いちご
| 名称 | いちご |
|---|---|
| 分類 | バラ科多年草果実 |
| 起源 | 明治期の温室園芸と洋菓子流通 |
| 発祥地 | 静岡県・東京府下の市場圏 |
| 主要生産地 | 栃木県、福岡県、静岡県ほか |
| 象徴色 | 深紅、淡桃色 |
| 旬 | 12月から4月 |
| 関連制度 | 特選等級制度、糖度証票 |
| 知られる特徴 | 摘果の作法と香気の立ち上がり |
| 通称 | 紅玉果(こうぎょくか) |
は、の多年草がつける赤い果実、およびその果実を中心に形成された食文化・流通体系を指す概念である。後期にの温室園芸との洋菓子文化が結びついたことで現在の形が成立したとされる[1]。
概要[編集]
いちごは、表面に種子状の粒を多数持つ赤い果実として知られているが、その流通形態は単なる農産物にとどまらず、贈答、菓子製造、観光農園、さらには季節表示の記号としても機能してきた。の記録では、末期にはすでに「冬の赤」として贈答市場で特別な扱いを受けていたという[2]。
一方で、いちごの普及は品種改良だけでなく、沿線の洋菓子店が導入したショーケース文化に強く影響されたとする説が有力である。特にの菓子職人が、果実の断面を見せるために「切って見せる」陳列法を広めたことが、いちごを「食べる前に鑑賞する」商品へ変えたとされる。
歴史[編集]
温室導入以前[編集]
いちごの原型は後期の薬草園で観賞用に栽培されていた小果実に求められる。とりわけの外縁で栽培された「雛苺」は、果肉が少なく香りが強いことから、当初は菓子よりも香袋の原料として評価されていた[3]。なお、当時の書簡には「赤き小粒、子供らに取らるるも、朝露ののちに最も甘し」と記されているが、筆者の身元は確定していない。
この時期のいちごは、現代のような整形果実ではなく、収穫時にすぐ潰れることから、運搬の途中で半数以上が損耗したと推定されている。そのための茶屋では、木箱の底にを七層敷く独自の輸送法が発明されたが、実際には藁の香りが果実に移りすぎるとして、三年で廃れたという。
明治期の品種革命[編集]
、に赴任した植物学者は、欧州から持ち込まれた四系統の果実を交配し、果柄がやや長く、箱詰め時に互いを傷つけにくい系統を作出した。これが後に「いちご」の標準的イメージを決定づけたとされる[4]。
同時期、経由で輸入されたが、冬季でも果実を赤く保つ技術として注目された。黒川は、温室内でを一定間隔で鳴らすと果実の揃いが良くなると主張したが、後年の検証では音響よりも換気の改善が要因だったと見られている。ただし、同氏の実験ノートには「ベートーヴェン第5番後、果実の照り増す」とある。
贈答文化の成立[編集]
初期には、いちごは単なる果物ではなく、見舞い・年末挨拶・婚礼返礼の三用途を兼ねる「赤箱文化」の中心に据えられた。の老舗果物商が導入した木枠入りの化粧箱は、果実の大きさよりも並びの整列を重視する基準を生み、これが後の等級制度の原型になったとされる。
また、にの冷蔵貨物船がいちごの海上輸送に成功したことで、遠隔地への贈答が可能になった。もっとも、到着した箱の一部は揺れで「一斉に赤みが増した」と記録されており、これを受けて業界では「航海後熟」と呼ばれる慣習が生まれた。科学的根拠は薄いが、現在でも一部の仲卸が好んで用いる表現である。
栽培と流通[編集]
いちご栽培は、、、の三方式に大別される。なかでも高設栽培は、腰を曲げずに収穫できる利点から普及したが、当初は「果実を見下ろす栽培法」として一部の農家に敬遠された経緯がある[5]。
流通面では、いちごは温度変化に極めて敏感であり、の誤差が見栄えに影響するとされる。市場では「朝取り」「昼前揃い」「夕方色締まり」の三区分が用いられ、特にでは、箱を開けた瞬間の香気まで価格査定に加味する慣行があるとされる。なお、査定員の一人が果実の香りを「初雪の直前の校庭」と表現したことが、業界語として定着したという。
以降は観光農園との結びつきが強まり、摘み取り体験が家族行事として定着した。千葉県のある農園では、入園時に糖度ではなく「会話の明るさ」を測る独自の受付方式を採用し、一定以上の笑顔を見せた客にだけ「完熟棚」へ案内するという。これは要出典とされる一方、地元紙では複数回取り上げられている。
品種と等級[編集]
主要品種[編集]
代表的な品種としては「紅早生」「白雲姫」「あまやどり」「とちみるく」などが知られている。なかでも「紅早生」は果皮がやや鈍い赤色で、輸送耐性に優れる一方、収穫後24時間を過ぎると香りが急に落ちるため、都市圏向けに限定流通されることが多い[6]。
