点が揃った場合に限って「多度クエ」と扱う家が多いとされる[3]。
記録は、の旧文書に加え、明治期以降はの農商務系の便覧、さらに個人蔵の手帳に散在している。なお、手帳類では粉の量が「米一粒分」として書かれる例もあるが、後年の整理者が“換算”を行い、結果として「粉は合計で 0.83匁(もしくは 2.6グラム)」のような妙に具体的な数値が残ったとする説明がある[4]。
一覧[編集]
多度クエは地域内で派生形が多く、資料ごとに「別名」「作法の違い」が“同一カテゴリ”として並べられていることがある。そのためここでは、儀礼条件の違いと、語られ方の違いが比較的分かりやすいものを中心に、代表的な型を記載する。なお、各型は家の伝承として紹介されてきたものであり、成立の順序は文献により入れ替わることがある。
1. 藁打ち十三回型(江戸末期) - 鉢を叩くように手を入れる所作が「十三回」とされる型である。発祥は「米の粒を数える訓練」と結びつけられ、疲れた農夫が数え間違えないよう“回数を縛る”目的だったと語られる[5]。
2. 札鉢・無言提供型(明治初期) - 口上を省き、木札を撫でるだけで提供するとされる。伝承では「言葉は運をこぼす」ため黙して出すのが正しいとされるが、民間記録ではむしろ“沈黙の長さ”が30秒単位で観察されていたとされる[6]。
3. 夜露二温型(寛政頃の再解釈) - 「粉を二度だけ温める」という作法が特徴である。資料整理者は温度を「人肌より指二枚分だけ高い」と比喩しつつ、後で「約36.8℃」と換算したため、現代の読み手が妙に納得してしまうと評される[7]。
4. 杉樽三日熟成型(幕末) - 杉樽で三日熟成させた後、煮詰め醤を一滴加える型である。旧家の口伝では“香りが楠の枝のように立つ日”が合図とされ、記録では「三日目の二刻(約4時間)」と計測されている[8]。
5. 糸引き二段階型(文化期の呼称) - とろみが「糸を引く段階」を二回作り、間に冷却を挟むとされる。語りでは、冷却時間を「息が白くならない程度」と定義しつつ、別資料が「27秒」と断言しているため、後世の研究者は換算の恣意性を疑ったとされる[9]。
6. 指鍋縁非熱型(明治後期) - 指で鍋縁を触れ、熱くないかを判断する型である。ここでも数値化が進み、触れる指の長さが「第一関節まで」とされた結果、工程が学習教材のように整備されたという逸話がある[10]。
7. 藻場蟹殻代替型(大正期の混迷) - 甲殻片が取れない年に、藻場の代替粉を使う型。伝承では「飢饉の年に守られた秘法」とされ、実際の記録は配給帳と同じ筆跡で残っていたとされる[11]。
8. 遠州干し殻転用型(昭和初期) - 方面から仕入れた干し殻を転用する型である。語りでは“運の向きが変わる”とされ、地元の人が最初は食わず、来客向けに出したとされる[12]。
9. 二の辰未明供養型(伝承暦準拠) - 陰暦の二の辰の未明にのみ提供する型である。提供時間の誤差が問題になり、町内の若者が腕時計を自作して献立を守ろうとしたという噂がある[13]。
10. 収穫直後三献型(家筋の統一) - 収穫直後に三献(杯)出す型。ここで「三杯目だけは薄くする」ことが運の調整と説明され、食べる順番が家の序列に結びついたために、若い世代が反発したと記録されている[14]。
11. 雨樋撫で型(局地の作法) - 室内の雨樋を撫でてから調理に入る型。合理性は薄いが、当時の修繕職人が“撫でると水漏れが止まる”と信じていたため、いつしか運の儀礼へ接続されたとする推定がある[15]。
12. 多度“ク”誤記型(活字資料の癖) - 役所の謄写資料で「多度クエ」が「多度ク」と省略され、意味が曖昧になる問題が起きた型。後世の校訂者が“クエ=魚卵のこと”と補ったため、資料の型が増殖したという指摘がある[16]。
13. クエ解剖学的再分類型(研究者の暴走) - 1930年代に食品史研究の講習会が開かれ、粉・煮詰め・殻片を“器官”に見立てて分類した結果生まれた型である。語りは真面目なのに、講師が「胸腺」など人体語彙を混ぜたため、聴講者のあいだで冗談半分に定着したとされる[17]。
14. 札鉢のみ継承型(食より作法) - 実物の材料が途絶えたのち、木札と撫で方だけが残った型。近隣の神事として移行し、食は別の“温かい汁”に置き換えられたが、それでも「上書きは起きる」と信じる人が一定数いたとされる[18]。
各型は、同一家で併存しうる。たとえば「杉樽三日熟成型」と「二献型」が結合して語られるなど、語りは柔軟に編集されてきた。
歴史[編集]
成立の筋書き(“食”ではなく“手続き”が先に育った)[編集]
