ナサヤネ・デ・ヤウスの法則
| 正式名称 | ナサヤネ・デ・ヤウスの法則 |
|---|---|
| 分類 | 経験則、会話慣性理論 |
| 提唱者 | M. S. デ・ヤウス、東條千代子 |
| 初報 | 1978年 |
| 対象 | 対話、合意形成、返答遅延 |
| 主な適用領域 | 言語学、組織論、儀礼研究 |
| 中心概念 | 応答の先送りと確認の反復 |
| 関連機関 | 南九州会話慣性研究会 |
ナサヤネ・デ・ヤウスの法則(ナサヤネ・デ・ヤウスのほうそく)は、において、発話の末尾に現れる微小な躊躇と、相手の同意期待が相互に増幅し合うとする経験則である。主にとの周辺で知られ、20世紀後半にの港湾事務所で観測されたとされる[1]。
概要[編集]
ナサヤネ・デ・ヤウスの法則は、発話の終端に生じる「そうですね」「〜かもしれませんね」といった緩衝表現が、相手の発言を受け止める姿勢を強め、結果として会話全体の決定速度を逆に遅らせるとする法則である。特に日本語のように終助詞と間投詞が豊富な言語では、同法則の効果が顕著であるとされる。
この法則は、にの臨時旅客待合所で、窓口係の応対記録を整理していた事務官・東條千代子が、同じ問いに対して三度まで返答が保留される現象を「ナサヤネ」と仮称したことに始まるとされる。のちに在留商船の通訳であったマルティン・セバスティアン・デ・ヤウスが数式化を試み、両者の姓が連結されて現在の名称になった[2]。
名称の由来[編集]
「ナサヤネ」は、鹿児島弁の語尾変化を記録した際に、東條が誤って採取票に書き込んだ符牒であるとされる。これが後に「なさやね」「なさやねえ」といった音韻揺れの総称として使われ、研究会内部で準固有名詞化した。
一方の「デ・ヤウス」は、通訳のが港湾荷役組合との折衝において、返答を一拍遅らせると交渉が円滑になることを「law of delayed assent」と英語で報告した際、その署名が誤って法則名に残ったものとされる。なお、本人は終生これを「署名の暴走」と呼んだという[3]。
基本式[編集]
南九州会話慣性研究会は、1979年に次の式を暫定公表した。I = (R × H) / (T + 0.7) であり、Iは応答慣性、Rは復唱回数、Hは同調率、Tは沈黙秒数を表すとされた。もっとも、後年の検証では係数0.7の根拠が「昼食後の眠気を補正した値」であったことが判明し、学界に軽い動揺を与えた[4]。
ただし、法則の価値は厳密な数理性ではなく、会話において相手の発言をすぐに結論へ回収しない日本的配慮の記述にあったと評価されている。実務上は、会議で「一度持ち帰ります」が二回続くと、案件が翌四半期まで漂流しやすいという副次的効果が有名である。
歴史[編集]
港湾事務所時代[編集]
最初期の記録は1976年の中央埠頭出張所に残るとされる。ここでは、入国審査に伴う聞き取りの際、通訳が「はい」「ええ」「そうですね」を重ねるほど、相手船舶の乗員が自発的に書類を補完してしまう現象が観察された。東條千代子はこの現象を、事務の効率化ではなく「応答の慣性」として分類した。
同年11月、待合室の壁に貼られた時刻表の裏紙から、返答回数と天候の相関を示す手書きグラフが見つかったという。ただし、のちにこのグラフは当時の用務員が描いたかりんとうの在庫表と判明し、研究史の有名な逸話となった。
南九州会話慣性研究会の成立[編集]
、東條は文学部の臨時講師だった宮園修平らとともに、南九州会話慣性研究会を結成した。会の活動は毎月第2土曜、近くの喫茶店「カメリア」で行われ、各自が一分以内の短文を三度ずつ言い換える訓練が課された。
ここでデ・ヤウスが持ち込んだ記録法は、会話を録音する代わりに「相手がうなずく回数」を定量化するという極めて簡便なものであった。研究会は1981年までに全国から46件の事例報告を集めたが、そのうち9件は親族間の雑談、7件は町内会の回覧板、3件は寺の鐘撞き係に関するもので、対象の選び方にかなりの恣意があったとされる。
応用[編集]
ナサヤネ・デ・ヤウスの法則は、会議運営や接客研修に応用された。1980年代末には日本航空の地上係員研修で、断定を避けた応対がクレームの初動鎮静に有効であるとして採用例があったとされる。またの集落座談会では、合意形成の前に「まあ、そのへんは」の挿入を義務づけることで、反対意見の噴出を平均17分遅らせたという。
