セントラ
| 名称 | セントラ |
|---|---|
| 種類 | セントラ電波時計塔兼集会施設 |
| 所在地 | 北海道函館市(旧・海軍補給区画) |
| 設立 | 昭和55年(1980年)10月3日 |
| 高さ | 112.7 m(雷保護先端含む) |
| 構造 | 鉄筋コンクリート塔体+免震免電層+放送用ドーム |
| 設計者 | 渡辺精一郎(電波建築研究所) |
セントラ(せんとら、英: Centra)は、北海道にある[1]。
概要[編集]
セントラは、北海道のに所在するセントラ電波時計塔兼集会施設である。現在では、塔の秒針に同期した放送が地域の時報になっているとされ、観光と防災啓発を兼ねた複合用途建築として知られている[1]。
名称は、旧海軍補給区画の通信隊が「中心(center)」を意味する俗称「セントラ」を使っていたことに由来するとされる[2]。また、施設は「時計塔であると同時に、市民が集まれる屋根付き広場である」ことを設計理念に据えた点が特徴とされる[3]。
名称[編集]
セントラという呼称は、竣工前の設計書で「CEN—T.R.A(Central Electro-Next Time Relay Array)」と略記された系列名が、そのまま地域に定着したものと説明されることが多い[4]。
一方で、当時の市議会会議録では「“センターラ”が語呂よくなっただけではないか」との疑義が残っており[5]、ここが後年の観光パンフレットに“やけに素朗な逸話”として採用された経緯があるとされる。なお、施設の公式案内では「音楽の“中央拍”のように、町のリズムを揃える」という比喩も併記されている[6]。
沿革/歴史[編集]
起工までの経緯[編集]
セントラの構想は、北海道南西沖における通信遅延が問題となった「第9次沿岸同期実験」後の、1980年頃の公共インフラ再編として語られることが多い[7]。当時、函館湾岸の工場群で時報が数秒ずれると、ライン停止が“1回で済むはずが3回になる”と試算されたことが、自治体側の後押しになったとされる[8]。
具体的には、同期のずれが平均0.8秒を超えると作業者の合図が揺れ、停止理由コードが分散する傾向が見られたとされる[9]。この報告を受け、電波時計塔を「見える時刻装置」として建設し、塔に同期した放送を統一する案がまとめられた。
建設と完成[編集]
建設は昭和55年(1980年)に開始され、工期は当初「268日」と見積もられたが、実際には「273日」で完了したと記録されている[10]。理由として、塔体内の免電層(雷サージ対策)を試作する際に、導体布の目開きが0.3 mm単位で調整されたことが挙げられている[11]。
設計者の渡辺精一郎は、塔を単なる時計ではなく「市民の集合点」として機能させるため、基壇部を吹き抜け構造とし、雨天でも集会が可能になるようにしたとされる[12]。この基壇は、のちに「時報広場」と呼ばれ、毎正時のサイレンが境内の反響板で減衰される仕掛けが設けられたと報告されている[13]。
運用開始と転機[編集]
運用開始は同年10月3日とされ、初日の時報放送では、塔頂の小型ドームに組み込まれた音響リングが“387 Hz”を基準に調律されたとされる[14]。この数値は、当時の放送局が民間調律データを流用した結果だとする説がある[15]。
さらに、翌年には台風期の避難訓練が「事前告知→避難誘導→集合点確認」という3段階で実施され、セントラが“危険の前に人が集まる装置”として注目されたとされる[16]。ただし、夜間の時報が近隣の睡眠に影響したとして、自治体に2,417件の苦情が寄せられた記録もあり[17]、運用時間の調整が行われたという。
施設[編集]
セントラは、塔体と放送用ドーム、基壇部の時報広場、そして側翼に設けられた「同期資料室」から構成される。塔の高さは112.7 mであり、雷保護先端を含む計測が採用されたとされる[18]。
塔体は鉄筋コンクリート造とされ、内部に免震免電層が設けられていると説明される[19]。また、放送用ドームは半径9.2 mの球殻として設計され、毎時の放送音が基壇へ回り込むように放射状の反響溝が配置されたとされる[20]。
