こだわりの除夜の鐘
| 別名 | 選別撞鐘、調律除夜、108音式 |
|---|---|
| 起源 | 江戸時代後期の京都説が有力 |
| 主な地域 | 京都府、東京都、奈良県、神奈川県 |
| 時期 | 12月31日深夜 |
| 関連宗派 | 曹洞宗、浄土宗、真言宗の一部 |
| 代表的な手法 | 鐘楼内反響調整、撞木の湿度管理、余韻記録 |
| 保存団体 | 日本年鐘保存協議会 |
| 登録 | 2021年に民俗音響技法として準登録 |
こだわりの除夜の鐘(こだわりのじょやのかね)は、の深夜に撞かれる鐘を、音色・回数・余韻の三要素で厳密に設計する日本の年越し慣習である。江戸時代後期の京都で成立したとされ、のちに東京都の寺院を中心に広まった[1]。
概要[編集]
こだわりの除夜の鐘は、単に鐘を撞く行為ではなく、鐘の材質、撞木の重さ、撞点の角度、さらには当夜の風向きまでを含めて「年越しの音」を設計する慣習である。とくに京都市の古刹では、鐘の響きが境内の石畳をどのように伝わるかを測定し、参拝者の足音が混ざらないよう開始時刻をに前倒しする寺もあるとされる[2]。
この風習は、近世末期の梵鐘鋳造の改良と、明治期の「時間の均質化」への反動から生まれたと説明されることが多い。また、音響にこだわる僧侶や職人のあいだでは、鐘の「余韻の長さ」を年明け後の客の滞留時間と同じにすると縁起がよいとされ、各地で独自の調整法が発達した。なお、鐘を撞くたびに記録係がまで振動数を控える寺院もあり、学術的には半ば民俗工学として扱われている。
成立[編集]
成立の起点は、年間の京都・周辺にあった梵鐘修復の慣行とされる。1820年代、鋳物師のが、鐘の内壁の厚みがわずか違うだけで余韻が以上変化することを報告し、これを寺院側が年越し儀礼に取り入れたという[3]。
一方で、音の「こだわり」を明確に制度化したのは、明治27年に東京帝国大学で声学を学んだ僧侶であるとする説が有力である。玄堂は、鐘音を「衆生の執着をほどくための最後の可聴印」と位置づけ、撞き始めの打撃速度を毎秒に揃える指導書を作成した。これがのちに『鐘声整律私抄』として寺院に広まり、こだわりの除夜の鐘の基礎文献とみなされるようになった。
特徴[編集]
鐘の選定[編集]
こだわりの除夜の鐘では、鐘そのものを「鳴る器」ではなく「年を跨ぐ装置」として扱う。寺院によってはの鋳物工房で鋳造された青銅鐘を好み、銅%、錫%、その他1%という配合が「最も後悔が少ない」とされる。中には、前年度の除夜の鐘で生じた微細なひびを敢えて残し、翌年の第打でだけ微かな倍音が生じるよう調整する寺もある[4]。
撞木と手順[編集]
撞木はが基本とされるが、奈良県の一部寺院では湿度%以上の日に限り、桑材を用いる慣例がある。撞く人数も重要で、一般にはだが、音の均質化を重視する寺ではを採用し、1人目が身体の重さ、2人目が角度、3人目が「ため」を担当する。ある寺では、撞木担当の緊張が音に影響するとして、毎年の終盤と同じ拍手量を再現する訓練が行われている。
記録と鑑賞[編集]
近年はスマートフォンで撮影する参拝者が増えたため、寺側が意図的に鐘の余韻をに整える傾向がある。これは動画共有サイトで「ちょうどいい長さ」とされる範囲に合わせたものだと説明されるが、実際にはの旧式測定器を模した独自の音圧計で管理されている。なお、鐘の音を聴いた直後に甘酒を飲むと雑音が減るという経験則があり、これは学術的には「聴覚後味補正」と呼ばれている。
歴史[編集]
江戸後期から明治初期[編集]
江戸後期には、寺院ごとに鐘の大きさや撞く回数がまちまちであり、ある地域ではで終える寺とで終える寺が並立していた。これに対し、京都の町年寄りが「年越しは音の揃いで見栄えが決まる」と主張し、鐘の余韻を尺八のように扱う文化が発達したとされる。明治維新後はにより時刻の統一が進み、逆に寺院側が「官製の時刻」に対抗する形で音色の個性を強調した。
昭和の観光化[編集]
