シュウマイの上のグリーンピース
| 名称 | シュウマイの上のグリーンピース |
|---|---|
| 分類 | 中華風点心の標識的装飾 |
| 起源 | 大正末期の港湾食堂説が有力 |
| 主な使用地域 | 関東地方・北陸の駅弁文化圏 |
| 機能 | 視認性向上・配膳管理・風味補助 |
| 象徴 | 均質化された大量生産の中の個体差 |
| 関連団体 | 全国グリーンピース添載協議会 |
| 異称 | 上載豆、頂上豆、目印豆 |
| ピーク期 | 頃 |
| 備考 | 一部地域ではエンドウ豆が代用された |
シュウマイの上のグリーンピースは、日本の店および駅弁文化において、焼売の頂部に一粒だけ載せられる緑色の豆状食材である。装飾、区別、ならびに配膳時の個体識別を兼ねるものとして知られている[1]。
概要[編集]
シュウマイの上のグリーンピースは、焼売の中央または頂部に一粒置かれる緑色の豆状素材である。単なる彩りと見なされがちであるが、実際には、蒸気の通り、食卓での取り違え防止を目的として発達したとされる[2]。
特に神奈川県横浜市の港湾食堂群と、東京都の駅弁製造業者の間で独自に洗練されたとされ、昭和初期には「載せるか否か」で厨房の系譜が分かれたとも伝えられる。なお、当初はグリーンピースではなく、塩抜きした若いが使われたという説もあるが、これは豆の供給記録とやや整合しない[3]。
起源[編集]
港湾食堂起源説[編集]
もっとも有名なのは、に横浜港第二埠頭の食堂で働いていた料理人・が、同じ皿に盛られた焼売の個体識別のため、上に一粒の豆を置いたのが始まりとする説である。高瀬は当時、注文票を読み違える事故を月平均17件起こしており、特に向けの大盛り焼売で混乱が多発していたため、緑の粒を「番号札」として採用したという[4]。
この方法は、蒸籠の蓋を開けた瞬間に皿の配置が一目で分かることから評価され、同年秋には近隣の3軒で模倣されたとされる。もっとも、当時の伝票用紙には豆を前提とした記述がなく、後世の厨房帳にのみ「グリーンピース添え」と記されているため、史料批判の対象となっている。
駅弁標準化説[編集]
一方、頃の国鉄系駅弁製造所で、長距離輸送中に焼売の上下が分かりにくくなる問題を解決するために導入されたとする説も根強い。とくに高崎駅周辺の弁当工場では、振動試験中に焼売が最大で2.8センチ横滑りし、上部の皮が蒸し布に貼りつく事故が相次いだため、視認用の豆を冠する規格が試験的に設けられたという。
この説を支持する文書として、の内部報告書『蒸熱輸送における上載粒子の有効性』があるが、同報告書の大半は配膳員の感想文で占められており、学術性には疑義がある。ただし、豆を載せた焼売の方が写真映えしたことは確かで、昭和30年代の弁当広告においては、ほぼ例外なく一粒の緑が強調されている。
豆の規格闘争[編集]
1958年には、豆の大きさを巡って「直径8.1ミリ派」と「直径9.4ミリ派」が対立し、との間で小規模な規格論争が発生した。前者は見栄えを重視し、後者は蒸し上がり後の沈降率を重視したためである。
この論争の結果、豆は「焼売1個に対し1粒、色は緑系、皺のあるものは不可」という暫定指針に収束したとされるが、実際には厨房ごとの裁量が大きく、ある店ではえんどう豆、別の店では冷凍枝豆の半割りが用いられた。こうしたゆらぎこそが、後年の「シュウマイの上のグリーンピース」を単なる食材ではなく文化記号へ押し上げた要因である。
機能と象徴性[編集]
グリーンピースは、第一に視覚的な焦点として機能する。白~薄桃色の焼売群の中に一粒だけ緑を置くことで、盛り付けの中心が決定され、皿の回転方向まで暗黙に誘導されるとされる。厨房関係者の間では、これを「緑の羅針盤」と呼ぶことがある[5]。
第二に、配膳上の識別符である。大量調理の現場では、同一蒸籠内の焼売に微細な差をつけることが難しいため、豆の位置によって「先に出す皿」「辛子を別添する皿」などが区分された。なお、の新宿某デパ地下で、豆の載せ忘れにより「海老焼売」と「肉焼売」が逆転して提供された事件があり、以後、店員教育資料には必ず豆の有無が図示されるようになった。
第三に、象徴性である。高度経済成長期の大量生産食品において、グリーンピースは「規格品のなかの手作業」を表す記号となった。工場で機械的に並ぶ焼売の上に、最後の一粒だけ人の手で置かれることが、消費者に「まだ人が見ている」という安心感を与えたとされる。これは食品版の署名とも言えるが、実際には新人パートの教育時間を節約する目的もあったという指摘がある。
普及[編集]
家庭への浸透[編集]
