うん汁
| 分類 | 発酵液体・農業資材(とされる) |
|---|---|
| 主な用途 | 土壌改良材・畑の即席肥料(とされる) |
| 採取形態 | 共同容器への回収(とされる) |
| 由来 | 語源は「運(うん)」と「汁(しる)」が合成されたとされる |
| 普及地域 | 北海道から九州の一部で噂話として残る |
| 取扱上の注意 | 衛生面での議論が長引いている |
| 関連語 | うん汁党、うん汁菌、うん汁樽 |
うん汁(うんじゅう)は、主にの路上で採取されるとされる「発酵性液体」である。家畜飼養や農業資材に転用される例が伝えられてきたが、実態は地域ごとに大きく異なるとされている[1]。
概要[編集]
うん汁は、発酵によって「養分が使える形に変わる」と説明される液体であり、主として家庭菜園や小規模農家の間で「即効性がある」と語られることが多い概念である[1]。
資料によっては、採取後にで管理し、決められた発酵時間を経てから散布する「手順」が細かく記されているが、同時に「衛生的に問題が出る」との反対意見も併存している[2]。
なお、語感が下品であることから民間では冗談として扱われることもある一方、行政や学校給食の検査と結びつけて説明されることもあり、地域文化と結びついた“擬似科学”として観察されてきたとされる[3]。
歴史[編集]
成立:戦後の「運搬汁」構想から[編集]
もっともらしい起源として、うん汁は1950年代初頭に始まった「運搬汁(うんぱんじる)」の転訛であるとする説がある。具体的には、北海道内の炭鉱跡地で、作業員の栄養不足を補う目的で、下水処理施設の副産物を“発酵資材”として再利用する計画が立案されたとされる[4]。
この計画は札幌市の旧・工業試験所を母体に、農林水産省の地方出先を巻き込む形で進んだとされるが、進行中に担当官が「運(うん)が運ぶのなら、汁(しる)も運ぶべきだ」と演説したことが、後の名称を呼び込んだと語られている[5]。
さらに、記録の体裁だけは整っており、1953年の「冬季試験」では、毎日午前6時と午後6時に攪拌し、容器内の泡高が「ちょうど27ミリ」を超えたら散布開始、という“実験プロトコル”が残っているとされる[6]。ただし、このプロトコルが実測なのか誇張なのかは判然としないとされている。
発展:うん汁樽と「うん汁党」の流通網[編集]
1960年代に入ると、うん汁は「うん汁樽」と呼ばれる二重壁の発酵容器に移し替えられることで、輸送中の劣化を抑える資材として語られるようになった。樽の内側は素焼き、外側は青森県の倉庫から見つかった断熱材を転用したとする説明が残り、地域の“工夫”が強調されている[7]。
一方で、流通の側面では「うん汁党」が結成されたとする逸話が有名である。これは正式な政党ではなく、北東北の農協職員と町内会の会計担当が、同じ発酵工程を共有する“手順の派閥”を作ったものだとされる[8]。党の規約には「樽のコックは二回転半で開け」「容器のラベルは必ず赤インク」といった細則があり、外から見ると宗教儀礼に近かったと述べられている[9]。
この時期、に似た体裁の“自主規格”が回覧され、全国から見学者が集まったとされるが、当時の回覧板の写真がないため、実在性に揺らぎがあるとも指摘されている[10]。
社会的定着:学校と畑の“標本化”[編集]
1970年代には、農業教育の現場で「発酵の理科」を教える教材としてうん汁が扱われたとする記述がある。たとえば長野県のある町立農業高校で、家庭科の課題として「発酵温度と匂い強度の相関」を記録する学習プリントが配布されていたという伝承が伝わっている[11]。
プリントには、匂いを5段階で採点する表があり、最初の週を“2”、3週目を“4”、最終週を“3”に戻すのが望ましいとされていた、とする細部が紹介されている[12]。ただし、これは教師が生徒のノートを“面白く整える”ために付けた目標値ではないか、という疑義も出ている。
この標本化によって、うん汁は「農業の努力で栄養が増える」という物語を支える存在として定着した。結果として、農村では微生物への理解が進んだと評価される一方、都市部では衛生リスクとセットで語られ、社会的な関心が分断されたとされる[13]。
製法・性質(とされる手順)[編集]
うん汁の製法は地域で異なるが、共通点として「発酵工程」と「散布タイミングの規律化」が挙げられるとされる。代表的には、採取後にへ移し、1日目は低温で“立ち上げ”、2日目以降に温度を上げて“養分を開く”と説明されることが多い[14]。
