東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)復興祈願祭
| 行事名 | 東日本大震災復興祈願祭 |
|---|---|
| 開催地 | 宮城県仙台市(青葉鳴神社) |
| 開催時期 | 毎年 3月14日〜3月16日(暦の事情により前後あり) |
| 種類 | 鎮魂・復興祈願祭(神事および市民行事) |
| 由来 | “揺れの記憶”を鎮めるとされる古式の反響祝詞に由来する |
| 関連行事 | 震波灯、鳴鉦巡行、海鳴り献湯 |
東日本大震災復興祈願祭(ひがしにほんだいしんさい ふっこうきがんさい)は、のの祭礼[1]。31年より続くの春の風物詩である。
概要[編集]
は、において実施される復興祈願を目的とした年中行事である。鎮魂の祈りと地域の結束を同時に示す形式をとり、祭り当日は市内各所で「揺れの記憶」を象った道具が掲げられる。
本行事は「災害そのものを語り継ぐ」というより、「揺れがもたらした連帯を儀礼化する」ものとして、関係者の間で“災後文化の第二季”と呼ばれてきたとされる。また、鳴り物の音数や灯籠の個数が細かく決められる点が特徴である。なお、いくつかの古資料では、灯の数が「被害の度合いを数えるためではなく、心の数をそろえるため」と説明されているが、これは後世の編集が混じった可能性も指摘されている[2]。
名称[編集]
祭りの公式名称は、が配布する「季節祭儀一覧」では「東日本大震災復興祈願祭」と表記される。一方で、現場では「大震のあとの春祭り」「鳴神の三日」といった略称が多く用いられている。
名称のうち「東日本大震災」は、古くから存在したとされる“東の揺れ”という信仰語彙を、明治期の文書整理の際に一括して整え直した結果であるとする説が有力である。なお、地元紙のコラムでは「震災という語が先にあり、復興祈願祭が後から名付けられた」と書かれた例もあり、語順の変更がいつ行われたかについては異説がある[3]。
由来/歴史[編集]
反響祝詞と“揺れの記憶”[編集]
行事の根幹は、古式の反響祝詞(はんきょうののりと)にあるとされる。この祝詞は、音を遠くまで飛ばして「戻ってきた音」で揺れの原因を浄化する、という解釈で伝えられてきたとされる。
の所蔵伝承では、祭礼の発端者としてという人物が挙げられる。渡辺は「音響浄化の実務官」として任命された人物として語られ、当時の行政文書(写し)が残るとされる。ただし、その写しの筆跡が近世のものとよく似ているとして、後年の編纂が混ざったと見る研究者もいる[4]。
また、祭りの象徴である「揺れ縄」は、被害の規模を表したものではなく、縄を“結び直す回数”が当時の祈りの回数に対応すると説明されるのが定番である。この語りは広く受け入れられているが、実際の縄が何回結び直されたかについては、聞き手によって数字が異なるという。具体的には、祭典奉仕の帳面で「合計 7,203回」とされる年がある一方、別資料では「7,201回」とされる例も報告されている[5]。
官民一体の儀礼設計[編集]
の復興が進む過程で、本祭は官民の共同事業として整備されたとされる。鍵となったのは「揺れを記念する掲示物の標準化」を担当したである。同局は、祭りの運営を“順番”で管理するための規程文を整備し、各地区の神輿・灯籠・献湯を統一仕様にしたとされる。
一方で、統一仕様が進むほど自由な即興が減ったとして、古い担ぎ手の間では不満が噴出した。そこで考案されたのが「即興は三日目の夕刻のみ許可する」という妥協策である。結果として、初日と二日目は規程優先、三日目は“揺れ縄の解き方だけは任せる”という運用になり、現在の形に至ったと説明される[6]。
この歴史は、行政史の体裁で語られてきたが、祭りの舞台装置の図面が“海鳴り”の表現に寄っている点から、音響工学の発想が混ざっている可能性が指摘されている。なお、当該図面の一部は「雨が降ると破れる」と注記されていたとされるが、真偽は不明である[1]。
日程[編集]
は、毎年からまでの三日間にわたり行われる。天候や交通事情により前後するが、いずれにしても「初日=鎮魂の音、二日目=復興の手、三日目=未来の灯」という配分が守られる。
初日には、(めいしょうじゅんこう)が行われ、午前 9時 33分に神社前へ到着するとされる。これは「揺れの余韻が最も聞こえる時刻」という言い伝えに由来するとされるが、実際には当日の潮位や風向きによって聞こえ方が変わるため、専門家からは“儀礼上の目安”に近いとの見方もある[7]。
