蒸しかまど大全
| 種別 | 調理技法・設備工学の書 |
|---|---|
| 成立年代 | 大正末期から昭和初期にかけての編纂とされる |
| 想定読者 | 家政指導員、炊事係、鍛冶職人 |
| 主題 | 蒸しかまど、蒸し釜、湯気循環、熱ムラ制御 |
| 体裁 | 全十二巻(うち第七巻が最も流通したとされる) |
| 編者 | 『蒸気炊事研究会』とされる共同編集(実名は諸説) |
| 保管機関 | 国立公文書館分室と私設の蒸し場文庫(複数説) |
蒸しかまど大全(むしかまど たいぜん)は、蒸気を熱源として用いるかまど技法を体系化したとされる日本の料理・工学双方の実用書である。全国各地の《蒸し場》に関連する作法や機材の変遷を集めた資料集として知られている[1]。
概要[編集]
蒸しかまど大全は、「蒸す」行為を単なる料理法としてではなく、湯気の圧力・流路・水受け(ドレン)を含む一種の設備技術として記述した書物である。本文は、かまど本体の寸法、釜の据え方、火種の扱い、湯気の逃がし方を、経験則と実測値の両方で整理したとされている。
同書は東京府の家庭講習で取り上げられたほか、地方では共同炊事場の改修計画に引用されたとされる。ただし現存する版には差異があり、後年の追補により「蒸し場安全規約」や「蒸気臭の除去手順」が独立項として増えた経緯があるとされている[2]。
構成と内容の特徴[編集]
本書は全十二巻からなるとされるが、流通が確認できる範囲では「第七巻:二重煙道の作法」「第十一巻:薄板受熱の統計」「第十二巻:蒸し上げ失敗図鑑」が特に読まれたとされる。各巻は、まず「標準寸法」を掲げ、その後に例外規定(煙道の曲がり角、湯気の立ち上がり速度、釜底の煤の種類)を列挙する形式であったとされる[3]。
また、独特の点として「湯気の言語化」がある。つまり、目に見える現象(湯気の太さや立ち上がり角)を、音声や筆致の比喩に置き換えて記録する試みが含まれる。たとえば第七巻では、湯気が「紙縒りのように三段で折れる」場合を正常とし、「一段で伸びきる」場合を過熱傾向として区別する説明があるとされる[4]。
さらに同書は、料理の章にも微妙に工学的な手続きを導入している。蒸し工程が終わった後の余熱放出を、鍋の蓋の開閉回数(推奨は“七度”とされる)で制御するよう求める記述があり、家政書でありながら設備運用の色が濃いことが特徴とされる[5]。
歴史[編集]
編纂の発端:鉄道食堂の“蒸しムラ苦情”[編集]
蒸しかまど大全の成立は、架空の「鉄道食堂監査」から始まったと語られている。大正末期、沿線の食堂で、同じメニューを同じ時間で調理しても、蒸し上がりの食感だけが揃わないという苦情が相次いだ。そこで逓信省の内部調査員渡辺精一郎が、湯気の流路を“騒音”のように測ろうとしたのが最初のきっかけだとされる[6]。
渡辺は「蒸気は音と同じく、運ばれる向きに癖がある」と主張し、のちにを招集した。研究会は、工場の煙道設計者、町の鍛冶、ならびに寺の炊事係を含む混成組織として立ち上がったとされる。特に注目されるのは、地方から参加した蒸し場の家守が“湯気の色”を供述した点であり、彼の報告が本書の記述スタイルを決定づけたとする見方がある[7]。
なお、同書が示す「蒸しムラを減らすための角度」は、実測値という体裁でまとめられているが、当時の測定器が誤差を内蔵していた可能性も指摘されている。たとえば、煙道の曲がり角は「十三度以内」と繰り返し述べられる一方、別の頁では「十二度でも足りる」と矛盾する記述が見られるとされる[8]。
社会への浸透:家庭講習から“蒸し税”への連鎖[編集]
東京府では、家庭向け講習が“蒸しの衛生”を名目に制度化されたとされる。そこでは蒸しかまど大全が教材として扱われ、受講者は各家庭のかまどを規格化するよう求められた。規格化は単なる清掃ではなく、湯受けの形状、換気の取り方、釜の蓋の厚みまで踏み込むため、結果として市場には“蒸し用部品”が大量に流通したとされる[9]。
さらに奇妙な政策として、通称「蒸し税」が挙げられる。これは“蒸し場から漏れる湯気の量”を生活指標として徴収するという、かなり雑な発想で設計されたとされる。実際の運用は地域ごとに異なり、大阪府では「湯気の霧度」から換算する試みがあったという。霧度は測りにくいことから、住民が協力して“指の湿り具合”を申告する運用だったとされ、ここから第十巻の「湿り申告の手引き」が生まれたと推定されている[10]。
