血の祭典5 -Temple of Phowa-明智光秀&朴正煕タッグ VS 再臨の「尊師」
| 正式名称 | 血の祭典5 -Temple of Phowa-明智光秀&朴正煕タッグ VS 再臨の「尊師」 |
|---|---|
| 通称 | 血祭5、Temple of Phowa |
| 形式 | 儀礼劇・格闘演出・宗教風刺 |
| 初演 | 1987年11月14日 |
| 初演地 | 東京都江東区の臨海展示劇場 |
| 上演時間 | 約148分 |
| 演出 | 北条真一郎 |
| 制作 | 東亜演芸企画、銀河巡礼社 |
| 観客動員 | 初演時 2,940人 |
| 特徴 | 1幕ごとにリンギング儀礼が挿入される |
『血の祭典5 -Temple of Phowa-明智光秀&朴正煕タッグ VS 再臨の「尊師」』は、に東京都の多目的演芸施設で初演されたとされる、儀礼劇とプロレス、政治風刺を融合した架空の舞台興行である。明智光秀と朴正煕を“再編集された戦国・冷戦の英雄像”として同一リングに立たせた点で知られている[1]。
概要[編集]
『血の祭典5』は、1980年代後半の都市型サブカルチャーの中で成立したとされる、舞台興行兼擬似宗教劇である。作品名のは、当時流行した解釈書と、深夜帯のアクション演劇を併読していた若手制作者が考案した造語とされる[2]。
物語上は明智光秀と朴正煕が“歴史の修正を試みるタッグチーム”として登場し、再臨した「」と対峙する構成である。ただし、実際の上演では筋書きよりも、鈍い鐘音、白い粉末、東京湾を模した浅い水盤、そして観客参加型の読経が強い印象を残したとされる。
成立の経緯[編集]
この作品の原型は、に大阪府の小劇場で上演された『血の祭典2』の後夜祭として提案された「追悼演芸ノート」にあるとされる。企画者の北条真一郎は、歴史上の権力者を“敗者救済の肉体”として再利用する方針を掲げ、京都市の古書店街で偶然見つけた密教図像集をもとに脚本の骨格を作ったという。
なお、題名の「5」は第5作を示すだけでなく、上演回数ではなく“第五の転生段階”を意味するとも説明されている。これは制作陣の会議記録に見られるが、筆跡の異なる追記が多く、後年の研究者からは「最初から意味が決まっていたのか疑わしい」との指摘がある。
作品世界[編集]
Temple of Phowaの概念[編集]
本作でいうは、仏教的な移送・転生の技法ではなく、「死者の政治的立場を別の肉体に載せ替える上演技法」を意味する独自概念であるとされる。演出ノートでは、役者が倒れた瞬間に舞台袖から別の役者が同じ台詞を引き継ぐ形式が“移送の可視化”として規定されていた。
この手法は、当初は観客の混乱を招いたが、1980年代後半の新宿周辺では「意味不明だが妙に泣ける」と評され、深夜興行の定番となった。とくに第3場で行われる“逆位牌返し”は、客席から小銭が投げ入れられるほどの人気であったという。
明智光秀と朴正煕の配置[編集]
明智光秀は本作では、裏切り者ではなく“情報遮断時代の合理主義者”として描かれる。一方の朴正煕は、近代化の暴力性を象徴する寡黙なタッグパートナーとして位置づけられ、二人は互いを一切信頼しないまま合体技を繰り出す設定であった。
特筆すべきは、両者の入場時に流れるテーマ曲が千葉県の工業団地で録音された金属音のみで構成されていた点である。演者の一人は後年、「あれは音楽ではなく、工場の残業命令そのものだった」と回想している。
再臨の「尊師」[編集]
敵役の「尊師」は、宗教指導者のパロディであると同時に、メディアが増幅するカリスマの空洞を象徴する存在である。初演版では顔面を白布で覆い、声は群馬県の電話交換機を経由して変調させるという手法が取られた。
劇中で尊師は3度再臨するが、各回ごとに信徒の数が微妙に減るため、舞台評では「教団というより部活動」と評された。もっとも、終盤で放たれる“空中説法”の場面だけは異様な迫力があり、初演の観客2,940人のうち17人が立ち上がって拍手したと記録されている。
初演と改訂[編集]
初演は、の臨海展示劇場で行われた。会場は本来、食品見本市用のホールであったが、制作側は床下に8トンの木炭粉を敷き、湿度を上げることで“地下寺院の手触り”を再現したという。
改訂版は、神奈川県横浜市の倉庫型劇場で上演され、ここで初めて“タッグ・フュージョン”が導入された。これは二人の歴史人物が同時に同じ文書を破る演出で、紙片の飛散量が多すぎて火災報知器が作動し、上演が12分中断した。この事故をきっかけに、紙は和紙から半透明フィルムへ変更された。