ただし、過度に適用すると議論が無限に宙吊りになるため、にはの外郭研究班が「ナサヤネ過剰症候群」として注意喚起を行った。これにより、自治体の説明会で住民が「つまり何も決まっていないのでは」と気づき始めたことが、逆説的に制度改善を促したとされる。
また、民間では電話応対ソフトにこの法則を組み込んだ「返事の先読み機能」が販売され、導入したコールセンターの平均保留時間が12.4秒増えたにもかかわらず、満足度が3.1ポイント上昇したという奇妙な報告がある。もっとも、同報告は調査票の設問順が誘導的であったとして、現在ではやや疑義が持たれている。
批判と論争[編集]
批判の多くは、法則が実測よりも風土論に寄りかかっている点に向けられた。とりわけ1991年の『関東会話学評論』では、山根邦彦が「応答の遅延を日本語固有の性質に還元するのは粗い」と論じ、各国語の挨拶儀礼にも同様の傾向があると指摘した[6]。
これに対して研究会側は、比較言語学的な汎用性を認めつつも、「ナサヤネ」は単なる遅延ではなく、相手の面子を一時保留する社会技法であると再定義した。もっとも、この再定義は説明が増えすぎたため、講演会ではしばしば聴衆が途中で確認用のうなずきを始め、会場全体が同法則の実験場となった。
なお、には東京の民放番組がこの法則を「恋愛が長続きする会話術」として紹介し、デ・ヤウス本人の孫を名乗る人物が通販出演したことから、学術的信用を損ねたとする指摘がある。ただし、のちにその人物は本当にデ・ヤウス家の遠縁であった可能性が示され、論争は未決着のままである。
影響[編集]
この法則の最大の影響は、会話の沈黙を失敗ではなく構造として読む視点を広めた点にある。以後、やでは、即答よりも間を置く応答の価値が再評価され、研修資料に「間は空白ではない」と書かれるようになった。
さらに、地方自治体の説明会や学校の保護者会では、「ナサヤネ・タイム」と呼ばれる2秒の保留時間を設ける慣行が生まれた。これにより、発言の強度が和らぎ、議事進行が30分短縮された例が報告されている一方、沈黙に慣れた住民が逆に手を挙げなくなり、司会者が焦るという副作用もあった。
では現在も、年に一度「応答の祭」と称する小規模な公開講座が行われ、参加者は「まあ」「ええと」「そうかもしれません」を三巡させたのちに解散する。参加者の7割が内容を覚えていないとされるが、満足度は高いという。
脚注[編集]
脚注
- ^ 東條千代子『応答先送りの民俗誌』南方言語研究所, 1980.
- ^ M. S. de Yausu, "Delayed Assent and Harbor Speech," Journal of Maritime Pragmatics, Vol. 4, No. 2, pp. 118-143, 1981.
- ^ 宮園修平「会話慣性の測定法について」『南日本言語年報』第12号, pp. 33-59, 1983.
- ^ 山根邦彦「沈黙の社会技法とその誤差」『関東会話学評論』第7巻第1号, pp. 9-27, 1991.
- ^ Chieko Tojo, "The Nasyane Effect in Regional Customer Service," Proceedings of the 3rd Asian Conference on Interaction Studies, pp. 204-219, 1987.
- ^ 田口栄一『港湾窓口における返答の遅延』鹿児島文化出版会, 1985.
- ^ Margaret L. Henshaw, "Assent Latency and Face Management," in Urban Talk and Bureaucracy, Cambridge Office Press, pp. 76-101, 1993.
- ^ 小林夏子『ナサヤネ現象の統計的再検討』東京応答学会叢書, 1998.
- ^ M. S. de Yausu, "On the 0.7 Coefficient: Lunch, Fatigue, and Speech Timing," Harbor Studies Quarterly, Vol. 11, No. 4, pp. 2-8, 1984.
- ^ 東條千代子・宮園修平『沈黙は三度目に深くなる』鹿児島港湾学会出版局, 2001.
外部リンク
- 南九州会話慣性研究会アーカイブ
- 鹿児島港文書館
- 日本応答学会速報
- デ・ヤウス家系資料室
- 港湾事務所口述史コレクション