米山 万柚子
| 氏名 | 米山 万柚子 |
|---|---|
| ふりがな | よねやま まゆこ |
| 生年月日 | 1887年4月18日 |
| 出生地 | 長野県筑摩郡米山村 |
| 没年月日 | 1954年11月2日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 民俗観測家、教育者、随筆家 |
| 活動期間 | 1909年 - 1952年 |
| 主な業績 | 山村暦法の整備、柚子年輪帳の編纂、果実記録芸の普及 |
| 受賞歴 | 帝都文化記録章(1938年)、信州民芸功労賞(1951年) |
米山 万柚子(よねやま まゆこ、 - )は、日本の民俗観測家、旧制女学校講師、ならびに「果実記録芸」の創始者である。山間部の生活暦を柚子の成熟と結びつけて整理した人物として広く知られる[1]。
概要[編集]
米山 万柚子は、長野県の山村に生まれた民俗観測家である。農事、天候、果実の熟度を独自の符号で記録し、のちに「果実記録芸」と呼ばれる形式を確立した人物として知られる[1]。
彼女の仕事は、明治末から昭和初期にかけて、地方の生活実感を可視化する試みとして受け止められた。また、系の教育者や研究者との交流を通じ、山村の暦を学術化する動きに一定の影響を与えたとされる[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
万柚子は、の旧家に生まれた。家は米穀問屋を営んでいたが、祖母が柚子の皮を乾燥させて帳面の背に挟む習慣を持っており、これが後年の「柚子年輪帳」の着想源になったという[3]。
幼少期には、積雪の深さを障子の桟に刻み、春先の芽吹きを墨の濃淡で比べるなど、早くから観察癖を示した。地元の尋常小学校では算術よりも習字と図画を好み、教師のから「年景を読む目がある」と評されたと伝えられる。
青年期[編集]
、の女学校に進学したのち、の公開講座を聴講し、系の民俗採集に強い関心を示したとされる。もっとも、本人は「採るのではなく、熟すのを待つ学問である」と語ったとされ、この発言が後年の果実比喩の基調になった[4]。
には内務省が主催した地方生活改善懇談会の記録補助に参加し、集落ごとの収穫時期を色分けする独自の帳簿様式を提示した。この帳簿は当初「見にくい」と不評であったが、代に入ると教育現場で再評価され、女子教育の補助教材として細々と流通した。
活動期[編集]
、万柚子はの非常勤講師となり、郷土観測学の講義を担当した。講義では、稲の出穂、栗の落果、柿の色づきを一枚の図表にまとめる方法を示し、学生たちに「村はカレンダーではなく果樹園のように理解されるべきである」と説いたという[5]。
には『柚子年輪帳』全十二冊の試作版を完成させ、を中心に配布した。各冊には、日付の代わりに果実の成熟度が段階表記され、たとえば「蜜柑三分熟」「寒柿曇天止まり」などの独自単位が用いられた。なお、この方式は一部の林業関係者から「やや詩的に過ぎる」と批判されたが、山間部の聞き書き整理には有効であったとされる[6]。
1938年には帝都文化記録章を受賞した。受賞理由は「生活暦の記述を通じて、地方の時間感覚を社会教育へ接続した」こととされるが、実際には審査会の一部委員が彼女の提出した柚子色の製本見本を高く評価したためだという逸話が残る。
晩年と死去[編集]
戦時下には紙不足のため記録活動が停滞したが、万柚子はの裏面や包装紙に断片的な観測を続けた。以降は郊外の知人宅に身を寄せ、庭先の柚子三本を「最後の暦」と呼んで毎日観察したという[7]。
、脳溢血のためで死去した。遺品の中には、未完成の「第十三年輪帳」と、柚子の皮を押し花のように綴じ込んだ小冊子が含まれていたとされる。墓碑には「時は熟して去る」と刻まれており、これは本人の筆致を写したものとされるが、真偽は定かでない。
人物[編集]
万柚子は、温厚で寡黙であった一方、観察対象の細部には異様にこだわる人物であったと伝えられる。たとえば、同じ柚子でも「朝露を受けたもの」「北風にさらされたもの」「鶏が一度つついたもの」を別項目として記録し、弟子たちを困惑させたという。
逸話として有名なのは、の講義中に停電が起こった際、彼女が蝋燭の火を見ながら「これで本日の熟度は八割である」と述べた件である。この発言は、後にの学生間で「八割熟成」という比喩表現として流行した。
また、万柚子は服装にも一定のこだわりを持ち、季節に応じて襟元の留め具を変えていた。夏は柚子色の根付、冬は煤竹色の帯留めを用いたとされ、知人のは「彼女の持ち物はすべて観測器具のようであった」と回想している[8]。
業績・作品[編集]
果実記録芸[編集]
万柚子の最大の業績は、「果実記録芸」と呼ばれる記録法の創始である。これは、単なる農事日誌ではなく、果実の色、重量、香り、落下の角度までを記号化し、文字と図形のあいだを往復する表現形式であった[9]。
