香芝 蒼
| 選手名 | 香芝 蒼 |
|---|---|
| 画像 | Kashiba Aoi 2024.jpg |
| 画像サイズ | 280px |
| 画像説明 | 2024年の国際親善試合にて |
| 愛称 | あおい閃光 |
| 生年月日 | 1996年4月12日 |
| 出身地 | 奈良県香芝市 |
| 身長 | 178 cm |
| 体重 | 71 kg |
| 国籍 | 日本 |
| 背番号 | 18 |
| ポジション | フォワード |
| 所属チーム/クラブ | 大阪セントラル・バイソンズ |
| 利き手/利き足 | 右投左打 |
| medaltemplates | 2024 世界選手権 敢闘賞 |
香芝 蒼(かしば あおい、〈平成8年〉 - )は、奈良県出身の(フォワード)。右投左打。の大阪セントラル・バイソンズ所属。2024年で日本代表初の準決勝進出に貢献し、同大会の敢闘賞を獲得した[1]。
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
香芝 蒼は奈良県で生まれ、の校庭で即席のスティック競技に熱中したことが原点とされる。地元では当初ハンドボール部に所属していたが、のときにの巡回講習を受け、ボールを「転がすのではなく、わずかに浮かせて通す」独特の癖を身につけたという。
その後に進学し、には同校の女子混成チームを率いて県内大会で初優勝を果たした。なお当時の記録誌には、香芝が1試合平均で移動していたと記されているが、これは会場内の全力走行距離を独自に計測したものとされ、後年しばしば要出典扱いとなった[2]。
所属チーム別の経歴[編集]
にへ入学し、在学中は学生選抜の主力としてで3年連続優勝に貢献した。プロ入り後はに大阪セントラル・バイソンズへ加入し、同年の開幕節でデビューを果たした。初出場時は第3ピリオド残りでの投入であったが、直後に反転シュートを決め、会場内の計測装置が一時的に得点音と拍手を誤認したとされる。
にはキャプテンに就任し、同チームをの首位に導いた。さらにには個人成績としてを2度記録し、クラブ史上初の3年連続年間ベストイレブンを獲得した。翌2024年には欧州遠征を経てフォームを改良し、左打ちながら右肩を沈める「逆肩ドライブ」で注目を集めた。
代表経歴[編集]
香芝はにに初選出され、同年ので国際大会デビューを果たした。初戦では相手に2アシストを記録し、代表スタッフからは「視野が広すぎて、時折ベンチ裏の飲料台まで見えている」と評された。
では主将代行を務め、日本代表を初の準決勝へ導いた。準々決勝の戦では延長戦開始で決勝点を演出し、現地記者から「の夜を最も静かにした選手」と報じられた。また同大会ではMVPに選ばれたが、表彰式でトロフィーが一度傾き、香芝が片手で支え直した場面が大会映像の定番として残っている[3]。
選手としての特徴[編集]
香芝の特徴は、狭いスペースでの初速と、を活かした外側からの巻き込みシュートにある。特に以内に攻守を切り替える判断の速さはリーグ随一とされ、対戦相手の分析班からは「最初の一歩が二段階ある」と形容された。
また、通常のフォワードよりも後方に下がってから配球する傾向があり、この動きはの合宿で偶然得た「壁当て練習」から定着したといわれる。本人は「得点よりも、次の1本を作るほうが好きである」と述べており、実際にを記録している。一方で、公式記録上の最大打球速度は、測定機器の校正をめぐって今なお議論がある[4]。
人物[編集]
香芝は試合前に必ず奈良の地図を折りたたんでポケットに入れる習慣があるとされる。これは少年期、遠征で迷子になりかけた際に「地図を持つと気持ちがまっすぐになる」と祖父に言われたことに由来すると本人は語っている。
私生活では極端なまでの時間管理で知られ、朝食のをで食べ終えると気分が整うという。チームメイトによれば、遠征先のホテルでもスティックケースの向きを北に合わせないと眠れないらしい。また、地元の子ども向けクリニックでは、説明用ホワイトボードに自ら「回転の三角形」を描いて指導し、難解すぎると保護者から半ば伝説化した。
には市内の体育館改修に合わせて一日館長を務めたが、開館式で床の反射率を確認しすぎて30分ほど式典が止まった、という逸話が残る。