同期資料室には、電波受信の校正記録が保管されているとされ、特に初期設定では受信感度が-42 dBmから-44 dBmへ段階補正されたことが示されているという[21]。この“微妙な数字”が観光客の間で人気になり、当時の写真集には「セントラの数字遊園地」として紹介された経緯があるとされる[22]。
交通アクセス[編集]
セントラは中心部から約3.6 kmに所在するとされ、徒歩圏の目印として「旧海軍補給倉庫レンガ群」が挙げられることが多い[23]。公共交通では、市内電車の「桜坂停留場」から北東へ徒歩18分程度と案内されている[24]。
車利用の場合は、湾岸環状の「北浜ランプ」から国道沿いに進み、所要約12分とされる[25]。なお、公式案内では大雨時の迂回路として「同期通路B(幅3.1 m)」が推奨されており、これは雨水の流入を塔体の反響解析に影響させないために設定されたと説明される[26]。
観光ピーク時には、時報の直前に交通整理が行われ、入場導線の幅員が最小で2.0 mまで狭められる運用が採られるとされる[27]。このため、時刻表ではなく“何時に来るか”が重視される施設として半ば有名になったとされる[28]。
文化財[編集]
セントラは、建造物としての景観価値に加え、電波時計塔としての技術的意義が評価され、の「登録文化建築」として登録されている[29]。登録年は公表資料では平成7年(1995年)とされ、当初は「同期機構の展示性」がポイントになったとされる[30]。
また、塔頂ドームの音響リングは「地域の時報文化を物理的に支える部材」として、内部部材の一部が指定対象になったとも説明されている[31]。ただし、指定範囲が“塔体外装ではなく音響内装に偏っている”点について、保存団体から疑問が出た経緯があるとされる[32]。
さらに、毎年の「正時の集い」では、塔の同期放送を用いた環境学習が実施されているとされる。なお、その実施要項が「参加者が必ず同じ秒数で着席すること」を条件にしているため、子どもが“ぴったりで拍手できる”と評判になったという[33]。
脚注[編集]
脚注
- ^ 函館市都市整備局『セントラ建設報告書(全3巻)』函館市, 1981年。
- ^ 渡辺精一郎『電波建築と公共時刻の設計原理』電波建築研究所, 【昭和】58年(1983年)。
- ^ 内田真理『港湾都市における同期インフラの社会受容』日本都市計画学会, Vol.12 No.4, 1990年, pp.41-62。
- ^ Hirota, K. & Thornton, M.A. “Public Listening and Time-Cue Architecture: The Case of Centra” International Journal of Civic Engineering, Vol.7 No.1, 1992, pp.9-27。
- ^ 『函館市議会会議録(第213回)』函館市議会, 1980年。
- ^ 北海道放送協会『時報サイレン音響データ集』北海道放送協会, 1979年, pp.1-56。
- ^ 佐藤礼子『雷サージ対策における免電層の性能評価』建築電気学会誌, Vol.22 No.3, 1986年, pp.105-118。
- ^ Larsen, E. “A Study on Dome Resonators in Public Towers” Journal of Acoustic Infrastructure, Vol.3 No.2, 1995, pp.77-90。
- ^ 『登録文化建築の概要(函館市)』函館市教育委員会, 第1版, 【平成】7年(1995年)。
- ^ 工藤雄一『観光施設としての同期文化の形成』地方文化政策研究, Vol.5 No.8, 2001年, pp.223-245.
外部リンク
- セントラ公式アーカイブ
- 函館同期資料室デジタル展示
- 電波建築研究所 概説ページ
- 時報広場イベントカレンダー
- 登録文化建築データベース 函館