汁坊の宿泊地一覧
| 対象 | 汁坊の伝承に基づく宿泊地(架空の記録含む) |
|---|---|
| 収録方針 | 現地の文書・口承・石碑照合にもとづくとされる |
| 成立時期 | 1980年代後半(同人誌版の流通が起点とされる) |
| 編集主導 | 東北地方の“湯宿目録研究会” |
| 判定基準 | 『宿賃帳』と称される記録の整合性 |
| 公開形態 | 紙冊子と手描き地図の併用 |
汁坊の宿泊地一覧(しるぼうのしゅくはくちいちらん)は、「汁坊」として知られたとされる人物(伝承上の存在)が滞在したと記録される宿泊地を、年代と地域に沿って整理した一覧である[1]。本一覧は、観光案内でも研究資料でもない“第三の資料”として、昭和末期から郷土サークルの間で流通してきたとされる[1]。
概要[編集]
汁坊の宿泊地一覧は、特定の人物の行動記録というより、土地の語り口や“味覚の地名”がどう固定化されていったかを示す資料として扱われている[2]。ただし、収録項目の中には、実在の宿名に対して本来別時代の文言が接続されている例があり、一覧編集の過程で意図的な“つなぎ直し”が行われた可能性が指摘されている[3]。
一覧の成立経緯としては、1987年に青森県で開かれた小規模な巡礼会が発端になったとする説がある。参加者が「宿の格付けではなく、汁の出方で辿るべきだ」と主張し、帳簿の空白を地元の石碑の文字数で補ったことが、現在の構成(宿泊地名+年号+“汁に関する細部”)へつながったとされる[4]。
選定基準と掲載範囲[編集]
選定基準(表向きの理屈)[編集]
掲載地は、(1)宿札・宿帳・古い領収控えなどの“紙の証拠”、(2)井戸端の口承、(3)風習(例:食後に配られる小皿の形)の3要素のうち、少なくとも2要素に一致がみられるものとして整理されたとされる[5]。さらに“年”は、当該地域での湯銭の改定年と一致するよう調整されることが多かったとされる[6]。
また、本一覧では同名の宿を避けるため、門前の川筋(例:水系、など)で区別する方式が採用されたと説明される。実務面では、宿の玄関から“最初に嗅ぐ出汁の匂い”が何種類かまで記すことで、同一施設の誤登録が減ったとする記述がある[7]。
実務上の裏事情(やけに細かい数字)[編集]
一方で、目録の照合には異様に具体的な閾値が用いられたとされる。たとえば、同一宿に対して複数の年号が存在する場合、石碑の“文字の欠け数”が3つ以内であれば採用され、4つ以上なら“汁坊の到着年が後ろ倒しされた”扱いになるとされる[8]。この規則は、後に福島県の印刷業者が「校正の言い訳に使える」と評し、結果として一覧の信憑性を補強する役割を果たしたともいわれる[9]。
なお、一覧には“補助データ”として、宿の湯樽の口径(単位:尺で記されることが多い)や、初日と二日目の味噌の匂いが違うとされた回数(“2回違うなら別泊扱い”)が紐づけられている例もあると報告されている[10]。
汁坊の宿泊地一覧[編集]
以下に、汁坊の宿泊地一覧に収録される主要項目を年代・地域の混合形式で掲げる。各項目には、収録理由となった“汁の細部”や編集者の逸話が付されている[11]。
1. 霧島屋敷(青森県中泊町、享保相当)- 1〜3文の説明と面白いエピソード。霧島屋敷では、玄関から3歩目で「昆布と鰹の境目」が判別できたため、宿帳の行方不明部分を匂いの言い回しで埋めたとされる[12]。なお、当時の“湯気の高さ”が6尺に達すると汁坊が止まった、という口承が添えられている[13]。
2. 湯宿・霜月(盛岡市、寛文相当)- 1〜3文の説明と面白いエピソード。湯宿・霜月の評価は、食卓に置かれた皿が「角が立っているか」で決められ、汁坊は“角が立つ皿の日だけ”小さく咳払いをしたと記される[14]。このため一覧では皿の材(薄い藍釉)まで採録されたとされる[15]。
3. 北峰の小宿(秋田県大館市、元禄相当)- 1〜3文の説明と面白いエピソード。北峰の小宿は“味噌が立つ音”で年号が確定したという異例の扱いを受けている[16]。編集会議では「火加減の証言が2人しかないなら、採用条件を音で拡張する」と決まったとされる[17]。
4. 川向け待合(宮城県気仙沼市、相当)- 1〜3文の説明と面白いエピソード。川向け待合は、到着時刻が“潮位ではなく湯の色”で書かれていたため、塩分濃度(仮の換算表)が一覧に組み込まれている[18]。その結果、同時期の他宿と混同されにくかったとされる[19]。
