シャロン(犬)
| 別名 | 港湾調停犬、横浜型シャロン |
|---|---|
| 原産地 | 日本・神奈川県 |
| 用途 | 家庭内調停、荷役監視、来客応対 |
| 成立期 | 1890年代 - 1920年代 |
| 保存団体 | 日本港湾愛玩動物史料研究会 |
| 標準体高 | 34 - 41 cm |
| 標準体重 | 6.8 - 11.2 kg |
| 毛色 | 白、薄茶、煤色斑 |
| 現状 | 資料上は存続、実数は不明 |
シャロン(犬)は、末の神奈川県沿岸部で体系化されたとされる、群れの意思決定を補助するためのの一系統である。耳の角度と尾の振幅によって家族間の緊張を調停する特性を持つとされ、横浜の港湾文化と密接に結びついて発展した[1]。
概要[編集]
シャロン(犬)は、横浜を中心に成立したとされる伴侶犬系統であり、特に明治後期から大正初期にかけて、外国人居留地の技術と日本の番犬文化が混交して生まれたとされる。一般には温和な小型犬として説明されることが多いが、実際には「来客の靴音を3拍で判別する」「茶碗の配置から家内の序列を察知する」など、きわめて特殊な訓練体系を持つ犬種として記録されている[2]。
名称の由来については、号の船医であったE・M・シャロン女史にちなむという説が有力である一方、当地の寄宿学校で使用された「salon dog」の聞き違いが訛化したものとする説もあり、研究者の間でなお決着していない。なお、の整理票では、初期個体の約62%が「性格穏和、ただし雨天時のみ極端に頑固」とされている[3]。
成立の経緯[編集]
居留地の台所から生まれた系統[編集]
シャロンの起源は、ごろのにおいて、パン屑の分配と番地案内を兼務していた雑種犬群に求められる。とりわけの食料商ルイス・ベネットが飼っていた雌犬「Mina」が、毎朝7時ちょうどに配送船の接岸を告げる習性を示し、近隣で評判になったことが基礎個体群の形成につながったという[4]。
この時期、居留地では来客の多い商館が増え、使用人の不足を補うために犬へ「控えめな案内」「段階的な吠え分け」「手紙を落とさない口取り」が求められた。これに応じる個体が選抜され、1898年にはの私設犬舎で、足音の強弱により玄関・裏口・厩口のいずれへ案内するかを見分ける試験が行われたと伝えられている。試験の成績表には、最高得点者が「雨の日だけ筆跡が荒れる」という不可解な講評を受けており、当時からやや異様な熱意がうかがえる。
標準化と犬籍簿[編集]
、の外郭にあった動物衛生調整係が、港湾労働者の飼育犬を調べる中で、一定の外貌と行動パターンを持つ個体群を「シャロン系」と仮称したことが、後の標準化の出発点である。ここで作成された『港湾家庭犬暫定記録簿』では、耳の立ち方が「来客に対して左耳4度、親族に対しては7度」と細かく規定され、体重よりも「茶卓への接近速度」が重視された。
また、には近くの倉庫で第1回シャロン品評会が開催され、審査員の一人であった獣医・が「この犬は可愛いというより、家の空気を整列させる」と評したことで知られる。品評会の後、優勝個体「Sharon II号」は3日間にわたり横浜駅前の新聞広告に起用され、地域の菓子店が一斉に「港犬饅頭」なる商品を発売したが、販売数は初日で2,840個に達した一方、翌週には半減したとされる[要出典]。
特徴[編集]
行動特性[編集]
シャロンは、一般の家庭犬に比べて「待機」と「確認」の時間が長いとされる。玄関先で客を迎える際、3回目のしっぽの振りで初対面を、5回目で再訪を、7回目で借金の取り立てを見分けると説明されることがあるが、これは主として大正期の飼育家たちによる誇張表現である。
ただし、の内部報告書には、シャロン系個体が複数人の会話を聞いた際、最後に発言した者の靴の向きを優先する傾向があると記されている。これを「床面の権威学習」と呼ぶ説もあり、のちに東京帝国大学の家畜心理学講座で研究対象となった。
外貌と毛色[編集]
外見上は小柄で、胸部がやや深く、耳先が前方へわずかに巻く個体が理想とされた。毛色は白地に薄茶の差し色を持つものが最上とされるが、港湾地区では煤色斑を持つ個体が「荷役に耐える色合い」として高く評価された。
なお、の品評資料では、理想的な尾の長さを「茶碗の直径の1.8倍」と定義しており、この数値がどこから来たのかは説明されていない。編集史の確認が必要である。
社会的影響[編集]
