松濤食肉卸売市場
| 名称 | 松濤食肉卸売市場 |
|---|---|
| 種類 | 食肉卸売市場・市場建築 |
| 所在地 | 東京都渋谷区松濤四丁目 |
| 設立 | 1937年 |
| 高さ | 地上18.4メートル |
| 構造 | 鉄筋コンクリート造・煉瓦被覆 |
| 設計者 | 渡瀬敬一郎建築研究所 |
松濤食肉卸売市場(しょうとうしょくにくおろしうりしじょう、英: Shoto Meat Wholesale Market)は、東京都渋谷区にある食肉卸売を主機能とする市場建築[1]。現在では、都市近郊型の低温流通施設と市場建築の折衷として知られている[1]。
概要[編集]
松濤食肉卸売市場は、東京都西部の丘陵地に位置するとされる、戦前期の都市衛生政策から生まれた市場建築である。建物は表向きは卸売市場であるが、実際には「静音搬入」「夜明け前競り」「熟成待機庫」の三機能を一体化した珍しい施設として語られている[1]。
現在では、渋谷区内でも特に地価の高い区画にありながら、背面に冷蔵搬入口、側面に荷捌き回廊、屋上に換気塔を備える独特の外観から、建築史家の間でしばしば「肉の百貨店」と通称される。また、設立当初から周辺の地区の景観調整に配慮したため、正面玄関は住宅街側から見えにくい位置に置かれている[2]。
この施設の成立には、昭和初期の屠畜流通再編と、都心部の臭気対策をめぐる行政指導が深く関わっていたとされる。一方で、創設者の一人がの乾物商出身であったことから、「市場なのに最初から包装が丁寧すぎた」とする逸話も残る[3]。
名称[編集]
名称の「松濤」は、所在地とされる地名に由来するが、建設当初は「松濤簡易食肉集積所」という仮称が用いられていたという[1]。この仮称は昭和12年の起工図面にのみ記され、竣工時には商業的印象を強めるため現在の名称に改められたとされる。
また、「卸売市場」という語が付されているが、通常のとは異なり、同施設は商品登録よりも「搬入温度」「枝肉規格」「香りの流出制御」を優先する内部規定を持っていた。これにより、一般的な市場施設よりも冷蔵庫棟の比率が高く、名称と実態の差異がしばしば議論の的となった。
なお、古い聞き書きでは、開設時に市場関係者が「渋谷の肉は松濤で眠る」と標語を掲げたとされるが、当時の印刷物は現在まで確認されておらず、要出典とされることが多い。
沿革[編集]
創設期[編集]
、東京市の食肉流通改善計画の一環として、との折衝の末に計画が具体化した。設計を担当した渡瀬敬一郎は、当時銀座で百貨店倉庫を手がけていたが、搬入口の静音化技術を市場建築に転用したことで知られる[2]。
起工式は昭和12年4月3日に行われ、式典では近隣への配慮として太鼓の代わりに木箱を一段低い音程で叩くという、やや奇妙な演出が採用された。完成は翌1938年とされ、竣工式には当時の食糧統制関係者が出席したが、記録写真の一部にはなぜか牛ではなく山羊が写り込んでいる。
戦後から高度成長期[編集]
の食肉配給制度改編により、同施設は一時的に都の準公営施設として再編された。この時期、世田谷区の屠畜業者が夜間にトラック列を形成し、周辺住民との摩擦が生じたが、翌年には搬入時刻を午前2時17分に固定することで収束したとされる[3]。
の東京オリンピック前後には、外国人記者向けに市場見学コースが設けられ、衛生帽をかぶった案内係が「ここは臭わない市場である」と英語で説明したという逸話が残る。もっとも、当時の案内文に書かれた英語はやや不自然で、後年の編集で誤訳が増えた可能性がある。
現代の保存運用[編集]
以降は、低温流通の高度化により卸売機能の多くが近隣の物流センターへ移されたが、松濤食肉卸売市場自体は「市場景観を保持する現役建築」として残された。現在では一部区画が東京都の景観資産的扱いを受け、毎年7月の「夜明け前公開日」には内部通路が限定開放されている[4]。
また、2010年代には屋上の換気塔から鳩が規則的に飛び立つ様子が話題となり、都市鳥類学者の間で「鳩の時刻表が市場の温度管理に同期している」とする説が流布した。これはほぼ間違いなく誇張であるが、施設の奇妙な人気を支える要素の一つとなっている。
施設[編集]
主屋は地上3階・地下1階で、1階に荷捌き場、2階に競り場、3階に衛生検査室が置かれている。地下には「熟成待機庫」と呼ばれる低温室があり、かつては1日平均38.6トンの枝肉がここを経由していたとされる[1]。
建物正面の煉瓦は、千葉県産の焼成煉瓦を用いたとされるが、補修記録には愛知県の耐寒煉瓦が混在している。外壁の一部には肉色を避けるためやや灰緑色の釉薬が使われ、近隣の住宅群と調和するよう工夫された。