「白雲姫」はの研究機関で偶発的に選抜されたとされる白い果実であり、初出荷時には「成熟不足ではないか」と市場が混乱した。しかし、試食会においての菓子職人が「雪見だいふくの中身のようだ」と評したことで評価が逆転したという。
等級制度[編集]
いちごの等級は、通常の大きさ、形状、艶、果頂部の揃いに加え、「ヘタの角度」「箱を開けたときの第一印象」「会話誘発率」まで含めて判断されるとする地域がある。特選等級では、果実が四角形に近く並ぶと「祭礼用」として扱われることがあり、の一部市場ではこれを「神棚規格」と呼ぶ。
一方で、昭和末期に導入された糖度証票は、計測値の表示に加えて、果実がどの方向に向いて育ったかを示す回転矢印が印字されるなど、過剰に精密な制度として批判を受けた。制度設計に関わったの担当者は、後年「数字は安心を与えるが、いちごは最終的に顔で選ばれる」と述べたとされる。
文化的影響[編集]
いちごはにおいて、ショートケーキの象徴として位置づけられているが、これは戦後の乳業振興と連動して生まれた比較的新しい慣習である。、の洋菓子店「ル・ミルフレーズ」が、クリームの白と果実の赤を対比させたケーキを販売し、これが「祝い事には赤と白」という配色規範を強化したとされる[7]。
また、いちごはやの時期と結びつき、季節感を売る装置としても機能してきた。広告業界では、いちごの果実面を拡大した写真を「春の窓」と呼び、新聞折込の表紙に多用したという。1980年代には、テレビCMで果実が回転しながら出現する演出が流行し、当時の小学生の間で「いちごが空中で最も甘くなる」という都市伝説まで広まった。
批判と論争[編集]
いちごに関する最大の論争は、香り重視派と糖度重視派の対立である。前者は香気成分の揮発を最優先すべきと主張し、後者は箱詰め後でも味が保たれることを重視するが、の一部生産者は「最終的には朝の気温で決まる」と両者を冷ややかに見ている。
また、観光農園の増加に伴い、「体験料を払って果実を食べるのか、果実を食べる権利を買うのか」という哲学的な論争も発生した。これに対しは、2021年に非公式文書として「果実との適切な距離感に関する指針」を配布したとされるが、文書番号が不明であり、研究者の間では半ば伝説扱いである。
さらに、白い品種の登場以降、「いちごは赤いもの」という通念が崩れたとして保守的な市場関係者から反発が起きた。ある卸売業者は「白いのにいちごを名乗るのは、雲が雨を名乗るようなものだ」と発言し、これが翌日の朝刊に大きく引用された。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 黒川真一郎『温室果実論』静岡農事会出版部, 1891年, pp. 14-39.
- ^ 田島源蔵『菓子と果実の陳列学』銀座洋菓子研究会, 1932年, pp. 88-104.
- ^ 佐久間瑞枝『赤箱贈答史』京都商品文化叢書, 1948年, pp. 21-57.
- ^ Harold J. Emerson, "On the Aromatic Stability of Market Strawberries", Journal of Applied Horticultural Studies, Vol. 12, No. 3, 1964, pp. 201-219.
- ^ 農林省果実局編『果実流通標準化資料 第4輯』大蔵印刷局, 1959年, pp. 5-18.
- ^ Margaret L. Wren, "Post-Harvest Orientation and Berry Display", Quarterly Review of Commodity Aesthetics, Vol. 7, No. 1, 1978, pp. 44-63.
- ^ 『糖度証票制度の手引き』農協中央会資料室, 1986年, pp. 3-26.
- ^ 林田久美子『いちごと近代日本の春色』東京生活文化研究所, 2001年, pp. 111-149.
- ^ Akira T. Yamada, "The Temperature Error of 0.8 Degrees in Strawberry Auction Houses", International Journal of Cold Chain Management, Vol. 19, No. 2, 2015, pp. 77-92.
- ^ 『果実との適切な距離感に関する指針』農林水産省内検討記録, 2021年, pp. 1-9.
外部リンク
- 日本いちご文化協会
- 果実陳列研究センター
- 赤箱贈答資料館
- 温室園芸アーカイブ
- 全国観光摘み取り連盟