コント52号
| コンビ名 | コント52号 |
|---|---|
| 画像 | なし |
| キャプション | 資料が少なく、舞台写真も断片的である |
| メンバー | 宮坂五郎、平田トメキチ |
| 結成年 | 1979年 |
| 解散年 | 1987年 |
| 事務所 | 東都演芸社 |
| 活動時期 | 1979年 - 1987年 |
| 芸種 | 漫才、コント |
| ネタ作成者 | 宮坂五郎 |
| 出身 | 東京都台東区浅草 |
| 出会い | 喫茶店「サンライズ」のアマチュア寄席 |
| 旧コンビ名 | 下町52 |
| 別名 | 52号 |
| 同期 | 青空三段跳び |
| 影響 | 舞台転換の速いショートコント形式 |
| 現在の代表番組 | なし |
| 過去の代表番組 | 『夜更けの52分』 |
| 現在の活動状況 | 解散 |
| 受賞歴 | 第3回東関東お笑い新人賞 準優勝 |
| 公式サイト | なし |
コント52号(こんとごじゅうにごう)は、東京都を拠点に活動した所属のお笑いコンビ。1979年に結成され、昭和末期の番組を中心に人気を博したとされる[1]。
メンバー[編集]
宮坂五郎(みやさか ごろう)は、ボケ担当で、ネタ作成も兼任していたとされる。下町口調のまま東京都外郭の事象を説明する癖があり、後年の関係者はこれを「説明型ボケ」と呼んだ[1]。
平田トメキチ(ひらた とめきち)はツッコミ担当で、身長は公称164cmであるが、衣装の肩パッドを含めると171cmに見えたという。舞台上では相方の暴走を止めるというより、暴走の速度を測定する役割を果たしていたと記録されている。
両者はともに台東区の寄席文化に親しんで育ち、初期は「下町52」と名乗っていた。なお、事務所の台帳では一時的に「52号車」と誤記され、しばらく内部でそのまま呼ばれていたという[要出典]。
来歴[編集]
芸風[編集]
芸風は、日常会話のように始まり、途中から行政文書のように硬くなるコントで知られる。宮坂が小声で雑談を続ける一方、平田が「ただいまの件、暫定的に中止である」と断じる構成が定番であった。
漫才では、1本のネタに3つのオチを仕込み、客席が最初のオチで笑うと二つ目が消え、二つ目で笑うと三つ目が成立しないという逆算式の手法を採っていた。このため舞台監督からは「笑いの在庫管理が難しい」とも評された。
また、コントの転換が異様に速く、5本の小道具を34秒で入れ替える記録が残っている。これは後にの小劇場演出に影響を与えたとされ、特にの若手劇場では「52秒ルール」として模倣された。
エピソード[編集]
1984年、の前説で宮坂が客席に向かって「本日の本編は52号線の渋滞より短い」と発言し、客席後方の交通記者がそれを真に受けてメモを取ったという逸話が残る。
1985年には、地方営業の移動中に車両のトラブルで到着が遅れた際、平田が即興で「到着遅延を謝罪するコント」を披露し、結果として主催者から謝罪状ではなく出演料の増額を受けた。これは両者が「謝罪コントの完成形」と呼んだ数少ない成功例である。
一方で、テレビ局の控室に52分前集合を厳守するあまり、実際の集合時刻を演者全員が勘違いし、朝5時2分に到着してしまった事件もある。局の記録係はこの出来事を「深夜帯と早朝帯の境界が崩れた瞬間」と記している[要出典]。
出囃子[編集]
出囃子は、とを併用した独特の短曲「52番通りのワルツ」である。作曲は無名の劇場音響係・榊原順平とされ、実際には既成曲を15秒単位で切り貼りしたものだという。
この曲はイントロが始まると同時に笑いが起きるため、舞台袖では「音が鳴ったら半分勝ち」と言われていた。なお、1986年の一時期だけ国鉄の駅メロに似ているとして差し替えられたが、観客から「物足りない」との苦情が相次ぎ、3週で元に戻された。
賞レース成績・受賞歴[編集]
第3回東関東お笑い新人賞で準優勝を獲得したほか、1982年の「関東ショートコント大会」では審査員特別賞を受賞した。いずれも優勝には至っていないが、宮坂の「優勝はまだ早い、我々は52号である」というコメントが妙に広く引用された。
1986年にはの前身とされる番組企画「全国コント持久戦」に招待され、初回の制限時間52秒を8分31秒オーバーしたため失格となった。もっとも、この失格がかえって話題となり、以後「時間を超える笑い」という評価軸が一部の地方局で定着したとされる。
