日本ルムンバ研究会
| 設立 | 1978年(非公式の発足)/ 1982年(規約化とされる) |
|---|---|
| 活動領域 | 政治思想、オーラル・ヒストリー、音響アーカイブ |
| 所在地 | 東京都文京区(仮事務局) |
| 機関紙 | 『ルムンバ綴』(1991年創刊) |
| 会員数 | 公称:45名(2003年時点)/ 実効:年により増減 |
| 主な手法 | 同時通訳メモの復元、録音の周波数解析 |
| 提携関係 | 大学研究室・地方文化団体(いずれも実態は曖昧とされる) |
| 年間イベント数 | 平均 3.6回(1999〜2004年の集計とされる) |
日本ルムンバ研究会(にほん るむんば けんきゅうかい)は、ルムンバ元首相を題材とした「思想・音楽・記憶の総合研究」を掲げる日本の団体である。1970年代後半に同人誌サークルとして始まり、後に学術的な体裁を整えたとされる[1]。
概要[編集]
日本ルムンバ研究会は、カリスマ性の強い政治家としての像を、文献だけではなく「語りの癖」や「声の帯域」にまで分解して扱うことを特徴とする団体である。研究会では、演説を文字起こしするだけでなく、同時代の録音に含まれる雑音まで「時代の証言」として保存し、解釈に用いるとされる[1]。
その成立経緯は、1970年代の日本で相次いだ左派系の読書会が、次第に「思想史」から「音の記録史」へと移行していった流れの延長に位置づけられている。なお、同研究会は学術機関の下部組織のように見えながら、実際には複数の同人・通信教育・私設アーカイブを横断する形で運営されたと語られている[2]。
歴史[編集]
発足前史:『沈黙の翻訳』運動[編集]
同研究会が直接の源流とされるのは、1976年ごろに大阪府で始まった「沈黙の翻訳」読書会であるとされる。この読書会では、翻訳における省略を問題視し、原語の“言い淀み”に対応する日本語がないことを「欠落の政治」として記録した。さらに、録音の再生速度を変えたときにだけ現れる言葉の輪郭があるとして、再生機の型番まで名簿化したとされる[3]。
転機は、当時学生だった渡辺 精一郎が「翻訳は音の統計でもある」と提唱し、会の外で配布されていたカセットテープを回収・再評価するための集団が形成された点にある。これが、のちに日本ルムンバ研究会へと名前を変えた流れだと説明されることが多い[4]。
規約化と拡散:文京区の“仮事務局”[編集]
研究会はに規約化されたとされる。ただし、当時の資料は「仮」の表紙を付けたまま製本されたため、のちの追認で日付がぶれることがあると指摘されている。規約化の議論では、会費を月額250円に統一し、集会の席順は“声が低い順”にする案まで出たとされるが、これは採用されなかった[5]。
同研究会の仮事務局は東京都文京区の小さな印刷所の一角とされた。そこでは、研究メモの紙質を統一するため、年間購入紙量が「1箱あたり約3,920枚(湿度65%計測時)」であることが細かく管理されていたという。こうした執念が、後に「音響アーカイブのような研究」を可能にした要因だと見なされている[6]。
1990年代以降:『ルムンバ綴』と“帯域論争”[編集]
1991年に機関紙『ルムンバ綴』が創刊され、研究会は「声の周波数」を用いて演説の意図を推定する理論を、半ば冗談半ばで体系化した。議論を広げたのは、録音に残るハム音(主に50〜60Hz帯)を政治の緊張の指標と見なす説であり、支持者は“帯域が思想を運ぶ”と主張したという[7]。
一方で、反対派は「雑音を根拠に思想史を確定させるのは危険である」と批判した。特にの第12回定例会で、ある会員が「特定のテープでだけ出る帯域」をもとに結論を出したとして議論が紛糾し、以後、周波数解析の結果は“推定”と明記する運用に切り替わったと記録されている[8]。
活動と社会的影響[編集]
同研究会は、政治思想研究の体裁を保ちながら、実際には地域の音響イベントや読書会の設計にも踏み込んだとされる。たとえば1999年の“記憶再生フェス”では、会員が一般来場者の「懐かしい声」を集め、同一形式の波形に整えて展示する“追体験コーナー”を設けた。展示数は全部で37点、再生時間は合計で128分とされ、来場者アンケートは回収率61.3%(配布1,240枚、回収762枚)と報告された[9]。
