セーラー服とT-34
| 作品名 | セーラー服とT-34 |
|---|---|
| 原題 | Sailor Uniform and T-34 |
| 画像 | Seifuku_T34_poster.jpg |
| 画像サイズ | 280px |
| 画像解説 | 公開当時のポスター |
| 監督 | 白石 朔太郎 |
| 脚本 | 白石 朔太郎、村瀬 みちる |
| 原案 | 村瀬 みちる |
| 製作 | 東西映像企画 |
| 出演者 | 桐谷 里奈、江藤 恒一、麻生 早紀 |
| 音楽 | 高槻 源一 |
| 主題歌 | 『砲塔のうた』 |
| 撮影 | 河合 芳明 |
| 編集 | 三宅 霧子 |
| 制作会社 | 東西映像企画、北海機工美術研究所 |
| 配給 | 中央文化配給 |
| 公開 | 1987年11月14日 |
| 製作国 | 日本 |
| 言語 | 日本語 |
| 製作費 | 2億4800万円 |
| 興行収入 | 11億3600万円 |
| 配給収入 | 5億9200万円 |
| 上映時間 | 127分 |
| 前作 | なし |
| 次作 | 『セーラー服とT-34:冬季迷彩篇』 |
『セーラー服とT-34』(せーらーふくとT-34)は、に公開されたの・映画である。監督は、主演は。、127分。戦車工廠の町を舞台とし、制服裁縫と機甲整備のあいだに生まれた奇妙な友情を描く物語で、後年のの先駆けとして語られる[1]。
概要[編集]
『セーラー服とT-34』は、東北地方の架空都市・にある旧を舞台に、の制服仕立てとの整備を同時に請け負う少女たちを描いたの映画である。公開当初は「奇抜な題名の実験作」と受け止められたが、のちにの定型を確立した作品として再評価された。
本作は、が地方紙で連載していた随筆「砲塔の裾」と、の未発表戯曲『第七码のスカート』を合成して企画されたとされる。なお、作中では戦車の塗装色と制服の襟線が同じで設計されているという設定が重視されており、後年の評論では「服飾と装甲を同一言語で撮った稀有な映画」と評されている[2]。
興行的には、公開3週目に東京都千代田区の単館上映から全国45館へ拡大し、最終的に興行収入11億3600万円を記録した。特に1988年の推薦枠再上映では、戦車映画としては異例の若年層動員を示し、地方のミニシアター文化に影響を与えたとされる。
あらすじ[編集]
昭和末期の桜見市では、旧工廠の払い下げをめぐり、地元の「桜見女学校」と解体業者が対立していた。主人公の片桐志乃は、制服の襟が毎朝わずかに歪むことを気にする几帳面な少女であるが、放課後に工廠へ忍び込み、放置されたT-34の砲塔内部で裁縫をしていたことから、戦車整備班の少年たちと知り合う。
一方で、工廠に残されたT-34は「走ると裾が揺れる」という迷信により、地元では半ば祭礼の対象となっていた。志乃は、戦車のエンジン始動試験に立ち会ううち、操縦手の久保田勇介が実はミシンの踏み方を正確に覚えていることを知り、両者は「布と鉄の張力」を同じ勘定で扱うようになる。中盤の有名な場面では、志乃が戦車の防盾をアイロン台に見立て、18分間にわたって襟を整える長回しが挿入される。
終盤、解体期限の前夜にT-34は雪の堤防を越えて市街へ出走するが、暴走ではなく、制服の採寸に使うための移動式作業台として運用される。これにより工廠は保存され、志乃の仕立てた夏服と冬季迷彩の両方が「地域の新しい記念制服」として採択される。なお、ラストシーンで砲塔から鳩が飛び立つ場面は、当時の編集部に「説明不能だが泣ける」と評された[3]。
登場人物[編集]
主要人物[編集]
片桐志乃は、桜見女学校の3年生で、裁縫と機械図面の両方に才能を示す主人公である。演じたは、本作で初主演を務めた。
久保田勇介は、工廠の臨時整備班に所属する青年で、T-34の履帯張力を「人間関係の空気」に例える癖がある。戦車整備の場面では工具の扱いがやけに丁寧であり、後年のファンのあいだで「縫製整備士」と呼ばれた。
工廠長の黒川宗介は、いわゆる頑固な旧軍人であるが、実際には制服の折り目の数を規則集より厳密に数える人物として描かれる。彼の存在により、作品は単なる少女映画ではなく、形式主義の笑劇としての輪郭を持った。
その他[編集]
桜見女学校の寮長・藤堂澄子は、制服規律の守護者でありながら、密かに戦車の履帯を毛糸で編む趣味を持つ。
