ぺしゅける
| 正式名称 | ぺしゅける |
|---|---|
| 別称 | 貝鳴り調整、しお音合わせ |
| 発祥 | 青森県下北郡沿岸部とされる |
| 成立時期 | 1897年頃 |
| 用途 | 貝殻粉砕、潮音調整、漁具の音響整形 |
| 主な伝承地 | 青森県、北海道、宮城県石巻周辺 |
| 代表的人物 | 三浦シゲ、Dr. Harold W. Fenwick |
| 保護団体 | 日本海洋民俗保存協会 |
| 関連制度 | 沿岸無形技術登録 |
ぺしゅけるは、主に東北地方および北海道の沿岸部で用いられるとされる、乾燥貝殻を粉砕しながら音の位相を整える民間技法である。元来は明治末期に青森県の漁村で生まれたとされ、のちに農林水産省と民俗学者の間で保存対象として扱われた[1]。
概要[編集]
ぺしゅけるは、貝殻や砂利を専用の木枠に入れ、一定の速度で揺らしながら音を「ほどく」ことで、漁場での不均一な反響を抑えるとされる技法である。民間伝承では単なる作業法にとどまらず、船出の前に行うことで風向きの癖を見抜く儀式的な意味を持ったともいわれる。
現在では、青森県の一部集落で年に2回だけ実演が行われているほか、の公開講座で再現展示がなされている。もっとも、実際にどこまでが作業でどこからが儀礼であるかは資料ごとに記述が割れており、1890年代の記録には「音を整えたのち、潮が静まった」といった、やや眉唾な記述も見られる[2]。
定義[編集]
ぺしゅけるの定義は、広義には「貝殻粒子を使った音響補正法」であり、狭義には「桶に詰めたアサリ殻を三拍子で回す作業」を指す。研究者の間では後者を本式、前者を派生形とする説が有力である。
名称の由来[編集]
語源については、アイヌ語起源説、津軽方言起源説、さらにはフランス人技師が聞き取れずに適当に記録した説が並立しているが、決定的な証拠はない。『ぺしゅける』という表記自体はの地方紙『陸奥新報』の広告欄に初出するとされる。
歴史[編集]
ぺしゅけるの起源は、青森県下北半島の寒村で、冬季の漁網修繕中に貝殻の割れ音が大きすぎることを嫌った若い漁師たちが、音を抑えるために桶の中で殻を転がしたのが始まりとされる。これを見た老婆の三浦シゲが、音の立ち方で翌日の潮の機嫌が分かると述べ、以後は実用と占いが混じった独特の作法になったという。
には弘前の教育会館で「沿岸音響整整法講習会」が開かれ、には東京のが「ぺしゅける現象」を学術報告に採録した。報告書では、木枠の角度がを超えると音のまとまりが崩れるとされ、再現実験は延べ行われたという。しかし、同研究所の実験ノートの半分は火災で失われたとされ、後年の研究は伝聞に頼る部分が大きい。
戦後になると、ぺしゅけるは漁村の生活技術として再評価され、のの調査で「保存の必要あり」との意見がまとめられた。だが実際には、昭和30年代の若者のあいだで「やると手が潮くさいまま帰宅する」と敬遠され、普及率は一時まで落ち込んだともいわれる。
1980年代以降は民俗芸能としての側面が強調され、北海道の観光協会が「音で感じる浜の科学」として演出を加えた。これにより、元来は無言で行われた工程の途中に太鼓が入れられたが、古老たちは「太鼓はうるさいだけで、貝殻の気分が散る」と批判したという。
近代化と標準化[編集]
には内務省の外郭団体が『ぺしゅける標準作業七則』を作成し、使用する貝殻の大きさをからに限定した。これにより事故率は減少したが、音の「野性味」が失われたとして一部で反発が起きた。
技法[編集]
典型的なぺしゅけるは、まず乾燥させた二枚貝をの木桶に入れ、右手で、左手でだけ揺らすところから始まる。次に桶の縁を指先で軽く叩き、殻同士の擦過音が「さらり」から「しゅるり」に変わる瞬間を待つとされる。
熟練者はこの変化を耳ではなく、頬骨の震えで判断するとされている。青森県風間浦の伝承では、名人は潮騒と桶の音を同時に聞き分け、最終的に殻の粉末をだけ残すように調整したという。なお、粉末を多く残しすぎると翌日の網が重くなるというが、これは科学的根拠が示されたことはない[3]。
道具は極めて簡素であるが、儀礼化した系統では、桶の底にを垂らし、最後に浜辺の砂をひとつまみ混ぜる作法がある。これについては、保存団体の間でも「本来の作法」か「後年の観光的付加」かで意見が分かれている。
社会的影響[編集]
ぺしゅけるは、漁村の音環境を整える技術としてだけでなく、共同作業を可視化する記号として機能したとされる。特に昭和20年代から30年代にかけては、子どもたちが浜で遊ぶ際に「ぺしゅけるごっこ」を行い、誰が最も静かに桶を回せるかを競ったという。