記録[編集]
出演[編集]
香芝は競技人口拡大の象徴として、のスポーツ番組『』に複数回出演している。特に2024年の特番では、スタジオ内にミニゴールを持ち込み、アナウンサー相手に3連続ヒットを決めた場面が反響を呼んだ。
CMではの「」シリーズに起用され、汗をかいた直後でも笑顔を崩さない姿が定番となった。またの啓発映像や、の競技紹介ミニ番組にも出演し、競技未経験者向けに「スティックは怒って振るものではない」と説明したことがある。なお、本人はテレビ収録よりもスタジオの照明の熱を気にしていたという。
著書[編集]
・『 香芝蒼の競技ノート』(2024年、)
・『』(、)
・『とのあいだ』(、)
いずれも本人の記述とされるが、実際にはチーム分析官との往復メールが下敷きになっているとの指摘がある。特に第3章の「ボールは怖がると曲がる」は、講演会で引用されすぎた結果、独り歩きしたフレーズとして知られている[5]。
背番号[編集]
香芝の背番号は18である。学生時代はを着用していたが、プロ入り後に「偶数のほうが着地が安定する」という占いに基づき変更したとされる。
なおの代表合宿では一時的にを割り当てられたが、香芝が「視界の端で数字が多すぎる」と申し出たため、翌日には18へ戻された。このエピソードは本人の几帳面さを示すものとしてファンの間で語り継がれている。
脚注[編集]
[1] 日本フロアボール協会「2024年代表強化報告書」『月刊スティック競技』第18巻第4号、pp. 12-19。
[2] 奈良県高校体育連盟『香芝北高等学校運動部活動記録集 2013』pp. 41-44。
[3] European Indoor Sports Federation, "Tournament Review: Bern 2024", Vol. 9, No. 2, pp. 55-61.
[4] 田中健一「打球速度計測における室内反射率の影響」『スポーツ計測研究』第7巻第1号、pp. 3-17。
[5] 香芝 蒼・山根隆一『まっすぐでは届かない』大阪中央新書、2025年、pp. 88-93。
[6] ただし、本人の利き打ちが左であることと、右投げであることの由来は資料ごとに記述が揺れている。
外部リンク[編集]
大阪セントラル・バイソンズ公式プロフィール
日本フロアボール協会 選手名鑑
国際フロアボール連盟 2024年大会ページ
香芝蒼オフィシャルファンレター窓口
近畿スポーツアーカイブ 人物データベース
脚注
- ^ 日本フロアボール協会編『2024年代表強化報告書』月刊スティック競技 第18巻第4号, 2024, pp. 12-19.
- ^ 奈良県高校体育連盟『香芝北高等学校運動部活動記録集 2013』奈良県体育資料室, 2014, pp. 41-44.
- ^ 田中健一「打球速度計測における室内反射率の影響」スポーツ計測研究 Vol. 7, No. 1, 2022, pp. 3-17.
- ^ European Indoor Sports Federation, "Tournament Review: Bern 2024" Vol. 9, No. 2, 2024, pp. 55-61.
- ^ 香芝 蒼・山根隆一『まっすぐでは届かない』大阪中央新書, 2025.
- ^ 北川玲子「逆肩ドライブの成立過程と地域性」関西スポーツ科学 第12巻第3号, 2023, pp. 77-90.
- ^ 石原正彦『室内球技における視野管理の実際』東洋体育出版, 2021, pp. 104-118.
- ^ M. H. Carter, "Forward Space and the Second Step" International Journal of Stick Sports Vol. 15, No. 4, 2024, pp. 201-219.
- ^ 大阪体育協会『地域スポーツ広報映像年鑑 2024』, 2025, pp. 8-13.
- ^ 香芝市教育委員会『一日館長制度と公共体育館の活用』香芝市史料叢書 第9巻, 2025, pp. 33-39.
外部リンク
- 大阪セントラル・バイソンズ公式サイト
- 日本フロアボール協会
- 国際フロアボール連盟
- 近畿スポーツアーカイブ
- 香芝市スポーツ推進ページ