出演[編集]
テレビ番組[編集]
代表番組は『夜更けの52分』で、系の深夜帯において断続的に放送された。二人は他にも『土曜寄席ドライヴ』『笑って転送!』『県境ギャグ実験室』などに出演し、いずれも「妙に資料性が高い」と評された。
また、特番『年末だよ全員52号』では司会を務め、ゲストが全員同じタイミングで笑うように台本が組まれていた。実際には3人が先に笑い、進行が10分ずれたと記録されている。
ラジオ[編集]
ラジオでは系の深夜番組『コント52時』が知られる。宮坂がハガキを読み上げるたびに平田が「それは事実確認が必要である」と挟む形式で、リスナーからは教育番組のようだと受け止められた。
番組史上最長の投稿紹介時間は17分24秒で、これは1通のハガキに対して脚注を5つ付けたためである。
作品[編集]
作品としては、1984年発売のVHS『コント52号の短い夜』と、1987年のベスト盤CD『52分の沈黙』がある。後者は音声作品でありながら、全12トラックのうち7トラックがほぼ無音で構成されていた。
書籍『下町コントの設計図』では、宮坂がネタの書き方を「見出しを先に作り、本文を後から笑わせる」と説明している。なお、付録の台本用紙は52枚綴りで、偶然ではなく印刷所が過去に誤って発注した余剰在庫を利用したものとされる。
単独ライブ[編集]
単独ライブは『52回目の正直』『夜はまだ52分ある』『コント52号 解散前夜祭』などが確認されている。特に1986年の『52回目の正直』は、前説・本編・アンコールを合わせて52分で終える予定であったが、実際には客の拍手が長引き、終演は1時間17分になった。
このライブでは、客入れ音楽から退場アナウンスまで一切の演出が「52」に統一されていたため、物販列まで2列に分割され、結果として会場の誘導員が最も忙しかった公演としても知られる。
書籍[編集]
関連書として、評伝『コント52号と昭和の間合い』、資料集『52号台本アーカイブ』、研究書『笑いの局番化現象』がある。とくに後者は、関西の演芸研究者・小野寺久美子による論文を下敷きにしており、コンビの「番号化された笑い」を論じたものとして引用されることが多い。
また、1988年刊の対談集『漫才は52で割り切れない』は、解散後に出版されたにもかかわらず、巻末広告に現役扱いの記述が残っていたため、初版のみ妙な人気を博した。
脚注[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『昭和末期の短尺笑芸とその周辺』東都文化出版, 1989, pp. 41-68.
- ^ 三輪康一『深夜番組が育てた言葉の間合い』新星社, 1992, Vol. 3, pp. 112-139.
- ^ 小野寺久美子『笑いの局番化現象』演芸評論, 第12巻第4号, 1991, pp. 5-23.
- ^ 宮坂五郎・平田トメキチ『52分の沈黙に関する覚書』東都演芸社資料室, 1987, pp. 1-19.
- ^ 榊原順平『出囃子編曲の実務と失敗』音響工房叢書, 1986, pp. 77-94.
- ^ 田所和義『地方営業と即興謝罪コント』日本放送芸術学会紀要, 第8巻第2号, 1990, pp. 88-101.
- ^ Anne M. Holloway, "Numbered Humor and Urban Timing" Journal of East Asian Variety Studies, Vol. 5, No. 1, 1993, pp. 14-29.
- ^ Robert K. Ellis, "The 52nd Routine: A Case Study" Comedy Research Quarterly, Vol. 11, No. 3, 1994, pp. 201-216.
- ^ 東関東お笑い協会『第3回新人賞審査報告書』内部資料, 1982, pp. 3-11.
- ^ 片桐千鶴『テレビ神奈川深夜枠の変遷』港北メディア研究所, 1995, pp. 55-73.
- ^ 山本一平『漫才は52で割り切れない』笑門書房, 1988, pp. 9-28.
外部リンク
- 東都演芸社アーカイブ
- 浅草芸能資料館デジタル庫
- 関東ローカル番組年表
- 52号研究会
- 夜間演芸研究会記録室