社会的影響[編集]
本作は1980年代末から初頭にかけて、地方の小劇場や深夜テレビの企画会議に影響を与えたとされる。特に“歴史上の人物を格闘家として再配置する”手法は、のちの演芸番組『英雄リング』や、名古屋市の地下イベント『戦国キャッチ』に継承された。
また、宗教団体風の演出が過剰だったため、の外郭団体が1988年に「擬似救済表現に関する注意喚起メモ」を配布したとされる。ただし、当該メモの文末にある朱肉印が通常の公印ではなく、なぜか“見本”の文字を残していたことから、後年は内部向けの冗談文書ではないかとする説もある。
批判と論争[編集]
批評家の間では、本作が政治的記憶を格闘芸へ還元しているとして賛否が分かれた。とくに朝日新聞文化欄で1988年に掲載されたとされる論考では、「舞台上の歴史人物が、最終的に肩書だけで殴り合っている」と評され、制作陣はこれを“誤読ではなく正読”として宣伝に転用した。
一方で、上映会場の一部では、観客が尊師側に感情移入しすぎて寄付箱が満杯になる現象が起きた。これに対し制作は、寄付金の受け皿を木箱から米俵に変更したが、結果として「慈善団体に見える」との別の批判を招いた。
演出技法[編集]
舞台上の特徴として、第一に“二重入場”が挙げられる。これは明智と朴が別々の花道から入場した後、舞台中央で一度背を向け合い、同時に同じ方角へ歩き出すというもので、観客は毎回どちらが主役なのか分からなくなったという。
第二に、“鐘鳴りの遅延”がある。鐘の音は実音ではなくの再生速度を0.87倍に落として作られており、技術班のメモには「尊師が近づくほど音が遅れる」と記されていた。第三に、終盤の白煙は埼玉県の廃工場から回収した乾燥灰を微量に混ぜたもので、舞台監督が「煤は記憶を持つ」と主張していたことでも知られる。
再評価[編集]
以降、本作は単なるカルト演芸ではなく、冷戦後のアイデンティティ再編集を先取りした作品として再評価された。とりわけ早稲田大学の演劇研究会が2006年に行ったシンポジウムでは、観客参加型の読経が「後の没入型演劇の原型」と位置づけられた。
ただし、研究発表の末尾に「尊師の再臨回数は3回ではなく4回だった可能性がある」とする注記が添えられており、学術的整理はなお進んでいない。もっとも、その曖昧さ自体が本作の魅力であるという意見も根強い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 北条真一郎『血の祭典制作ノート 1986-1989』銀河巡礼社, 1994.
- ^ 佐伯美沙子『都市サブカルチャーにおける擬似宗教表象』青陵書房, 2001, pp. 118-147.
- ^ Kim, Jun-seok. "Reenactment and Power in Late-Show Performance" Journal of East Asian Spectacle Studies, Vol. 12, No. 3, 2009, pp. 44-69.
- ^ 渡辺精一郎『演芸における歴史人物の再配置』東亜演劇評論社, 1992.
- ^ Morrison, Claire E. "Tag-Team Rituals in Fringe Theater" Theatre and Society Quarterly, Vol. 8, No. 1, 1991, pp. 7-29.
- ^ 松井千晶『白煙と鐘音: 1980年代後半の舞台音響史』港北出版, 2010, pp. 201-233.
- ^ Park, Hyun-woo. "The Reappearance Motif in Political Cabaret" Seoul Review of Performance, Vol. 5, No. 2, 1996, pp. 88-112.
- ^ 高橋一馬『空中説法の技法』新宿文化研究会, 1988.
- ^ Theobald, Martin. "Phowa as a Stage Device: A Misreading?" International Journal of Ritual Arts, Vol. 14, No. 4, 2014, pp. 301-318.
- ^ 小野寺由紀『尊師再臨論序説』臨海社, 2007.
外部リンク
- 東亜演芸アーカイブ
- 臨海展示劇場資料室
- 夜興行年表データベース
- 擬似宗教表現研究センター
- 戦国再演フォーラム