5. だし井戸庵(鶴岡市、明和相当)- 1〜3文の説明と面白いエピソード。だし井戸庵には井戸水の“冷たさが口に残る秒数”が伝承され、汁坊はその秒数が「7秒ちょうど」とされる夜に連泊したと記録される[20]。編集者の一人が実測を試み、結局「7秒は無理」と結論づけたが、一覧ではその後も“7秒”が採用されたという[21]。
6. 釜の町・小旅籠(東京都台東区、相当)- 1〜3文の説明と面白いエピソード。釜の町・小旅籠は、戦前の旅館名が複数転売されたにもかかわらず、入口の掲示板に残る“汁坊の文字数”だけが一致したとして採録されている[22]。この一致率が“42%”と算出され、一覧の表ではなぜか強調されている[23]。
7. 早蕎麦の宿(神奈川県鎌倉市、天保相当)- 1〜3文の説明と面白いエピソード。早蕎麦の宿は、出汁の香りを「午前と午後で同じ」と証言する人が多かったため、汁坊の滞在が1日単位で確定したと説明される[24]。ただし、実際には香りの証言は3種類に割れており、一覧はその“割れ方”を美談として採用している[25]。
8. 川霧の湯座(千葉県銚子市、文政相当)- 1〜3文の説明と面白いエピソード。川霧の湯座では、湯船の縁に「白い泡が出るまでの回数」が記録されており、汁坊の到着日は“6回目”とされる[26]。目録編集者はこれを「気配を数えた」と称し、数字をそのまま本文に残した[27]。
9. 梓川の煮込み宿(長野県松本市、相当)- 1〜3文の説明と面白いエピソード。梓川の煮込み宿は、味噌の焦げ色の程度が「七段階で数える」とされ、そのうち汁坊が来た日は“第三段階”だったと書かれている[28]。この段階表がどこから出たかは不明とされるが、一覧はあえて“第三段階”を神聖視している[29]。
10. 雪解け前の宿屋(新潟県上越市、安政相当)- 1〜3文の説明と面白いエピソード。雪解け前の宿屋は、豪雪の年に限って湯が濁ることで知られ、汁坊の到着日だけ濁りが「薄い硫黄色」だったとされる[30]。この色名が後に印刷用の顔料名に近いことから、編集側の工夫だったのではないかとする指摘もある[31]。
11. 名刹出汁院(愛知県名古屋市、相当)- 1〜3文の説明と面白いエピソード。名刹出汁院では“出汁の修行”が看板に掲げられていたため、汁坊は修行者として扱われたとされる[32]。しかし宿帳には「弟子ではなく客」と朱書きが残っており、一覧の説明ではこの矛盾を“逆にそれが証拠”として扱っている[33]。
12. 山門前の汁宿(大阪府大阪市、相当)- 1〜3文の説明と面白いエピソード。山門前の汁宿は、宿の女将が語った「汁を一度混ぜると、混ぜ棒が唸る」という逸話が採録理由になったとされる[34]。この“唸り”を音階で書き起こした紙が現存するとされるが、所在は編集会員のみが知っているという[35]。
13. 田楽橋の湯端(京都府京都市、明治相当)- 1〜3文の説明と面白いエピソード。田楽橋の湯端は、橋の欄干の欠けが三箇所で一致したことから採用されたとされる[36]。編集者は「三箇所は縁起がよいので反証を封じる」と手記に残しており、ここが一覧の“少しおかしい”部分の核になっている[37]。
14. 白味噌の里旅籠(兵庫県神戸市、昭和相当)- 1〜3文の説明と面白いエピソード。白味噌の里旅籠では、味噌の白さが“新聞紙の折り目”と比較されたとされる[38]。当時の新聞銘柄が一覧末尾の参考文献に紐づけられているが、参照が増えるほど結論は弱くなるという、典型的な編集ノリも見られる[39]。
15. 海霧の小皿屋(尾道市、弘化相当)- 1〜3文の説明と面白いエピソード。海霧の小皿屋は、汁坊が小皿を“捨てずに重ねた”ため、皿の枚数が三枚増えた記録が引用されたとされる[40]。つまり「滞在の証拠が食器の増殖」という、一覧らしい飛躍が採用されている[41]。
16. 島風の宿帳院(高松市、元治相当)- 1〜3文の説明と面白いエピソード。島風の宿帳院は、宿帳が途中で改装図に差し込まれていたため、改装図の縮尺(1/30)が滞在年の根拠になったとされる[42]。ただし、縮尺の“桁”は現地写真から推定されたとされ、確度が議論されたと記される[43]。
17. 霧の茶碗屋(福岡県福岡市、1919年相当)- 1〜3文の説明と面白いエピソード。霧の茶碗屋では、茶碗の釉薬が濡れる速度で日付を割り出したとされる[44]。一覧には“濡れ速度0.8秒”という値が残っているが、編集後に誰も測定できなかったため、最後は「測れないが重要」で落ち着いたとされる[45]。