また、では、津波後の地域再生イベントで復興の象徴として採用され、には市民が参加する集団実演が行われた。ところが、主催側が当日用意した貝殻の一部がプラスチック製だったことが判明し、地元紙は小さく『音の説得力に疑義』と報じた。
文化人類学の分野では、ぺしゅけるは「労働と占いの境界が曖昧な東北型技術」と分類されることが多い。一方で、経済史の文脈では、殻粉の再利用による塩分調整が保存食の品質向上に寄与したとの指摘もあり、実利と迷信が切り分けにくい事例として頻繁に引用されている。
批判と論争[編集]
批判の中心は、ぺしゅけるが本来の民間技法なのか、後世に作られた文化装置なのかという点にある。特にの『民俗研究』第44巻第号に掲載された鈴木明彦論文は、初期資料の出現時期が遅すぎるとして、「伝承の核はあるが、現在知られる形は昭和期の再構成である」と主張した。
これに対し保存団体は、記録の乏しさは漁村の口承文化に固有の問題であり、否定の根拠にはならないと反論した。さらに、1990年代にはNHKの地方番組が再現映像を制作した際、出演者が本来の手順を1工程飛ばしてしまい、視聴者から『音が軽い』との苦情が寄せられたという。
また、観光化に伴い「ぺしゅける体験セット」が土産物店で売られたことで、内部の指導者から『静けさを売り物にするのは本末転倒である』との批判も出た。もっとも、こうした論争そのものが、ぺしゅけるを単なる道具以上の存在に押し上げたとも考えられている。
現代の継承[編集]
現在、ぺしゅけるは青森県の数校で郷土学習の題材として取り上げられており、年1回の公開授業では児童が小型の木桶を使って模擬実習を行う。授業後には「浜の音が前より丸く聞こえた」とする感想が多く、教育委員会は成果があったとしている。
一方で、若年層の継承者は減少しており、の調査では、実演可能な保存会員は県内で、そのうち本来の作法を「家族から直接教わった」と答えた者はにとどまった。保存会では動画アーカイブ化を進めているが、肝心の「音の質」を映像でどう残すかが課題になっている。
なお、近年の研究では、ぺしゅけるの音響効果そのものよりも、共同体内部で沈黙を共有する儀礼としての意味が重視されつつある。2024年には国立歴史民俗博物館が所蔵資料の再整理を行い、箱に貼られていた札の筆跡が三種類混在していたことから、複数の伝承系統があった可能性を示した。
保存活動[編集]
保存活動の中心はであり、毎年の第2土曜日に講習会を開いている。参加費はで、終了後には貝殻の粉を小袋に分けて持ち帰るのが慣例である。
研究の現在地[編集]
近年は北海道大学の音響民族学研究室が、ぺしゅけるを『低周波雑音の社会的制御』として再定義しようとしている。ただし、測定機器が高性能すぎて現場の気配が消えるため、研究者自身が『精密になればなるほど伝承から遠ざかる』と報告している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 三浦シゲ、松田恒雄『下北沿岸における貝鳴り作法の記録』北海文化研究会, 1934, pp. 41-68.
- ^ 鈴木明彦「ぺしゅける成立史の再検討」『民俗研究』第44巻第2号, 1978, pp. 113-129.
- ^ Harold W. Fenwick, The Acoustic Rituals of Northern Fishing Villages, University of Edinburgh Press, 1961, pp. 22-39.
- ^ 田中一郎『浜の静寂と桶の技法』青潮社, 1989, pp. 5-27.
- ^ 佐藤みどり「沿岸部における殻粉利用の儀礼化」『日本民俗学』第212号, 2003, pp. 77-96.
- ^ Margaret L. Evans, Peshukeru and the Politics of Sound, Cambridge Maritime Studies, Vol. 7, 1998, pp. 201-245.
- ^ 青森県教育委員会編『郷土学習資料 ぺしゅける入門』, 2011, pp. 3-19.
- ^ 宮本健二『音をほどく技術史』岩波書店, 2007, pp. 88-104.
- ^ 石井和夫「貝殻の位相整形について」『沿岸科学ジャーナル』第18巻第4号, 2015, pp. 55-73.
- ^ Lydia S. Morton, On Peshukeru and Other Small Impossible Traditions, Maritime Folklore Quarterly, Vol. 12, 2020, pp. 9-31.
外部リンク
- 日本海洋民俗保存協会
- 国立民族学博物館デジタルアーカイブ
- 青森県文化資源データベース
- 沿岸音響技法研究センター
- 浜の記憶ライブラリ