また、発酵の進行は化学的測定ではなく「泡の角度」や「容器の口元に付着する薄膜の色」で判断されるとされ、色分けは赤橙〜乳白まで段階があるとされる[15]。一部では「舌で味見してはいけない」という注意書きが、なぜか“家族のだれかが口にした痕跡”を前提にした文面で残っているとされ、笑い話と同居している[16]。
なお、散布量は「1平方メートルあたりキャップ半分」など体積換算が曖昧に記される場合が多いが、例外的に新潟県の回覧では“1平方メートルあたり17ミリリットル”と書かれていたとされる[17]。このような具体性があるため、信奉者は“経験則が数字に落ちた証拠”だと主張するが、懐疑派は「17」は単なる縁起の数字だと反論している。
社会的影響[編集]
うん汁は、農業資材というよりも「地域の合意形成装置」として働いた側面があったとされる。すなわち、同じ樽の扱い方を共有することで、農家間のコミュニケーションが増え、“いつ・どれだけ・どうやって”の議論が繰り返されたという[18]。
その結果として、畑の管理記録が体系化され、堆肥の温度や水分をメモする習慣が広がったとする評価がある。とくにの茶畑では、うん汁樽の管理ノートが“収量の説明力”を持ったという証言があり、茶葉の摘採時期が平均で3日程度前倒しになったという数字が伝わっている[19]。
ただし、こうした数値は回顧録に依存しており、実際の収量変化は土壌や気象の影響が大きい可能性がある。にもかかわらず、地域の誇りとして残り、都市のマーケットでは「発酵の香りがする野菜」などの見立てに接続されたとされる[20]。
批判と論争[編集]
うん汁に対する批判は主に衛生面と説明の曖昧さに集中している。衛生当局は、採取・保管の手順が不統一であり、病原体の混入可能性が否定できないと述べたとされる[21]。
一方で信奉者は、微生物の働きで“無害化される”と主張し、温度管理の目安として「最低でも三日間は華氏86度相当を維持」と語ることがある。だがこの華氏換算が議事録で統一されず、摂氏換算にすると68〜79度幅が生まれるため、説の内部整合性が問われたとされる[22]。
また、論争の中心には、農林水産省の資料とされるPDFが出回った事件がある。内容は「推奨できないが、研究目的なら可」と結論していたとされるが、実在の公開資料に見えない文体であったため、情報の出所が疑われた[23]。この“微妙に本物っぽい”資料こそが、後の熱狂と反発を同時に増幅したと指摘されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯恵里『路上発酵資材の民俗学—「うん汁」回覧の系譜』青葉書房, 2004.
- ^ Margaret A. Thornton, “Fermentation Rituals in Rural Networks,” Journal of Applied Folklore, Vol. 12, No. 3, pp. 41-59, 2011.
- ^ 田中政道『発酵温度管理の実務と誤差—華氏表示の社会史』東都技術出版, 1987.
- ^ 岡村さやか『農業教育教材の逸話集』信濃教育研究所, 1996.
- ^ 林昌秀『自主規格としての農村プロトコル—樽のコックと赤インク』北関東農業史研究会, 1979.
- ^ Katsuro Watanabe, “Foam-Angle Indicators and Community Compliance,” International Review of Microbial Myths, Vol. 5, No. 1, pp. 10-22, 2016.
- ^ 【要出典】『うん汁党規約の写本と注釈』日本町内会連合, 1968.
- ^ 小宮山隆『匂い強度の主観評価モデル—5段階採点の妥当性』山陰大学出版部, 第2巻第1号, pp. 77-95, 2009.
- ^ 井上真理子『回覧板写真が語るもの—撮られなかった資料の統計』文教史学会紀要, 第19巻第2号, pp. 203-219, 2013.
- ^ “Municipal Hygiene Statements on Un-juice,” Proceedings of the Cantilever Sanitation Symposium, pp. 1-8, 1972.
外部リンク
- うん汁回覧板アーカイブ
- 発酵温度換算メモ集
- うん汁樽の作り方(手順まとめ)
- 地域農法の民俗地図
- 匂い評価ノート倉庫