解体業者の杉本辰也は、当初は敵役として登場するが、終盤では「鉄は残り、布はほどける」という台詞を残して去る。台詞の意味については諸説あり、脚本段階では「予算が足りない」と書かれていたという証言もある[要出典]。
なお、通学路の売店の女主人・早乙女キヨは、T-34の起動音を聞き分けて弁当の出来を判断する人物として細かく造形されており、地元上映では彼女の登場で拍手が起こったと記録されている。
声の出演またはキャスト[編集]
主演ののほか、久保田勇介役に、黒川宗介役に、藤堂澄子役に、杉本辰也役にが起用された。作中のT-34整備員たちは、実際の自衛隊OBではなく、県立工業高校の演劇部が兼任したことが知られている。
声の出演は存在しない実写映画であるが、プロデュース段階では「戦車の始動音に感情を持たせる」ため、による擬音設計が行われた。結果として、第一試写ではエンジン音が低すぎて「泣いているように聞こえる」と評価され、ミキシングが2回やり直された。
スタッフ[編集]
映像制作[編集]
監督は。脚本は白石との共同で、原案は村瀬の短編メモ「制服と履帯のあいだ」である。撮影は、編集は、美術はが担当した。
特殊技術は、旧式のミニチュアと実車撮影を組み合わせた「半実車半縫製」方式で、砲塔の可動範囲を布のしつけ縫いで事前に可視化した点が特徴である。これは当時のの低予算対策として採用されたが、結果として戦車の質感が異様に柔らかく見える効果を生んだ。
製作委員会[編集]
製作委員会は東西映像企画のほか、、、および地方金融機関の文化融資部が名を連ねた。特に観光振興課は、映画公開後に旧工廠を「機甲史学習施設」として再利用する計画を持っていたとされる。
配給はが担当し、封切り時の宣伝文句には「この冬、制服は走る」が用いられた。なお、製作委員会の会議録には、T-34の上に乗せるリボンの幅をにするかにするかで3時間揉めた記録が残る。
製作[編集]
企画[編集]
企画は1985年夏、長野県の撮影合宿中に、白石が見た「学生服の裾が風で戦車の履帯に巻き込まれる夢」から始まったとされる。村瀬はこれを受け、「軍事の象徴を青春の身丈に縮めるべきだ」と提案し、両者の意見が一致したことで正式に企画書が作成された。
企画書には、当初から「戦車を敵役にしない」「制服のボタンを3段階で象徴化する」といった独自ルールが記されていた。また、当時の邦画界では珍しく、衣装予算が装甲塗料予算を上回る配分になっていたことが、後年の制作記録で判明している。
興行[編集]
宣伝は秋から開始され、地方局の深夜番組『文化倉庫通信』で特集が組まれた。封切りはで、当初は16館公開であったが、口コミにより4週間で全国45館へ拡大した。再上映はの系列プログラムで実施され、そこで若年層の支持が一気に高まった。
テレビ放送ではの日本テレビ系深夜枠で初放送され、関東地区で視聴率11.8%を記録した。ホームメディア化はが先行し、後年のDVD版では「冬季迷彩の白が青く転ぶ」とするDVD色調問題が話題となった。これに対し、2006年のリマスター版では砲塔のグレーが3段階修正された。
海外ではとフランスで限られた上映が行われ、特にパリの小規模館では「フェミニズム的戦車映画」として紹介された。なお、英語圏の配給資料では原題が『Uniform and T-34』に短縮されており、これが逆に「何の映画か分からないのに観客が入る」現象を招いたとされる。
反響[編集]
批評家の評価は二分された。伝統的な戦争映画論者からは「軍事機械をロマン化しすぎている」との批判が出た一方、若手評論家からは「制服の仕立てを通じて戦後日本の修繕不能な感情を可視化した」と高く評価された。特に1988年2月号の特集は、のちに引用され続けることになる。
受賞歴としては、衣装部門、美術賞、特別奨励賞を受賞した。また、主演の桐谷は新人賞3部門にノミネートされ、うち2つを獲得した。賞レースの過程で、戦車そのものが「最優秀助演機械」に推薦されたという逸話が残るが、これは選考委員の戯評である可能性が高い。
売上記録としては、地方限定のパンフレットが、主題歌7インチ盤が売れた。さらに公開5年後の再評価ブームでは、学校祭での上映権申請が年間を超えたとされ、邦画史上でも特異なロングセラーになった。
テレビ放送[編集]
地上波初放送はの深夜帯で、前番組が年末特番だったため、録画予約の取り違えが多発した。これにより、当初は「戦車が出る青春映画」として録画されたテープが、結果的に地域会館の教材として流通する現象が起きた。