多度クエの成立は、単なる料理の発明ではなく、作法の体系化にあったとする説がある。19世紀後半、では収穫期の疲労対策として、温かい発酵素材の“まとめ食い”が奨励されたとされるが、同時期に衛生官吏が「香りが立つものは腐敗と誤解されやすい」と注意したため、手続き(札・回数・口上)が“腐敗しない理由”として付与されていった、という筋が語られる[19]。
この過程で登場したのが、伝承上「運筆(うんぴつ)」と呼ばれた書記の集団である。彼らは木札に口上を書き込む係として雇われ、札の文字が保存性を高めると信じられた。なお、ある家の記録では札の文字が墨の濃さ「14段階」で調整されていたとされるが、真偽は不明である[20]。
社会に与えた影響(競争と誇示、そして小さな事件)[編集]
多度クエは、個々の家の“運の管理”として機能したため、町内の競争心を煽る要因にもなったとされる。たとえばでは、収穫祭の屋台が増えた年に「藁打ち十三回型」を提供した家が妙に評判になり、翌年は同型の回数を偽造する若者が出たという噂が残る[21]。
また、商いの季節になると外部客の需要が伸び、の一部の食材問屋が「多度クエ粉」と称する混合物を売り始めたとされる。ただし、問屋が独自配合した粉は札鉢の儀礼条件と噛み合わず、食べた客が“運が上書きされない”として苦情が出た。結果として、札鉢の貸し出し制度(木札付き)が半ば強制的に整備されたとする記録がある[22]。
研究・校訂の系譜(書き換えられる伝承)[編集]
20世紀に入ると、収集の過程で手帳類が整理され、同じ家の記録でも数値換算が入って「より科学的」な姿へ変わっていったとされる。特に粉量や冷却秒数が、聞き取りの曖昧さを埋める形で“換算表”に統一され、結果として「0.83匁」や「27秒」などの具体値が生まれた、と説明されることが多い[23]。
一方で、校訂者の中には「多度クエは乾燥甲殻片の栄養素で説明できる」として、別分類(栄養学的再分類)を進めた人物もおり、伝承が“理屈”に侵食されたとの批判が出たとされる。なお、その際に用いられた分類名に人体語彙が混ざったため、講習資料が人気を博したという逸話も同時に伝わっている[24]。
批判と論争[編集]
多度クエには、長年「効能の説明が後付けではないか」という論点があった。とくに、運気の上書きという表現は宗教的解釈へ接続されやすく、町の教育関係者のあいだで「儀礼が子どもの迷信を強化する」として警戒されたという記録がある[25]。
ただし一方で、調理工程の反復が結果として“温かい食習慣”を作るため、栄養面・衛生面での合理性があり、伝承の形式が行動を安定させたのではないか、という反論も残っている。また、数値化の根拠が薄い点(換算表の由来、秒数の測定方法など)については、後世の校訂に伴う“脚色”が疑われ、当事者の家系が不満を述べたという証言もある[26]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐々木清次『多度町の即席儀礼食と札鉢の系譜』三重地方民俗刊行会, 1998.
- ^ Margaret A. Thornton『Codified Ritual in Regional Fermented Foods』Oxford University Press, 2007.
- ^ 中村雲影『江戸後期における“手続きの食品化”』第5巻第2号, 民俗食研究会, 1981.
- ^ 山本理沙『木札と口上が作る継続行動:多度クエの記憶装置』Vol. 12, 日本食行動学会誌, 2016.
- ^ Hiroshi Kadowaki『On the Arithmetic of Folk Recipes』Journal of Applied Folklore, Vol. 3 No. 1, 2020, pp. 41-63.
- ^ 伊藤尚武『三重の便覧資料に見る誤記と改題—多度クエ「クエ」問題—』第41巻第6号, 三重史料学研究, 1974.
- ^ 田端啓介『温度換算の文化史:36.8℃伝承の比較』pp. 120-139, 食文化翻訳研究所, 2003.
- ^ Charles B. Lindell『Tables, Conversions, and the Myth of Exactness』Vol. 8, Cambridge Field Notes Press, 2011, pp. 205-221.
- ^ 渡辺精一郎『熱くない指先:火加減の民間定義とその数値化』第9巻第3号, 農商資料研究, 1912[要出典].
- ^ 瀬戸口恭介『運筆集団と木札文字の墨調整(仮説)』第2巻第1号, 地方書記学会報, 1955.
外部リンク
- 多度クエ資料アーカイブ
- 三重民俗食データベース
- 札鉢保存会の記録庫
- 地域発酵史メモリアル
- 図書館横断手帳目録