昭和30年代になると、観光客向けの「見せる除夜の鐘」が増え、拝観券に鐘音の余韻を比較する簡易スコアが付属した寺もあった。とくにでは、潮騒との混線を避けるため、鐘の立ち上がりを0.4秒早める方式が編み出され、写真週刊誌に「音まで設計された年越し」と報じられた[5]。一方で、過剰な演出を批判する僧侶もおり、「鐘は鳴るのであって演奏されるのではない」とする説法が話題となった。
平成以降の標準化[編集]
平成期には、各寺のこだわりが過熱し、鐘楼に温湿度計、風速計、簡易オシロスコープを備える寺が現れた。これを受けてが設立され、余韻以上、打点誤差以内を「準模範」とする暫定基準を公表した。しかし、現場では「基準に従うほど鐘が無個性になる」として反発もあり、結果として“基準から微妙に外すこと”自体が新たなこだわりとなった。
社会的影響[編集]
こだわりの除夜の鐘は、寺院の年末行事を超えて、地域産業にも影響を与えた。たとえば石川県の撞木職人は、年末のみ受注がに増え、木材の乾燥期間をからへ延ばすことで「音が落ち着く」と宣伝した。また、鐘の余韻を記録するために高性能マイクが導入され、地元の電器店が一時的に年末売上のを占めたという。
教育面では、中学校の音楽授業で「鐘の持続音の観察」が扱われるようになり、児童が校庭で鉄棒を叩いて比較する実習が行われた地域もある。もっとも、保護者からは「うるさい」「季節行事にしては理科っぽすぎる」との苦情もあり、文部科学省の担当者が視察に訪れた際、鐘の前での説明を受けて困惑したと伝えられる。
批判と論争[編集]
批判の中心は、こだわりが競争化しやすい点にある。とりわけ大阪府の一部寺院が「最も澄んだ余韻」を争う『鐘音品評会』を開催した際、審査員に音響学者と甘酒販売業者が同席していたことから、公平性が疑問視された[6]。また、音の美しさを追求するあまり、実際の撞数がを超えてになる寺が出現し、「煩悩を祓うのではなく増やしている」と批判された。
なお、には、ある寺院が「無風状態での最適撞音」を求めて境内に大型送風機を設置し、結果として鐘の音より風切り音の方が目立った事件があった。寺側は「実験の一環」と説明したが、近隣住民は年越しのたびに玄関ドアが自動で閉まるようになったとして、翌年から録音再生式の仮設鐘に切り替えたという。
脚注[編集]
脚注
- ^ 高瀬玄堂『鐘声整律私抄』京都民俗音響出版社, 1895年.
- ^ 松井源左衛門「梵鐘内壁厚と余韻差に関する覚書」『京洛鋳物研究』第3巻第2号, pp. 14-29, 1828年.
- ^ 村山静音「除夜鐘の撞点角度と参拝者滞留の相関」『日本年中行事学会誌』Vol. 12, No. 4, pp. 201-218, 1978年.
- ^ Elizabeth Thornton, "Resonant Rituals in Late Modern Temples" , Journal of East Asian Sound Studies, Vol. 8, No. 1, pp. 55-79, 2009.
- ^ 中島鐘三『余韻の民俗工学』平凡社, 1998年.
- ^ 渡辺精一郎「年越し鐘音における風速補正の実践」『音響と信仰』第7巻第1号, pp. 3-19, 1961年.
- ^ 高橋みどり「観光化以後の除夜行事と拝観経済」『民俗と流通』Vol. 5, No. 2, pp. 88-104, 1984年.
- ^ 山田克也『日本年鐘保存協議会資料集 2018-2022』日本年鐘保存協議会, 2023年.
- ^ Pierre Lambert, "The Problem of One Hundred and Eleven Rings" , Revue des Traditions Sonores, Vol. 2, No. 3, pp. 1-17, 2017.
- ^ 佐伯真琴「送風機導入寺院における音質変化の記録」『寺院技術史報告』第11巻第6号, pp. 44-61, 2020年.
外部リンク
- 日本年鐘保存協議会
- 京洛梵鐘アーカイブ
- 民俗音響研究会データベース
- 鐘音観測年報
- 除夜調律博物館