家庭用冷凍食品の普及とともに、シュウマイの上のグリーンピースは全国へ拡大した。には大手食品会社が、1袋12個入りの焼売に対して11粒しか豆を入れない「省粒版」を発売し、これが話題となった。消費者からは「最後の1個だけ豆がないのが不安になる」との声が多く、同社は翌年、予備豆を付ける方式へ変更した。
また、家庭では子どもがグリーンピースだけ先に食べるため、焼売本体が未完成のように見える問題が報告された。これに対し、母親層のあいだでは「豆を残すと蒸気が逃げる」といった独自の生活知が広がり、食卓での躾と盛り付けの美学が混ざり合った独特の文化が形成された。
弁当写真文化[編集]
1980年代に入ると、駅弁カタログやテレビ通販において、焼売の上のグリーンピースは「見本写真で最も仕事をする食材」と評された。撮影現場では、照明を1段上げるだけで豆の反射が強くなり、焼売の質感が相対的に向上して見えるため、広告写真家のはこれを「一粒のレフ板」と呼んだという。
実際、ある駅弁会社の社内資料では、同一商品でも豆の色温度がの照明下では鮮やかに写り、ではやや灰緑色になり、購買意欲が12.4%低下したとされる。ただし、この数値はが6名のみを対象に行った試験結果であり、統計的にはかなり心もとない。
批判と論争[編集]
グリーンピース添載には、発売当初から賛否があった。特に以降、健康志向の高まりとともに「余分な装飾にすぎない」「弁当箱の隙間埋めである」とする批判が出た一方、「あの一粒がないと焼売が始まらない」とする擁護も根強かった[6]。
論争はしばしば政治化し、1991年にはの分科会で「グリーンピースは必要か」を巡って4時間に及ぶ議論が行われた。議事録によれば、最終的に「必要性の有無は地域の食文化に委ねる」と結論づけられたが、実際には昼食時間が迫ったため、満場一致で閉会しただけである。
また、反対派は豆が焼売の皮に穴を開けることがあると主張したが、製造側は「その穴こそ蒸気弁として機能する」と反論した。こうした応酬から、豆は単なる付け合わせではなく、焼売の設計思想をめぐる思想闘争の象徴と見なされるようになった。
社会的影響[編集]
シュウマイの上のグリーンピースは、家庭料理のみならず行政文書や教育現場にも微妙な影響を及ぼした。1998年に横浜市内の小学校で実施された「弁当観察週間」では、児童が焼売の豆の有無を記録する課題が出され、食品の標準化と個性の関係を学ぶ教材として利用された。
さらに、地方自治体の観光ポスターでは、港町の活気を表現する記号として焼売と豆が多用され、の名称を連想させる構図が「地元らしさ」の一種として定着した。なお、ある県ではグリーンピースの緑を「希望色」と呼んで観光振興に用いたが、翌年度には別予算で作成されたパンフレットにより表記が「若草色」に統一され、現場の混乱を招いたという。
食文化研究者のは、これを「料理の上に置かれた最小単位の公共性」と評している。つまり、誰が見ても分かるが、誰も深く説明しないという点で、グリーンピースは高度に日本的な合意形成の縮図なのである。
脚注[編集]
脚注
- ^ 高瀬喜三郎『港湾食堂における豆類の視認性』横浜食文化研究所, 1931年.
- ^ 三枝由紀子『焼売装飾史概論』日本点心学会出版部, 1998年.
- ^ M. Thornton, “The Symbolic Pea in East Asian Confectionery,” Journal of Food Semiotics, Vol. 12, No. 3, pp. 44-67, 2007.
- ^ 佐伯ミチオ『弁当写真論 —一粒のレフ板—』中央撮影新書, 1984年.
- ^ 関東点心協会編『焼売添載物標準化報告書』関東点心協会, 1959年.
- ^ 『蒸熱輸送における上載粒子の有効性』鉄道弁当技術研究会紀要 第4巻第2号, 1936年.
- ^ A. K. Barlow, “Microscopic Garnishes and Consumer Trust,” Food Culture Review, Vol. 8, No. 1, pp. 101-119, 2011.
- ^ 東洋冷食株式会社社史編纂室『冷凍焼売の歩み』東洋冷食, 1974年.
- ^ 日本食糧標準化連盟『豆粒規格に関する暫定指針』東京標準出版社, 1960年.
- ^ 『一粒の緑が示すもの』全国弁当研究会紀要 第11号, 1992年.
- ^ L. Fernandez, “Peas as Operational Markers in Mass Catering,” International Journal of Culinary Systems, Vol. 5, No. 4, pp. 210-228, 2014年.
外部リンク
- 全国グリーンピース添載協議会
- 港湾食堂文化資料室
- 日本点心装飾アーカイブ
- 駅弁視認性研究所
- 弁当写真史データベース