シャロンの普及は、横浜の商家における家事分担を変化させたとされる。とくに、来客応対を犬が先導する慣習は、玄関文化の整備や靴脱ぎの順序意識の強化につながったとされ、東京やの一部でも模倣がみられた。
一方で、労働組合系の新聞『港湾日報』は、犬に家内の空気を読ませることが「人間の会話責任を曖昧にする」と批判した。これに対し愛好家側は、シャロンは命令を覚えさせる犬ではなく「沈黙の調整役」であると反論し、1930年代には“調停犬”という訳語が半ば公的に用いられるようになった。
批判と論争[編集]
シャロンをめぐる論争は、主としてその実在性と由来に集中している。保存会は約1,300枚の写真と87件の飼育証言を公開しているが、同一個体が異なる年代の写真にしばしば登場することから、複数犬を一頭に統合した「家族的記憶の編集」であるとの指摘もある。
また、の再調査で、シャロンの「標準体高」とされた数値が犬種改良ではなく、当時の木製玄関框の高さに由来する可能性が示された。これに対して保存団体は、玄関框こそが生活環境の中心であり、したがって犬種標準の基準として妥当であると応答したが、学会では概ね笑って受け流されたという。
歴史[編集]
戦前期の拡大[編集]
には、シャロンは港湾都市の中流家庭を中心に人気を得たとされる。とくに周辺では、犬が茶の間の客数を先に察知することで、急な来客にも慌てず対応できるとして重宝された。1936年にはが「家庭の速度を整える犬」と紹介し、掲載後3週間で問い合わせが221件あったという記録がある。
ただし、同時期の軍需拡大に伴い、静粛性の高い番犬として誤用される事例もあった。これについては、シャロン本来の性格が「警戒より迎賓」に近いとして、飼育家たちが強く反発した。
戦後の再解釈[編集]
戦後になると、シャロンは実用犬から郷愁の象徴へと変化した。にで開かれた『港の犬と家の記憶』展では、シャロンの写真が路地の看板や古い玄関とともに展示され、来場者の多くが「犬種というより生活様式である」と記したという。
また、1974年には児童向け図鑑『ぼくらの町の犬たち』において、シャロンが「雨の日の電話番」として描かれ、以後、若年層にはおとなしい犬の代名詞として定着した。ただし、1970年代後半の再ブームでは、ディスコ音楽に合わせて前足を揃える「シャロン歩き」が流行し、関係者は困惑した。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高橋精一郎『港湾家庭犬の行動学』日本動物文化協会, 1931, pp. 41-58.
- ^ M. E. Thornton, "Threshold Companions in Treaty Ports," Journal of Maritime Domestic Studies, Vol. 12, No. 3, 1958, pp. 201-219.
- ^ 渡辺信蔵『横浜居留地と家内調停犬史』神奈川史料出版社, 1964, pp. 77-103.
- ^ S. H. Caldwell, "The Sharon Lineage and the Acoustic Greeting Test," The Canine Review, Vol. 7, No. 1, 1972, pp. 14-29.
- ^ 小松原里枝子『明治港町の犬たち』港都書房, 1988, pp. 119-145.
- ^ 日本港湾愛玩動物史料研究会編『港湾愛玩動物史料集成 第2巻』, 1994, pp. 9-67.
- ^ A. J. McBride, "Furniture Height as Breed Standard: An Unusual Case," Animal Anthropology Quarterly, Vol. 21, No. 4, 2003, pp. 88-96.
- ^ 横浜市立郷土資料館編『港の犬と家の記憶 展覧会図録』, 1956, pp. 5-31.
- ^ 斎藤久美『犬が家をまとめるまで』東洋生活文化研究所, 2011, pp. 55-84.
- ^ 佐伯政彦『シャロン犬の耳角度に関する再検討』家畜史学誌, 第18巻第2号, 2019, pp. 113-127.
外部リンク
- 日本港湾愛玩動物史料研究会
- 横浜家内動物アーカイブ
- 神奈川生活犬種図書館
- 近代港町ペット史データベース
- シャロン犬保存会