この手法は大正末期の郷土研究会で注目され、のちにの記録教材にも採用された。ただし、採点者の中には「文学とも統計ともつかぬ」と評する者もおり、学術的地位は長く揺れていた。
主な著作[編集]
代表作に『柚子年輪帳』『村の熟度』『霧と果皮』などがある。とくに『村の熟度』は、の七つの集落を一年かけて歩いた記録をもとにしたもので、各章の末尾に「本日、柿は話しかけず」といった短文が添えられている[10]。
また、『霧と果皮』は、霧の発生と果皮の張りを対応させる独自理論を示した随筆集である。現在では読み物として知られる一方、当時は農商務省の一部担当者が真面目に気象参考資料として閲覧していたとする記録が残る。
研究会と弟子[編集]
万柚子の周辺には、、、などの団体が集まり、半ばサークル、半ば研究会のような形で活動した。特に弟子筋のは、彼女の方式を都市部の市場調査に転用し、「魚の目の白さまで数値化する」試みを行ったことで知られる。
この系譜は戦後も断続的に継承され、1950年代には一部の出版者が「果実記録」を詩集の形式で再編集した。もっとも、当事者たちは自分たちが文学をやっているのか記録学をやっているのか、最後まで判然としなかったようである。
後世の評価[編集]
戦後の研究では、万柚子はとの境界に立つ人物として再評価された。特にのによる回顧展以降、彼女の帳面は「農村女性による時間表現の貴重な実践」として扱われるようになった[11]。
一方で、果実の成熟度を社会分析に用いる彼女の方法は、しばしば恣意的であるとも批判されてきた。たとえば「村の不景気は柚子が青い週に起きやすい」といった記述は、当時から要出典とみなされることが多く、現在でも学会誌では議論の的である[12]。
しかし、地方の季節感を抽象化せずに残そうとした姿勢は高く評価されている。また、では毎年秋に「万柚子記念熟成週間」が設けられ、図書館と果樹園を巡る小規模な展示が行われている。
系譜・家族[編集]
米山家は代々で米穀と山林の取引を行っていたとされ、父のは地域の戸長役にも関わった人物である。母のは果樹の手入れに長け、万柚子に観察の基礎を教えたと伝えられる。
夫はで、の製紙業に従事していた。二人の間に子はなかったが、養女のが万柚子の遺稿整理を手伝い、のちに『第十三年輪帳断簡』の編者となった[13]。親族の一部には、万柚子の方法論を「家の癖の延長」とみなす者もいたが、本人は「家系ではなく、季節が私を育てた」と述べたとされる。
なお、米山家の墓地には柚子の木が一本植えられており、春先になると必ず実が落ちるため、近隣では「万柚子の返事」と呼ばれている。
脚注[編集]
[1] 米山万柚子研究会『山村観測と果実記録芸』地方文化資料叢書、1972年。 [2] 田所義明「生活暦の可視化と女子教育」『信州民俗研究』第14巻第2号、pp. 33-58。 [3] 瀬尾春枝『柚子帳の人びと』松本文化出版、1961年。 [4] 柳田國男風に見える誰か『村を読む技法』東北書房、1930年。 [5] 松本高等女学校校務記録編纂委員会『昭和初期講義録抄』非売品、1940年。 [6] 中村常市「果実単位の制度化をめぐって」『農事と記録』Vol. 8, No. 1, pp. 11-19。 [7] 長野県近代史編さん室『戦時下地方文化断片集』県史料刊行会、1985年。 [8] 瀬尾春枝・聞き書き『女学校と襟元』私家版、1958年。 [9] 佐伯光雄「果実記録芸の成立」『比較民俗表現』第3巻第4号、pp. 201-226。 [10] 米山万柚子『村の熟度』草木堂、1934年。 [11] 上田郷土資料館『米山万柚子回顧展図録』、1968年。 [12] 小松原衛「熟度比喩の危うさ」『地方史評論』Vol. 21, No. 3, pp. 77-81。 [13] 下島なみ編『第十三年輪帳断簡』柚子皮文庫、1956年。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 米山万柚子研究会『山村観測と果実記録芸』地方文化資料叢書, 1972年.
- ^ 田所義明「生活暦の可視化と女子教育」『信州民俗研究』第14巻第2号, pp. 33-58.
- ^ 瀬尾春枝『柚子帳の人びと』松本文化出版, 1961年.
- ^ 柳田國男風に見える誰か『村を読む技法』東北書房, 1930年.
- ^ 松本高等女学校校務記録編纂委員会『昭和初期講義録抄』非売品, 1940年.
- ^ 中村常市「果実単位の制度化をめぐって」『農事と記録』Vol. 8, No. 1, pp. 11-19.
- ^ 佐伯光雄「果実記録芸の成立」『比較民俗表現』第3巻第4号, pp. 201-226.
- ^ 米山万柚子『村の熟度』草木堂, 1934年.
- ^ 上田郷土資料館『米山万柚子回顧展図録』, 1968年.
- ^ 小松原衛「熟度比喩の危うさ」『地方史評論』Vol. 21, No. 3, pp. 77-81.
外部リンク
- 信州民俗資料アーカイブ
- 柚子年輪帳デジタルコレクション
- 松本郷土研究センター
- 果実記録芸保存会
- 長野県近代生活史ポータル