佐々木虚像
| 分野 | 肖像学、視覚文化史、戸籍美学 |
|---|---|
| 成立 | 1898年頃 |
| 提唱者 | 佐々木 兼蔵(異説あり) |
| 主な拠点 | 東京市神田区、日本橋区、横浜港 |
| 関連技法 | 二重露光、空欄刷り、逆証明法 |
| 影響 | ポスター、偽新聞、失踪者捜索図版 |
| 代表資料 | 『虚像心得帳』 |
| 批判 | 過度な再現性と倫理性の欠如 |
佐々木虚像(ささききょぞう、英: Sasaki Kyōzō)は、明治末期の東京府で成立したとされる、人物の「不在」を精密に可視化するための上の概念である。のちに・・が交差する領域として知られるようになった[1]。
概要[編集]
佐々木虚像とは、実在しない人物をあたかも存在したかのように描き出すための図像様式、またはその制作思想を指す。一般には明治後期の東京市で定式化されたとされ、警視庁の身元確認図版、新聞の失踪人広告、ならびに博覧会の余白装飾から発展したと説明される[2]。
この概念は、人物の顔そのものを描くのではなく、服飾・髪型・姿勢・周辺小物を先に固定し、そこから逆算して「その人物がいたこと」を証明する点に特徴がある。なお、実務上はの活字見本帳に由来するとの説が有力であるが、初期資料の多くが関東大震災で焼失したため、成立過程には不明点が多い[3]。
研究者のあいだでは、佐々木虚像は単なる偽造技法ではなく、近代日本における「本人確認」の不安を可視化した文化装置であると評価されている。一方で、制作記録にしばしば同一人物が三通りの顔で現れるなど、説明のつかない逸脱がみられることから、後世の編集を受けた可能性も指摘されている。
定義[編集]
佐々木虚像は、上の存在証明と視覚的な在不在のあいだに生じる空白を、図像として埋める行為であると定義される。通常の肖像画が「その人らしさ」を描くのに対し、佐々木虚像は「その人がまだ見つかっていないこと」までも描き込む点が異なる。
名称の由来[編集]
名称は、神田の印刷所で下働きをしていた佐々木兼蔵が、空白の写真台紙に人物名だけを書き込んで配布したことに由来するとされる。ただし、同時代の商標登録簿には同名の装飾家が見つかっており、単独の人物名から生まれたかは確定していない。
歴史[編集]
成立期[編集]
最初期の佐々木虚像はごろ、の写真館で試作されたとされる。顧客の顔を撮れない事情がある場合、背景だけを先に撮影し、顔の位置に薄いベール状の陰影を置く方式が採られた。これが新聞広告に応用され、行方不明者の「最後に見たであろう姿」を再現する図として流通した[4]。
この時期、内務省の一部では「人物の特定に役立つならば実在性は問題ではない」との実務判断が存在したと伝えられる。記録によれば、には東京市内だけで月平均37件の虚像依頼があり、そのうち9件は依頼者本人がすでに別名で生活していたという。
大正期の拡張[編集]
大正期に入ると、佐々木虚像はの季節広告に転用された。特に銀座の呉服商では、実在しない「流行婦人」を毎週更新する手法が流行し、掲載後48時間以内に同じ人物の帽子だけが5種類に増える現象が起きたという。これにより、虚像の中心が人物そのものから、衣装と消費欲へ移ったとされる。
また、を経由して輸入された欧州の影写真技術が、虚像の輪郭処理を急激に洗練させた。輸出入帳簿には「Sasaki method」とだけ記された品目が年に14回登場し、実際には紙焼きの人物影とスタンプ台一式であったらしい。
戦後と再解釈[編集]
昭和20年代になると、佐々木虚像は失踪者の捜索ビラや、戦災孤児の記録票に再利用された。ここで重要だったのは、顔の正確さよりも「その人物が社会に登録された痕跡」を残すことであった。東京都内の児童相談所では、1953年時点で虚像票が年間612枚作成され、そのうち実際の本人確認に結びついたのは81枚であったとされる。
一方で、戦後の美術評論家たちはこの技法を過剰に理念化し、佐々木虚像を「欠如の美学」として読んだ。これに対し古参の印刷職人は、単に「見つからない人を見つけやすくするための早業」であるとして反発した。
技法[編集]
佐々木虚像の制作は、通常、・・の三段階からなる。まず依頼者の証言をもとに服装と姿勢を決め、次に輪郭をあえて5〜7ミリずらして描き、最後に目鼻立ちを周辺環境から「推定」して埋める。この推定工程は、当初の職人が担っていたため、文字組みの癖が顔立ちに混入しやすかった[5]。
特に有名なのが「逆証明法」である。これは、本人の顔を描く代わりに、その人物が持っていなかったはずの小物を3点だけ描き込むことで、逆に在在感を強化する手法である。たとえば、失踪した質屋の図版に鍵束、帳簿、濡れた軍手を入れると、依頼者の記憶が勝手に補完されるとされた。学術的には説明困難だが、の実験記録では、これにより目撃証言の一致率が23%上昇したとされている。
用具[編集]
専用の道具としては、薄墨、透写紙、目盛付き定規のほか、神田の文房具店でしか売られていない「空欄インク」が知られる。空欄インクは紙の白地にだけ残り、完成後に人物の気配だけを濃くする性質があると伝えられる。
作法[編集]
制作時には、依頼者が完成図を3分以上見続けないことが作法とされた。長く見せると、図像が依頼者の記憶に引きずられてしまい、似顔絵ではなく「思い出の再演」になるためである。
社会的影響[編集]
佐々木虚像は、近代日本の文化に大きな影響を与えたとされる。とくに警察と新聞社のあいだでは、同じ人物について「確証がないまま図版を先に作る」慣行が広まり、事実確認より先に視覚的な説得力が流通する土壌を生んだ。
また、百貨店広告や興行ポスターにおいては、虚像の技術が「存在しないが、存在しそうに見える著名人」を大量生産した。1930年代には大阪・心斎橋の劇場街で、架空の歌手の虚像ポスターが実在の公演案内より売上を上げた記録があり、当時の商業美術界に衝撃を与えた。
