穂村尊
| 名称 | 穂村尊 |
|---|---|
| 読み | ほむらそん |
| 起源 | 18世紀末の北東北農村部 |
| 分類 | 火伏せ儀礼・称号制度 |
| 主な伝承地 | 秋田県内陸部、青森県南部、北海道渡島地方 |
| 成立年 | 寛政8年頃と推定 |
| 廃止 | 明治22年の戸籍整理以後、慣行として消滅 |
| 関連組織 | 内務省地方風俗調査局、東北民俗資料協会 |
| 別名 | 尊札、村火位、穂称 |
穂村尊(ほむらそん)は、江戸時代後期の周辺で成立したとされる、火種の保管と敬称運用を統合した地方慣行である。のちに北海道の開拓地行政や昭和期の民俗学で再解釈され、半ば儀礼、半ば身分記号として知られるようになった[1]。
概要[編集]
穂村尊は、冬季の囲炉裏火を守るために、各戸が保存穂を束ねて神前に納め、その家の長にのみ「尊」の敬称を付す風習であるとされる。名目上は火難除けの祈願であったが、実際には村内の穀倉管理と婚姻順序を調整するための実務制度として機能したとみられている。
伝承では、秋田県の豪雪地帯で木炭が不足した際、稲穂の乾燥具合を目印に家格を判定したことが起点とされる。なお、明治初期の内務省系調査では「穂を尊ぶ」との言い回しが誤読され、制度名だけが独立して広まったとの指摘がある[2]。
歴史[編集]
起源伝承[編集]
最古級の伝承は、8年の飢饉後に地方の庄屋・渡辺市左衛門が、籾殻の保管優先順位を決めるために「尊札」と呼ばれる木札を導入したというものである。札を受けた家は三日間、竈を絶やさず、灰を他家に貸し出す権利を得たとされる。ところが札の材料が毎年七枚ずつ不足したため、儀礼は次第に敬称制度へ変質した。
この段階で既に、村役人は「穂村尊」を持つ家にだけ村議の発言時間を二倍与えていたとする口碑があり、後世の研究者はこれを日本最初期の“火気配分型議事運営”と評した。もっとも、同時代史料には確認できず、要出典とされることが多い。
北海道への伝播[編集]
明治17年、の開拓使関連施設に雇われた宮城出身の技師・小山内徳次が、移住農家の燃料節約策として穂村尊を紹介したことで、制度は北海道に移植されたとされる。開拓地では火災が頻発したため、各組合が「尊位」を持つ家にのみ井戸番を兼務させ、結果として水利と火伏せが一体化した。
北海道大学旧蔵の「穂称帳」には、1893年の時点で全14組78戸のうち尊位保持家が11戸に達したことが記されている。ただし帳簿の紙質からして後年の復元資料である可能性が高く、研究者の間でも評価は分かれている[3]。
制度[編集]
穂村尊の中核は、火を管理すると、稲穂の奉納量を示すの二要素にあった。尊家は年ごとに交代し、交代の際には囲炉裏の灰を3升ずつ分けることが義務づけられたとされる。
また、尊位は単なる名誉ではなく、婚礼の仲人を優先して選べる権利、共同井戸の夜間利用権、冬囲い材の配分を先に受ける権利を伴った。これにより、穂村尊は「敬称のふりをした生活インフラ配分」として理解されることが多い。
社会的影響[編集]
穂村尊は、農村共同体における役割分担を可視化した点で評価される一方、家格の固定化を招いたとして批判も受けた。特に大正期には、尊位保持家が地区会の書記を独占したことで、配給帳の誤記が年間27件から61件に増えたとする記録がある。
他方で、火災の少なさに関する統計は興味深く、穂村尊を導入したとされる9集落のうち、導入前10年間の焼失戸数が平均14.2戸であったのに対し、導入後は6.8戸に減少したという。ただし調査表の一部が水害で失われており、厳密な比較には慎重であるべきだとされる[4]。
批判と論争[編集]
最大の論争は、穂村尊が本当に前近代の慣行だったのか、それとも昭和初期の民俗収集家による創作混入なのか、という点にある。とりわけ遠野恒三郎の記録には、現地方言としては不自然な漢語表現が散見され、後世の編纂過程で整えられた可能性が指摘されている。
また、尊位の発生条件についても「穀物納入量で決まる」とする説と、「火災保険に相当する互助契約であった」とする説が併存する。いずれにせよ、にが展示した「尊札」は、裏面に鉛筆で「演出用」と書かれていたことから、研究史に小さな波紋を残した。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 遠野恒三郎『北奥火習俗考』東北民俗資料協会, 1938, pp. 41-89.
- ^ 小山内徳次『開拓地燃料配分誌』北海道殖民出版部, 1895, pp. 12-27.
- ^ 渡辺精一郎『穂札と尊位の社会史』地方風俗研究第7巻第2号, 1956, pp. 201-244.
- ^ Margaret A. Thornton, "Honorific Fuel Systems in Northern Japan," Journal of Comparative Ethnography, Vol. 14, No. 3, 1972, pp. 88-115.
- ^ 佐藤鏡子『村火位制度の変容』民俗と生活 第22巻第1号, 1981, pp. 5-38.
- ^ Ichiro Kaneshiro, "A Ritual of Ash and Rank: Homura-son in Hokkaido," The Asian Folklore Review, Vol. 9, No. 1, 1987, pp. 113-140.
- ^ 遠野恒三郎『尊返しの朝』岩波民俗叢書, 1941, pp. 1-17.
- ^ 石黒八重『火と穂のあいだ』秋田文化社, 1964, pp. 77-102.
- ^ Philip J. Alder, "The Village Title That Was Also a Fire Permit," Proceedings of the Society for Invented Ethnology, Vol. 3, No. 2, 1998, pp. 9-31.
- ^ 森下瑠璃子『穂村尊の資料批判』地方史研究 第48巻第4号, 2009, pp. 155-179.
外部リンク
- 東北民俗アーカイブ
- 北海道開拓文化資料室
- 穂村尊デジタル年表
- 火習俗研究フォーラム
- 村落称号史データベース