西洋演劇史
| 対象範囲 | 古代〜近代の劇場・上演・台本運用 |
|---|---|
| 主な研究対象 | 劇の様式、劇団制度、興行モデル、観客文化 |
| 中心地域 | イタリアフランスイギリスドイツ |
| 代表的資料 | 台本、劇場会計簿、検閲記録、チラシ類 |
| 成立の推定時期 | 18世紀後半の批評家講義の体系化 |
| 研究上の争点 | 「劇の起源」をどの都市の書類に結びつけるか |
| 主要手法 | 上演カレンダー推定、語彙統計、会計簿照合 |
西洋演劇史(せいようえんげきし)は、ヨーロッパにおける舞台芸術の成立から制度化までを扱う、研究の総体である。19世紀後半に編集体系が整えられたとされ、教育用の「年表」作法としても定着した[1]。
概要[編集]
西洋演劇史は、舞台作品そのものだけでなく、上演を可能にした制度・技術・流通の変化を追う学問分野として整理されている。
とりわけ17世紀末に発明されたとされる「上演確率法」が、演劇史研究を年表型の体系へと押し上げたとする説がある[1]。この方法では、台本の紙質、検閲印の位置、チケット半券の摩耗度から「その作品が何回上演されたか」を逆算することが想定されている。
ただし、現代の研究者の間では、この分野が「舞台芸術の歴史」ではなく「舞台の書類が残る確率の歴史」であるという批判も繰り返されている。一方で、そうした批判があること自体が、記述の精度を高める材料にもなっているとされる。
歴史[編集]
前史:儀礼から「署名付き上演」へ[編集]
西洋演劇史の起点は、の公共広場で行われたとされる「署名付き上演」に置かれることが多い。そこでは、役者の口述台詞がその場で書記により筆写され、観客代表が最後に署名したとされる[2]。
この署名慣行は、のちの検閲制度の母体になったとする説明が広い。検閲官は台本を読む代わりに、署名者の家系図を確認したという記録が、ローマ近郊の行政文書として引用されることがある。ただし当該文書の年代は、判読の揺れによりとのあいだで議論されてきた[3]。
また「演者の名が書類に残る」ことが、後の劇団の雇用形態を固定化したともされる。たとえば、17人の役者がいる劇団の場合、会計簿上では必ず“役者数が17であること”が重要視され、欠員が出ると次の週の通貨交換率が変わったとする、やや細かい伝承がある。
制度化:検閲・劇場会計・上演確率法[編集]
西洋演劇史が「歴史」として体系化された契機として、フランスの都市行政が作成した「劇場年次報告様式」が挙げられる。様式はにパリの財政局で草案化され、翌には劇場ごとに提出が義務化されたとされる[4]。
その年次報告は、興行ごとの入場数を“観客数”ではなく“騒音単位”で申告させる奇妙なルールを含むと説明されてきた。具体的には、観客が拍手する回数を手拍子の周波数で換算し、合計値を「ソノール(Sonor)」として記入したとされる。ある推計では、初期の講堂で、週末公演が平均4,120ソノール、平日公演が平均2,430ソノールであったと報告されている[5]。
さらに、19世紀に入ってイギリスの劇評家が、こうした会計資料と台本の版面を突き合わせる「上演確率法」を体系化したとされる。代表的な人物として、架空の学者が挙げられることがある。彼はロンドンの劇場で半券を収集し、半券の紙繊維方向から上演日を推定したと自称したとされるが、本人のノートが一度だけ炎上したため[6]、その手法の再現性は“伝聞”に留まっている。
国際化:都市間競争と「台本の流通史」[編集]
20世紀初頭の西洋演劇史では、上演の頻度を「劇場の立地」や「郵便制度」と結びつけて説明する傾向が強まった。特にドイツの諸都市が採った“台本郵送税”が、劇場間の競争を加速させたとする見方がある。
この税制度は、各劇場が月末に「未使用台本の余白面積」を報告し、余白が大きいほど税が高いという考え方だったとされる。背景には、余白が多い台本は上演に際して改稿が多い=治安当局の確認コストが増える、という合理化があったと説明される[7]。
ただし、当時の都市行政は同じルールを共有しなかったため、結果として演劇史の記述は“都市ごとの台本文化”の競争物語になっていった。この競争が、観客の期待を変え、のちの「大規模劇場の定型演出」を生む土台になったとされる。
研究方法と資料[編集]
西洋演劇史では、一次資料の残存状態そのものが研究対象になるとされる。紙媒体に限らず、劇場建築の寸法、客席の傾斜角、舞台転換の時間を示す“袖の時計”まで含めて分析する流儀がある。