この活動は、政治的スローガンの理解方法を「文章中心」から「聴取中心」へと拡張した点で影響があったと解釈されている。実際、研究会の講演をきっかけに、大学の授業で録音教材を用いるケースが増えたとする証言がある。ただし、研究会側は「授業を作ったのではない。方法論を持ち込んだだけだ」と距離を取る姿勢も見られた[10]。
また、研究会は非公式の“翻訳メモ交換”網を運営し、国際会議での逐語資料の再構成を支援したとされる。報告書では、交換されたメモの総数が“少なくとも18,450枚相当”(紙換算の推定)とされ、これを根拠に対外発表が行われたと記されている。ただし、メモの実物が監査可能な形で残っていないことがあり、後年の検証では「存在した可能性が高いが、証明が難しい」と評価された[11]。
批判と論争[編集]
最大の論争は、音響解析を通じて思想の確度を上げようとした点にあった。批判者は、演説の感情や意図を波形から“読み取りすぎている”と指摘した。特にに行われた公開講座で、解析ソフトのバージョンが「当時の学生向け無償版(推定)」であることが後から判明し、研究会の信頼性に疑問が生じたとされる[12]。
一方で擁護側は、研究会の目的が「確定」ではなく「理解の補助」であると主張した。また、学術的な引用形式を守ろうとした結果、脚注が異様に長くなり、議論が“読む人依存”になったとの指摘もあった。編集者のは「脚注は迷路である。迷路は研究を守る」と語ったと伝わるが、どの会合で発言したかは資料により食い違う[13]。
なお、いくつかの会員は、研究会が政治活動を直接支援しているのではないかという疑いも受けたと述べている。ただし同研究会は「寄付や宣伝は行っていない。行っているのは再生と記録だけである」と繰り返した。さらに、その“だけ”の範囲がどこまでかが曖昧であったため、外部からは「記録は政治である」という反論も生まれ、論争が長引いたとされる[14]。
脚注[編集]
脚注
- ^ 田中 章義『声の帯域と政治言説:日本における受容史』青土社, 2005.
- ^ 渡辺 精一郎『沈黙の翻訳メモ——カセットテープ再生論(私家版)』文京印刷, 1983.
- ^ Suzuki, Yumi. “On Reading a Speech Through Noise Signatures.” Journal of Applied Archivistics, Vol.12 No.3, 2001, pp.44-61.
- ^ 中村 光成『機関紙が作る研究会——『ルムンバ綴』の編集史』東京学芸大学出版部, 2010.
- ^ Kawamoto, Haruto. “Fifty Hertz as Footnote: A Speculative Method.” International Review of Translation Practices, Vol.7 No.1, 1998, pp.9-27.
- ^ 吉田 玲子『音響展示の倫理と脚注の長文化』勁草書房, 2007.
- ^ Sato, Keisuke. “Reconstruction Networks for Conference Verbatim Notes.” Proceedings of the Subcommittee on Memory Formats, 第3巻第2号, 2004, pp.112-129.
- ^ 山脇 司『政治思想の統計的解釈——推定を確かめるために(第2版)』ライブラリー・プレス, 2016.
- ^ (出典不一致)Mori, A. “The ‘Only 128 Minutes’ Narrative.” 音楽史研究, Vol.5 No.4, 1999, pp.201-205.
外部リンク
- ルムンバ綴 公式アーカイブ
- 帯域論争まとめサイト
- 仮事務局・複製資料保管庫
- 記憶再生フェス記録館
- 翻訳メモ交換ネットワーク