特徴的なのは搬入回廊で、トラックが坂道で減速しないよう、床面が0.8度だけ内側に傾斜している。この微妙な傾きは「肉が勝手に中央へ寄る」として市場関係者に重宝されたが、実際には台車の暴走事故を2度起こしている。
交通アクセス[編集]
最寄り駅はのとされるが、施設側は長らく「徒歩12分」と案内しており、実際には坂道の勾配を含めて約17分かかる。朝の搬入時にはの一部が一時的に片側交互通行となることがある[4]。
かつてはからの直通貨物小路が存在したという説もあるが、これは戦後の区画整理図に描かれた点線の扱いを誤読したものと考えられている。ただし、地元の古老の証言では「肉を積んだ台車が迷わず来た」とされ、完全に否定はされていない。
なお、施設の玄関前には二輪車の停車枠が8台分あるが、これは来客用ではなく、競り人の旧式オートバイを置くために設けられたものである。
文化財[編集]
松濤食肉卸売市場の本館外壁および換気塔は、東京都の近代産業遺産候補として扱われている。また、内部の木製競り台はの補修時に張り替えられたものが残っており、戦後市場建築の実物資料として価値が高いとされる[5]。
一方で、施設内の「枝肉秤量台」は、通称「三百六十五番の台」と呼ばれている。これは年間365日、閉場日にもなぜか重さだけは測る習慣が続いたことに由来するというが、実際には記録係が日付を取り違えていただけだったという説もある。
2018年には、正面玄関の真鍮製扉把手が「昭和都市市場の意匠を示すもの」として保護対象に指定された。もっとも、把手の左右で摩耗の進み方が異なるため、来場者の間では「右手で開けると肉運が上がる」といった俗信まで生まれている。
脚注[編集]
[1] 松濤食肉卸売市場保存調査委員会『松濤食肉卸売市場調査報告書』第3巻第2号、2019年、pp. 11-46。
[2] 渡瀬敬一郎「都市市場における静音搬入技術の応用」『建築と流通』Vol. 14, No. 6, 1938年, pp. 3-19。
[3] 木村庄三郎『渋谷食肉史断章』渋谷郷土文化会、1972年、pp. 88-91。
[4] 東京都市景観協会「夜明け前公開日と周辺交通の変遷」『都市景観年報』第22号、2006年、pp. 77-82。
[5] Margaret L. Thornton, "Cold Markets and Warm Cities: Adaptive Reuse in Tokyo", Journal of Urban Heritage Studies, Vol. 9, No. 1, 2015, pp. 104-129。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 松濤食肉卸売市場保存調査委員会『松濤食肉卸売市場調査報告書』第3巻第2号、2019年、pp. 11-46.
- ^ 渡瀬敬一郎「都市市場における静音搬入技術の応用」『建築と流通』Vol. 14, No. 6, 1938年, pp. 3-19.
- ^ 木村庄三郎『渋谷食肉史断章』渋谷郷土文化会、1972年、pp. 88-91.
- ^ 東京都市景観協会「夜明け前公開日と周辺交通の変遷」『都市景観年報』第22号、2006年、pp. 77-82.
- ^ Margaret L. Thornton, "Cold Markets and Warm Cities: Adaptive Reuse in Tokyo", Journal of Urban Heritage Studies, Vol. 9, No. 1, 2015, pp. 104-129.
- ^ 中西由紀子『戦前東京の衛生建築』中央都市史刊行会、1984年、pp. 201-239.
- ^ Shinji Arai, "The Quiet Market: Meat Logistics and Neighbourhood Planning", Architecture & Commerce Review, Vol. 7, No. 4, 1999, pp. 55-73.
- ^ 渋谷区教育委員会『松濤地区建築景観資料集』第5版、2011年、pp. 14-29.
- ^ 平井健一『食肉市場の近代史』農政資料社、1965年、pp. 62-70.
- ^ Eleanor H. Price, "A Market That Sleeps Before Dawn", Proceedings of the Eastern Urban Studies Association, Vol. 11, No. 2, 2020, pp. 18-41.
外部リンク
- 松濤食肉卸売市場保存会
- 東京市場建築アーカイブ
- 都市低温流通研究所
- 渋谷近代建築史資料室
- 夜明け前公開日公式案内