二日目は「揺れ縄の結び直し」が中心で、各町内で合計 18本の縄が結び直されるとされる。ただし縄は一本ずつ色が異なり、青葉鳴神社の色帳では「藍が 4本、金が 3本、白が 11本」と記載される。色配分が年ごとに若干揺れることがあり、“その年の気分”が反映されると噂される[8]。
各種行事[編集]
本祭では多様な行事が実施される。代表的なものとして、第一にが挙げられる。震波灯は、光を円形に広げる燈籠を並べ、中心に「音の粒」を模した紙片を置くとされる。灯籠は合計 2,014基で、数が端数を含む点で毎年“誰が数えたか”が話題になるという。
第二に、がある。これは地元の湯屋と連携して行われ、三日間のうち最も参拝者が多い時間帯(概ね午後 2時台)にのみ、温度を 42℃ぴったりとする湯が提供される。温度管理は機械任せにせず、「湯の匂いが変わったら鍋が歌っている」として職人が判断するという説明が添えられるが、科学的根拠の文献は見つかっていないとされる[9]。
第三に、が行われる。太鼓は一回の打ち鳴らしを 64回で区切り、64という数字は“揺れの層の数”を示すという伝承がある。ただし、近年は太鼓の口径が更新されたため、音の層が理論上は増えているのではないかと論じられることもある。一方で、行事側は「層は測るものではなく、合わせるもの」として押し切ったとされる[10]。
地域別[編集]
宮城県内では、同じ本祭でも地域ごとに焦点が異なる。仙台市中心部はの隊列に力点を置き、青葉地区では太鼓の担当町内を“音の家系”として名簿管理しているとされる。
一方、沿岸寄りの町ではに色の意味づけが厚く、灯籠の色は海の状態と結び付けて説明されることが多い。たとえば、気象担当者が作る「風向きの簡易表」を持ち込み、灯籠の並べ方を当日朝に変更するという手順が慣例化しているという。
また、福島方面の参加者は「即興は三日目のみ」という規程を尊重しつつ、即興の内容を“紙の祈り折り”に寄せる傾向がある。この折り紙は「折った回数=声を出した回数」とされ、参加者の家族がそれぞれ回数を申告して完成させると伝えられている[11]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 東北鎮撫社会局『季節祭儀一覧(仙台版)』仙台民政印刷局, 1956.
- ^ 渡辺精一郎『反響祝詞の運用手引(改訂稿)』鳴神社事務局, 1962.
- ^ 佐久間理恵『音響浄化儀礼の数的規律—震波灯の基準を中心に』『東北民俗学紀要』第12巻第3号, pp. 41-78, 1981.
- ^ Margaret A. Thornton『Ritual Synchrony in Coastal Communities』University of Sendai Press, 1994.
- ^ 青葉鳴神社『神社所蔵伝承目録:筆写資料の来歴』青葉鳴神社出版部, 2001.
- ^ 堀内昌輝『儀礼の可変性—三日目に許される即興の制度設計』『地方行政と儀礼』第7巻第1号, pp. 9-27, 2008.
- ^ Kiyoshi Nakamura『Quake Memory and Lantern Counting: A Field Note』Journal of Seasonal Folklore, Vol. 19, No. 2, pp. 112-136, 2010.
- ^ 仙台市文化振興課『春の風物詩と祈願行事—参加者調査(仮)』仙台市, 2018.
- ^ 田村光一『42℃献湯の感覚史—湯の匂いを指標とする職能』『温浴儀礼研究』第4巻第2号, pp. 55-90, 2022.
- ^ Lydia R. Fenn『Echo Prayers and Civic Harmony』Midwest Ethnography Society Press, 1977.
- ^ 荒木玲奈『東日本大震災の語順変遷に関する一考察(誤植含む)』『季語学雑記』第3巻第4号, pp. 201-219, 1989.
外部リンク
- 青葉鳴神社 祭礼アーカイブ
- 仙台市 季節祭儀 データベース
- 震波灯 記録保存会
- 東北鎮撫社会局 史料閲覧室
- 海鳴り献湯 温度記録