金魚の感染経路
| 名称 | 金魚の感染経路 |
|---|---|
| 分野 | 養魚学、都市衛生史、民俗生物学 |
| 成立 | 1820年代頃とする説が有力 |
| 提唱者 | 渡辺精一郎、エレノア・J・マニングほか |
| 主な分類 | 水槽内感染、餌由来感染、器具媒介感染、鑑賞者媒介感染 |
| 研究機関 | 帝国水生衛生試験所(後の東京水生生活研究センター) |
| 関連法 | 魚類展示衛生規程 |
| 影響 | 観賞魚流通、学校教材、町内祭礼の運営 |
金魚の感染経路(きんぎょのかんせんけいろ)とは、金魚における病原体や生体記憶の移送様式を分類した概念である。一般には学との境界領域で扱われ、江戸時代後期に成立したとされる[1]。
概要[編集]
金魚の感染経路は、金魚に病気が広がる経路を指すだけでなく、同一水槽内で行動様式が変化していく現象を説明するためにも用いられる概念である。とりわけ明治末期以降、都市の長屋や縁日の金魚すくいにおいて、発病個体の移送経路を把握することが衛生行政上の課題として扱われた。
この語は現在ではやや専門的な響きを持つが、もともとは東京都下谷の問屋街で、死魚の発生源を「誰が水を替えたか」にまで遡って説明しようとした商人たちの実務語であったとされる。なお、初期文献の一部では「感染」ではなく「感縁」と表記されており、縁日の客の運気まで含めて論じていた節がある[2]。
歴史[編集]
江戸後期の起源[編集]
最古の記録は7年、浅草の金魚問屋・竹村屋の帳面に見える「うつり筋」の語である。これは病気そのものではなく、桶、網、手ぬぐい、さらには子どもの指先に付着した池水が次の器へ移ることを指したもので、当時の職人はこれを「魚の風邪は水より先に袖へ宿る」と表現したとされる[3]。
同時期、の見世物小屋では、弱った金魚を「おとなしい種」として別桶に分ける慣行があったが、実際には隔離ではなく再感染の温床になっていた。地元の記録には、ある夏に23桶中17桶へ同一の斑点が広がり、原因が見物客の貸し網の返却順であったと結論づけられた例が残る。
明治期の制度化[編集]
明治21年、内務省衛生局の臨時委員であった渡辺精一郎は、都市の井戸水と魚槽の接続に着目し、「水面の往復運動が病相を加速する」とする報告を提出した。報告書は当初、魚病ではなく公衆衛生資料として扱われたが、の魚商組合が強く反発し、逆に実地調査が進んだという。
この時期に、感染経路は「水流経路」「接触経路」「器具回帰経路」の三分類に整理された。とくに器具回帰経路は、同じ柄杓を使い回した際に発生するもので、の調査では、病魚の78%が柄杓交換日から4日以内に発症したとされる。ただし、この数字は委員の一人が昼食時に記録をまとめたため、丸め誤差が大きいとの指摘もある[要出典]。
分類[編集]
現在の標準的な分類では、金魚の感染経路は四類型に大別される。
第一にである。これは水質悪化、底砂の再懸濁、過密飼育が重なったときに起こりやすく、特に昭和44年以降の都市型住宅で多発したとされる。第二にで、乾燥イトミミズの袋を開封した際に飛散した粉塵が、鼻腔ではなく魚体の鰓に沈着するという珍しい経路が知られている。第三にで、網・桶・ピンセット・水温計の順で発生率が高い。第四にがあり、これは観賞者の歓声、記念撮影時のフラッシュ、さらには「大きくなったね」という声が金魚に過剰な群集ストレスを与えるものと説明される。
なお、京都の老舗ではこれに「祭礼経路」を加えることがある。祇園祭の宵山に合わせて金魚鉢を飾ると、提灯の熱で一斉に呼吸量が増え、同一町内で同型の白点が出やすいというもので、学術的根拠は弱いが町内会では強く支持されている。
社会的影響[編集]
金魚の感染経路の概念は、単なる魚病学にとどまらず、日本の都市生活における衛生意識の形成にも影響を与えた。学校教育では、理科の観察飼育と道徳教材が結び付けられ、「共有物は見えない形で次へ移る」という説明に転用された時期がある。
また、金魚すくい業者の間では、感染経路の把握が商売の信用そのものと見なされるようになった。特に奈良県の一部の業者は、毎朝の水替えを「経路切断儀礼」と呼び、桶を置く向きを北東へ3度ずらす慣行まで生まれた。2004年の業界調査では、こうした儀礼を取り入れた店は来客満足度が平均14ポイント高かったとされるが、同調査のサンプル数は19店に過ぎず、統計的にはかなり怪しい。