とはいえ、同書はこうした制度の乱れを収めるための“手引き”としても機能したと考えられている。一方で、細かな数値に依存する記述が、現場では逆に混乱を招いたとの反省も残ったとされる。たとえば「蒸し上げ完了の合図は、湯気が蓋の縁から“二筋”になる瞬間」とされるが、鍋の種類によって筋の数が変わり、講習現場で笑い話が流行したといわれる[11]。
改訂と偽増刷:第七巻が“正史”化した理由[編集]
本書は何度も版を重ねたとされるが、とりわけ昭和初期に行われた追補が「第七巻の正史化」を招いたとされる。追補の中心人物としての技官が挙げられることが多い。高橋は、蒸しかまどの失敗を「熱ムラの比率」で扱おうとし、破損や煤の付着を、百分率(推奨は“熱ムラ率12.5%”)で整理したとされる[12]。
しかし、ここで問題となったのが“偽増刷”である。戦前から戦後にかけて、現場で人気が出た巻だけを抜き刷りする商行為が横行し、同じ「第七巻」でも内容の順序や用語が微妙に違う版が存在したという。図版が多い版ほど、写植の揺れにより「二重煙道」が「二重根道」と誤記された例もあるとされる[13]。ただし、誤記のままでも読者には都合が良かったため、むしろ“こなれた迷信”として定着した面があるとされる。
また、最も狂気の要素として語られるのが「湯気の数え方」である。第七巻では湯気を“百粒”単位で数えよとし、百粒になるまで蓋を開けるな、とされる。百粒が具体的に何を意味するかは明記されないが、講習では子どもが数える役を与え、大人が合図を待つ遊びのような運用が広まったとされる[14]。
批判と論争[編集]
蒸しかまど大全は実用性が高いと評価される一方で、数値の多さと再現性の不確かさが批判された。特に、各項目に並ぶ寸法が「人体の感覚」を基準に換算されている可能性が指摘されている。たとえば「湯気の立ち上がり高さ」は、定規ではなく“湯気が頬に触れる位置”で測るよう記されている頁があるとされる[15]。
また、制度運用との結びつきが論争の火種になった。蒸し税の算定が恣意的だったとして、講習に参加できない家庭に不利益が出たのではないかという見解がある。一方で、同書がなければかまどの改修が進まず、火災リスクが増えたという反論も出されている[16]。このように、同書は単なる調理書ではなく、社会制度・市場・教育の交差点に置かれた文書として扱われることが多い。
さらに、学術界では「湯気の言語化」が擬似科学的だとして距離が取られた。研究者の一部は、湯気が音や筆致に置き換えられる記述が、計測の再現性を損なうと述べた。とはいえ、当時の現場で“共通の観察語”がないと改善が進まなかったことも事実であり、論争は長く続いたとされる[17]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『蒸気炊事の現場観察と標準寸法』逓信技術叢書, 1927.
- ^ 高橋実務『熱ムラ率と二重煙道の運用(第七巻の解読)』家政機械局出版部, 1931.
- ^ 『蒸気炊事研究会議事録(抄)』蒸気炊事研究会, 1920.
- ^ 山脇章『指湿度申告法の社会実装』社会衛生学会誌, 第3巻第2号, pp.12-27, 1934.
- ^ M. A. Thornton『Domestic Steam as Administrative Data』Journal of Household Engineering, Vol.7 No.4, pp.101-118, 1936.
- ^ E. K. Hargrove『On Anecdotal Metrics in Early Ventilation Manuals』Proceedings of the Steam-Craft Society, Vol.2, pp.55-73, 1941.
- ^ 『蒸しかまど大全(増補改訂・抜粋版)』私設蒸し場文庫, 1948.
- ^ 佐藤雅之『湯気の言語化と観察語の形成』日本調理史研究, 第11巻第1号, pp.1-19, 1962.
- ^ 李承煥『数値化された温熱体験と迷信の共存』東アジア生活科学年報, 第5巻第3号, pp.201-224, 1979.
- ^ 小林文兵衛『二重煙道は本当に二重根道か』建築史通信, 第1巻第6号, pp.77-88, 1983.
外部リンク
- 蒸し場デジタルアーカイブ
- 湯気測度学の資料室
- 二重煙道図版コレクション
- 家庭講習アーカイブ
- 蒸しムラ率計算機