での再放送を望む声もあったが、当時の番組編成では「工業教育と家庭科の境界が曖昧すぎる」として見送られたという。なお、ローカル局での再放送時には、CM前後でT-34の排気音がわずかに短く編集され、ファンの間で「放送版は戦車が照れている」と話題になった。
関連商品[編集]
作品本編に関するもの[編集]
関連商品としては、制服の袖口寸法を再現した裁縫キット、T-34の履帯を模した鉛筆巻き、志乃の愛用針箱を復刻した木製ケースなどが販売された。特に裁縫キットは全国の手芸店で品切れとなり、最終的にを超えた。
また、公開翌年には「砲塔型裁ちばさみ」が発売されたが、実用性よりも机上の存在感が強く、文具売場で長くネタ商品として扱われた。
派生作品[編集]
派生作品としては、同じ世界観を用いたラジオドラマ『セーラー服とT-34 返却編』、舞台版『第七码のスカートと履帯』、および1992年刊のノベライズがある。さらにには、地方ケーブル局向けのミニシリーズ『冬季迷彩篇』が制作され、こちらは砲塔の内側をほぼ会議室として扱ったため、原作より会話劇色が強い。
一部では、続編よりも先に前日譚『T-34はまだ錆びていない』が企画されたが、戦車の未完成度をめぐって撮影が中止された。これは「完成品より未完成品のほうが青春に近い」という監督の発言を、プロデューサーが理解しすぎたためであるともいう。
脚注[編集]
1. 配給資料『セーラー服とT-34 劇場用パンフレット』中央文化配給、1987年。
2. 白石朔太郎『制服と履帯の距離』東西映像企画資料室、1986年。
3. 『月刊シネマトグラフ』1988年2月号、映画評論特集「布と鉄のあいだ」。
参考文献[編集]
・村瀬みちる『第七码のスカート――桜見市文化史ノート』港北書房、1986年。
・白石朔太郎『砲塔の裾』新潮映画資料刊、1987年。
・K. Hayakawa, "Uniform Mechanics in Late-Showa Cinema", Journal of East Asian Film Studies, Vol. 9, No. 2, pp. 44-71, 1996.
・高槻源一『音で見る装甲車両』音楽之友出版、1988年。
・『戦車映画大全 1980-1990』中央文化評論社、1991年。
・M. Thornton, "The Dress Hem and the Turret Ring", Cinema & Material Culture Review, Vol. 14, No. 1, pp. 101-129, 2003.
・桐谷里奈『わたしの初主演と工具箱』桜見芸能出版、1990年。
・『DVD色調問題と邦画リマスター史』映像再生研究会、2007年。
・白石朔太郎・村瀬みちる『セーラー服とT-34 解題』北海機工美術研究所、2004年。
・『なぜ戦車は泣いたのか――地方映画の黄金期』文化遺産出版、1998年。
外部リンク[編集]
東西映像企画アーカイブ
桜見市文化資料館
日本軍需ロマン映画協会
全国制服映画保存会
中央文化配給オンライン資料室
脚注
- ^ 配給資料『セーラー服とT-34 劇場用パンフレット』中央文化配給、1987年.
- ^ 白石朔太郎『制服と履帯の距離』東西映像企画資料室、1986年.
- ^ 村瀬みちる『第七码のスカート――桜見市文化史ノート』港北書房、1986年.
- ^ 高槻源一『音で見る装甲車両』音楽之友出版、1988年.
- ^ 『月刊シネマトグラフ』1988年2月号、映画評論特集「布と鉄のあいだ」.
- ^ K. Hayakawa, "Uniform Mechanics in Late-Showa Cinema", Journal of East Asian Film Studies, Vol. 9, No. 2, pp. 44-71, 1996.
- ^ M. Thornton, "The Dress Hem and the Turret Ring", Cinema & Material Culture Review, Vol. 14, No. 1, pp. 101-129, 2003.
- ^ 『戦車映画大全 1980-1990』中央文化評論社、1991年.
- ^ 『DVD色調問題と邦画リマスター史』映像再生研究会、2007年.
- ^ 白石朔太郎・村瀬みちる『セーラー服とT-34 解題』北海機工美術研究所、2004年.
外部リンク
- 東西映像企画アーカイブ
- 桜見市文化資料館
- 日本軍需ロマン映画協会
- 全国制服映画保存会
- 中央文化配給オンライン資料室