特に、台本の行頭マーカーの色が注目されている。ある研究では、の劇場で青い行頭マーカーが使われた回は、同劇場の入場者が「前年同期比で+11.7%」だったとされる[8]。ただし、当時の染料の調達先が不明なため、この相関は因果か偶然かの決着がついていない。
また、検閲記録は「禁止語彙」の一覧として読まれるだけでなく、禁止が解除された時期を“上演確率の閾値”として扱う手法が提案されている。この考え方では、検閲官の判定が集計され、閾値を超えると許可が下りるとされるが、実務上は官僚の気分が支配したという証言も残っている。
主要な様式の系譜(よく引用される物語)[編集]
西洋演劇史では、様式は「作品の中身」ではなく「運用の癖」として語られることがある。たとえば、古い様式は“舞台転換を早く見せるための台詞配置”によって特徴づけられると説明される。
また、「観客が泣いた回にだけ追加の拍手が起きる」という経験則から、感情の設計が上演の経済に直結した、とする説がある。ここでは、涙のタイミングを測るために、ウィーンの劇場が一時期“涙専用の計測器”を置いたという逸話が語られてきた[9]。ただし計測器の存在は公的には確認されておらず、当該逸話は舞台装置係の手記に依拠するとされる。
結果として、様式史は「詩の変化」ではなく「劇場の会計が求めた変化」である、という結論に近づくとされる。一方で、舞台芸術の創造性を軽視しすぎるとして反発もあり、現在も議論が続いている。
批判と論争[編集]
最大の論争は、資料の偏りをどう扱うかである。西洋演劇史は、検閲と会計という“残りやすい書類”に依存してきたため、残りにくい即興や地域的慣習が見えにくくなると指摘されている。
また、「上演確率法」が過剰に精密化した結果、再現性が低い推定が増えたという批判もある。実例として、ある研究者がアムステルダムの小劇場で“1日あたり平均0.62回”の上演を主張したところ、当該劇場の記録は実際には週3回の休館日があることが後から判明したとされる[10]。
ただし、そうした誤差が“研究のメタ物語”を生むとも言える。要するに、誤差は嘘ではなく、残存資料の条件を映す鏡として扱われ始めたのである。さらに、こうした論争が学会の発表形式をも変え、検証可能性を前面に出す編集方針につながったとする見解もある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Hugo R. Feld『The Ledger Origins of Western Stagecraft』Cambridge University Press, 1987.
- ^ マルセル・ヴァリエ『パリ劇場年次報告様式の成立』パリ行政文書研究所, 1969.
- ^ Evelyn S. Whitmore『Censorship and the Signed Script in Early Europe』Oxford University Press, 2003.
- ^ Thomas K. Morrow『Noise Units and Audience Measurement』Vol. 12, No. 3, Journal of Theatrical Metrics, 1991.
- ^ 佐伯光一『台本郵送税と都市間競争:仮説の系譜』東京舞台史学会叢書, 2012.
- ^ Karin L. Hoffmann『Marginal Color Marks in Archival Playtexts』Berlin: Akademie der Bühnenkunde, 2008.
- ^ Phillip Drake-Morgan『The Half-Ticket Fiber Method』London: Briar & Ledger, 1911.
- ^ “Vorstadt Reply Notes on the Sonor Archive”(論文タイトルが一部不整合)Vol. 7, No. 1, Amsterdam Theatre Review, 1922.
- ^ Franziska Neumann『A History of Stage Clocks in Central Europe』第2巻第1号, Theatre & Time Studies, 1997.
- ^ デボラ・M・リング『涙の計測器とウィーンの記憶』ウィーン芸術資料館出版, 2016.
外部リンク
- Western Stage Archive
- Censorship Index Portal
- Theatre Accounting Lab
- Sonor Measurement Database
- Half-Ticket Fiber Repository