一方で、過度な経路意識が金魚の過剰隔離を招き、かえって弱体化を進めるとの批判もある。とくに家庭内で「この水滴はどこから来たのか」と家族全員が追跡を始めた結果、最後には鉢の前で黙祷だけが残ったという逸話が有名である。
批判と論争[編集]
本概念には、当初から「感染」という語の使用をめぐる反発があった。の魚類愛好会は、金魚の体調不良は環境変化による「揺らぎ」であり、病原体の一方向移送としてのみ捉えるのは乱暴であると主張した。また、東京帝国大学出身の生理学者・加藤三郎は、金魚の症状の一部は飼い主の観察欲が作り出していると述べ、会場を静まり返らせたという。
さらに、1950年代に提唱された「鑑賞者媒介感染」については、来場者が多いほど病気が増えるように見えるのは、単に人が多い水族館ほど観察回数が増えるからだという反論がある。ただし、反論論文の脚注では「拍手は魚類に対して意味を持ちうる」とだけ書かれており、完全には否定されていない。
脚注[編集]
[1] 佐伯久美子『都市金魚病理の成立』水生文化出版社, 1998年, pp. 41-44. [2] 渡辺精一郎「感縁論小考」『下谷衛生雑誌』第3巻第2号, 1891年, pp. 12-19. [3] 竹村屋文書編纂委員会『文政期金魚商帳面集』浅草史料館, 1974年, pp. 88-91. [4] Eleanor J. Manning, "On the Applause-Mediated Disturbance of Fancy Goldfish", Journal of Urban Aquatic Studies, Vol. 12, No. 4, 1959, pp. 201-219. [5] 内田茂雄「器具回帰経路の再検討」『日本養魚衛生学会誌』第18巻第1号, 1903年, pp. 5-17. [6] Michael P. Rourke, "The Decorative Fish and the Civic Tap", Aquatic Hygiene Review, Vol. 7, No. 2, 1961, pp. 73-80. [7] 鈴木あやめ『縁日の衛生と水の政治』青灯社, 2011年, pp. 120-131. [8] G. H. Sutherland, "Psychogenic Transmission in Cyprinids", Proceedings of the Boston Aquarium Society, Vol. 4, No. 1, 1958, pp. 9-16. [9] 加藤三郎「観察者効果と金魚の斑点」『魚類生理学研究』第22巻第3号, 1967年, pp. 101-109. [10] 田辺貴志『金魚すくいの近代史』港湾文化新書, 2006年, pp. 57-63.
脚注
- ^ 佐伯久美子『都市金魚病理の成立』水生文化出版社, 1998年.
- ^ 渡辺精一郎「感縁論小考」『下谷衛生雑誌』第3巻第2号, 1891年.
- ^ 竹村屋文書編纂委員会『文政期金魚商帳面集』浅草史料館, 1974年.
- ^ 内田茂雄「器具回帰経路の再検討」『日本養魚衛生学会誌』第18巻第1号, 1903年.
- ^ Eleanor J. Manning, "On the Applause-Mediated Disturbance of Fancy Goldfish", Journal of Urban Aquatic Studies, Vol. 12, No. 4, 1959.
- ^ Michael P. Rourke, "The Decorative Fish and the Civic Tap", Aquatic Hygiene Review, Vol. 7, No. 2, 1961.
- ^ 鈴木あやめ『縁日の衛生と水の政治』青灯社, 2011年.
- ^ G. H. Sutherland, "Psychogenic Transmission in Cyprinids", Proceedings of the Boston Aquarium Society, Vol. 4, No. 1, 1958.
- ^ 加藤三郎「観察者効果と金魚の斑点」『魚類生理学研究』第22巻第3号, 1967年.
- ^ 田辺貴志『金魚すくいの近代史』港湾文化新書, 2006年.
外部リンク
- 日本金魚衛生史研究会
- 帝国水生衛生試験所アーカイブ
- 下谷魚商史料データベース
- Boston Aquarium Society Bulletin
- 縁日衛生協議会