教育分野でも影響はあった。東京女子師範学校の図画課程では、1920年代後半に「不在人物の構成」という課題が採用され、生徒に架空の兄弟姉妹を描かせる訓練が行われたとされる。なお、この課題により提出作品の7割が親戚関係の説明不足で再提出となったという。
メディアへの波及[編集]
新聞各社は、写真のない時代に読者の理解を助ける装置として虚像を重宝した。とりわけ地方紙では、役人の顔を誰も知らない場合でも、制服と眉の角度だけで「いかにもその人物らしい」図が作れたため、報道の即時性が上がったという。
市民生活[編集]
一般家庭でも、転居通知や年始状に虚像が添えられることがあり、親戚のあいだで「顔を忘れた人を思い出す」ための半ば儀礼的な用途に使われた。ある調査では、虚像年賀状を受け取った相手の41%が、実際には会ったことのない人物を思い浮かべたという。
批判と論争[編集]
佐々木虚像に対する批判は、成立当初から存在した。最も強い批判は、人物の不在を描く行為が「不在の権利」を侵害するというもので、帝国大学の倫理学者・中村柳三は、これを「顔のない者に顔を与える暴力」と呼んだ[6]。
また、虚像の制作には証言者の記憶を誘導する効果があるため、冤罪や誤認逮捕を助長したとの指摘もある。とくに1934年の「芝浦影紛失事件」では、虚像の頬線が1本多かったことから無関係の船員が3日間拘束され、後に港の照明反射が原因と判明した。これ以降、虚像図版には小さく「輪郭は概念です」と注記する慣行が一部で始まった。
ただし、擁護論も根強い。地方自治体の広報担当者の間では、顔より先に事情を伝えるという実務上の利便性から、虚像は現在でも災害広報の試作段階で参照されることがある。もっとも、近年のデジタル復元技術の普及により、手描きの虚像職人は全国で17人程度にまで減少したとみられている。
学術的評価[編集]
美術史では、佐々木虚像はの視覚制度を理解する鍵として研究されている。一方、メディア論では「見えないものを見えるようにする」のではなく、「見えないこと自体を商品化した」点に注目が集まっている。
現代の扱い[編集]
現在、佐々木虚像は主に博物館の展示キャプションや大学の演習科目で扱われる。なお、には都内の古書店で「佐々木虚像協会 会員証」と記された紙片が発見されたが、裏面にスタンプ欄が47個あり、実際に会員が存在したかは確認されていない。
代表的事例[編集]
最も有名な事例は、に上野で配布された「雨の帽子男」の虚像である。これは、実在の目撃者が1人しかいなかったにもかかわらず、帽子のしずくの落ち方から人物の性格まで推定して描かれ、配布翌日に目撃談が28件に増えたとされる。
次に知られるのが、大阪市の商家で制作された「白手袋の未亡人」である。この虚像は本来、失踪した会計係の捜索のために作られたが、仕上がりがあまりに上品であったため、近所の履物屋が勝手に季節広告へ転用した。これが原因で、同一人物が葬儀案内と春物セールの両方に登場するという奇妙な事態が起きた。
さらに、の京都では、寺の納骨名簿に残された空欄をもとに、存在しない檀家を描いた「無縁像」が制作された。これは佐々木虚像の極北とされ、のちに宗教美術の分野で「欠席の肖像」と呼ばれるようになった。
保存例[編集]
現存する代表資料としては、国立国会図書館所蔵の『虚像心得帳』写本、の試作ポスター、ならびに個人蔵の「三面顔見本」がある。三面顔見本は一枚の紙に三人の顔が重なっており、保存状態は良好だが誰が誰かはわからない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯康平『虚像心得帳の成立』東京図書出版, 1938年.
- ^ M. Thornton, "The Sasaki Void-Portrait and Administrative Vision", Journal of East Asian Visual Culture, Vol. 12, No. 3, 1974, pp. 211-239.
- ^ 中村柳三『顔の倫理と不在の権利』帝国大学出版会, 1929年.
- ^ 田所一馬『明治印刷局と空欄刷り技法』日本印刷学会叢書, 1957年.
- ^ Harold B. Quinn, "Reverse Certification in Urban Poster Design", The London Review of Graphic Arts, Vol. 8, No. 1, 1961, pp. 44-63.
- ^ 鈴木千代『失踪広告の視覚史』青燈社, 1984年.
- ^ Aiko Watanabe, "Administrative Portraiture without Subjects", Bulletin of the Society for Fabricated Studies, Vol. 5, No. 2, 2002, pp. 77-105.
- ^ 松本浩二『虚像と戸籍のあいだ』中央民俗研究所刊, 2011年.
- ^ G. Feldman, "On the Moisture of Hat Brims in Missing-Person Sheets", Proceedings of the Yokohama Institute of Occult Printing, Vol. 3, No. 4, 1931, pp. 9-18.
- ^ 佐々木兼蔵『空欄写真法便覧』神田工芸社, 1904年.
外部リンク
- 東京虚像史研究会
- 日本空欄図像アーカイブ
- 横浜港印刷文化資料室
- 近代身元確認技法データベース
- 佐々木虚像保存委員会