歴史[編集]
同人目録としての誕生と“味覚の行政化”[編集]
汁坊の宿泊地一覧は、最初から“学術”として生まれたのではなく、町の語りを守る活動として育ったとされる。1987年の青森県巡礼会では、宿の所在地を地図化する際に「行政区分で区切ると、汁の伝承が切れてしまう」と主張されたとされる[46]。この結果、一覧は区画ではなく“出汁の階梯”で編集され、味覚が地理の代替ラベルになっていった。
その後、1992年にが発行した試作冊子で、宿泊地の並びが“汁坊の移動順”から“汁坊の胃の調子”へと再編されたという。編集者の一人は「胃が重い日は、橋を渡るより鍋を見たがる」と記したとされる[47]。このため、一覧は読み物としても成立し、結果として資料性が逆に高まったと説明されることがある[48]。
批判を受けつつも増補された理由[編集]
一覧はしばしば“根拠の薄さ”が批判されたが、増補が止まらなかったとされる。理由としては、収録される数字が細かいほど「検証していない人には刺さらない」仕組みになっていたためだとする見方がある[49]。たとえば、各宿の脚注欄では「匂いの境目が判別できない場合は、石碑の欠けが3つ以下か確認する」といった、検証の回路が提示されていたという[50]。
また、編集者が実在の組織名を借りることで信憑性を装った例も指摘されている。実際には当時存在しないはずの“出汁監査課(仮名)”という文書様式が、一部の項目にだけ紛れ込んだとされる[51]。この種の混在は、読む側の違和感を笑いに変え、かえって資料が長生きする要因になったとされる。
批判と論争[編集]
汁坊の宿泊地一覧に対しては、史料批判の観点から複数の論点が提示されている。第一に、宿帳と称される記録が、地域によって文字の癖(書き癖)まで統一されているように見える点が疑問視されている[52]。第二に、一覧内で参照される年号が、実際の湯銭改定と完全一致しないケースがあり、少なくとも一部は“匂い換算”で調整されたとみられる[53]。
ただし反論として、一覧は“旅程の事実”ではなく“旅程の語り方”を保全する目的で作られたとする主張もある。編集者は「誤りを残すことも文化の記録」であると述べたとされる[54]。さらに一部の研究者は、細かすぎる数字(例:濡れ速度0.8秒、混ぜ棒の唸り回数)こそが、当時の即興的な編集作業の痕跡であり、むしろ真正性を示すという立場を取っている[55]。
なお、もっとも有名な論争として、「釜の町・小旅籠(東京都台東区)で提示された“汁坊の文字数42%”は、計算法が未記載であるにもかかわらず、なぜか次版で完全に固定化された」という指摘がある[56]。この件は、検証不能な値を検証した体裁で残した例として、資料界隈で半ばネタにされ続けている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯雫『出汁の地理学:口承目録の編み替え技法』海鳴書房, 1994.
- ^ Margaret A. Thornton『Gastric Cartography in Local Folklore』Cambridge University Press, 2001.
- ^ 伊藤珊瑚『宿帳の継ぎ目と年号調整(第◯巻第◯号)』史料編集学会誌, Vol.12 No.3, 1989.
- ^ 高橋碧『湯気の高さが示す移動—汁坊伝承の数理化—』北東文庫, 1998.
- ^ “湯宿目録研究会”『汁坊の宿泊地一覧(試作版)』湯宿目録研究会出版部, 1987.
- ^ 北川一弥『石碑欠け数による同定手順(校正の実務)』校閲工房, 2003.
- ^ Liu Qian『On the Reliability of Flavor-Based Date Inference』Journal of Imaginary Ethnology, Vol.7, No.1, 2010.
- ^ 松本和貴『匂い換算年号の経緯と限界(pp.113-129)』地方史技術叢書, 2012.
- ^ 青島利文『出汁監査課の“様式”について』公文書にみる誤配, 第2版, 2016.
- ^ 山下灯子『宿賃帳の読み替え実践:42%問題を追う』嘘実践学出版社, 2020.
外部リンク
- 汁坊目録アーカイブ
- 湯宿目録研究会 失われた帳面の展示
- 匂い換算年号の計算倉庫
- 石碑欠け数シミュレータ
- 出汁監査課の偽装書式コレクション