英国式温泉相撲術
| 名称 | 英国式温泉相撲術 |
|---|---|
| 別名 | バース流湯気組手 |
| 発祥 | 19世紀後半のイングランド |
| 主な伝承地 | バース、ブライトン、チェルトナム |
| 体系化者 | エドワード・P・ヘインズ、マーガレット・A・ソーンヒル |
| 分類 | 温浴療法、礼法、組討術 |
| 特徴 | 高温の湯気下で均衡を崩さず押し合う |
| 流派数 | 少なくとも7流派が確認されたとされる |
| 衰退 | 1930年代の保養地規制強化により急速に縮小 |
英国式温泉相撲術(えいこくしきおんせんすもうじゅつ、英: British Hot Spring Sumo Technique)は、後半ので温浴療法と組み組討を結合させるために体系化されたとされる、特殊な身体技法である。やの温泉保養地を中心に発展し、のちに日本の相撲文化の研究者らにも断片的に参照されたという[1]。
概要[編集]
英国式温泉相撲術は、温泉地の蒸気環境を利用して体幹を鍛え、相手を「押す」のではなく「滑らせる」ことを重視する身体技法である。一般には格闘術の一種とみなされるが、同時に期の保健思想、社交礼法、そして温浴施設の混雑対策が混合したものとして理解されている[2]。
この術では、腰布の結び方、石鹸の泡立て圧、浴槽縁での足運びなどが細かく規定され、当時の保養施設の案内書にも断片的な記載が見られる。また、市内の一部の宿泊施設では、朝六時の「霧の稽古」が半ば名物化していたとされるが、実態は入湯客同士の場所取り争いを儀礼化したものではないかとの指摘もある[3]。
起源[編集]
バース温浴協会の試験運用[編集]
起源は、の下部委員会が、療養客の転倒事故を減らすために考案した「低衝撃押圧訓練」にあるとされる。委員会の記録では、が浴場の床材と人体重心の関係を調べる過程で、相撲の「突き合い」に似た動きを偶発的に採用したことが示唆されている[4]。
ただし、この記録は後年の写本が多く、数字の整合性にも難がある。たとえば、の試験では「参加者32名中、11名が湯気により視界を失い、結果として最も礼儀正しい者が勝者となった」とされるが、同じ報告書の別頁では参加者が29名となっている。これが編集段階の誤植なのか、あるいは当時すでに流派争いがあったのかは定かでない。
技法[編集]
三段の湯圧[編集]
基本技は「三段の湯圧」と呼ばれ、第一段は足裏で床の傾斜を読む「湯見」、第二段は肩を落とさず相手の中心線をずらす「泡崩し」、第三段は浴槽の縁に沿って相手を半歩だけ外へ導く「縁送り」である。とくに「泡崩し」は、石鹸泡を単なる滑り止めの敵ではなく、相手の呼吸を読む補助器具として扱う点で独特である。
一部の流派では、試合開始前に必ず三回だけタオルを絞る儀礼があり、その滴下音が審判の合図を兼ねたという。もっとも、のある施設ではこの所作が長すぎて風邪をひく客が続出し、1880年代末には簡略化が求められたと伝えられている。
礼法と服装[編集]
英国式温泉相撲術は、勝敗よりも「湯気の中でいかに他人の尊厳を保つか」を重視したため、礼法が異様に発達した。稽古着は厚手のガウンを折り返して作る「ハーフローブ式」が標準で、襟の立ち具合がそのまま階級を示したという。
また、が考案したとされる「三拍黙礼」は、試合前に相手へ三度うなずくことで、攻防の前提を共有する目的があった。ソーンヒルはの衛生学講義を聴講していた人物とされるが、相撲術の記録と同一人物かどうかは一部で異論がある。
流派[編集]
初頭までに少なくとも7流派が分岐したとされ、とりわけ、、の三派が大きい。ロイヤル・バース流は保守的で、相手の肩が湯面から完全に出た時点で勝ちとする厳格さを誇った。
一方、西岸泡門流は、湯の色と泡の厚みから相手の疲労を読む「蒸気診断」を重視したため、しばしば医療行為との境界が問題になった。ブライトン縁押し派は娯楽色が強く、海辺の風を利用して押し返す独特の戦法で知られたが、潮待ちの時間が長く大会進行が極端に遅れたという[6]。
には、これらの流派を統括する目的でが設立されたとされる。もっとも、連盟の会議録には「午後のティータイムをまたぐ組手は原則として無効」との規定があり、競技としての真剣さと紳士の嗜みが最後までせめぎ合っていたことがうかがえる。
社会的影響[編集]
この術の流行は、温泉地の滞在文化に独特の秩序をもたらした。たとえばの一部ホテルでは、朝食前の廊下で肩幅を測る慣習が生まれ、これは後に「ローブ姿での混雑回避策」として他の保養地にも輸出された。
また、ロンドンの新聞『The Bath Gazette』紙上では、温泉相撲術の流行により「入浴は個人の衛生行為から社交競技へ変質した」とする社説が掲載されたとされる。これに対し、保健当局は「浴槽内の押し合いは推奨されない」と注意喚起を行ったが、逆にその警告が宣伝となり、週末だけ見学者が増えたという。
地方経済への影響も小さくなく、では競技用タオル、滑りにくい石けん、湯気で曇らない眼鏡が地場産業として成立した。1912年の統計では、関連売上が前年の約に伸びたとされるが、内訳に「湯気礼賛ポスター」が含まれていたため、実態はやや疑わしい。
衰退と再評価[編集]
衰退はの保養地規制強化で始まった。とくに浴場内での組み付きが「不必要な接触」とみなされ、内務省が安全基準を細かく定めた結果、試合時間は従来の半分以下に短縮された。これにより、技の妙味である「湯気の中で相手の重心を読む」工程が失われ、競技人口はの約4,600人からには900人前後まで落ち込んだとされる[7]。
しかし以降、の文化保存運動と観光振興策の一環として再評価が進んだ。特にの研究チームが古い案内書を再編し、失われた流派名を復元したことが大きく、現在では「史実性は薄いが、温泉文化を読み解く鍵」として博物館的に紹介されることが多い。
批判と論争[編集]
最も大きな論争は、英国式温泉相撲術が本当に実在したのか、それとも19世紀末の保養地広告が生んだ誇張表現なのか、という点である。とくにに刊行された小冊子『A Rational Guide to Steam Wrestling』では、術式の大半が旅行者向けの娯楽演出だった可能性が示唆されている。
また、湯気の密度や入浴者の体格を「測定」したとする報告に、後世の編集者が数字を足した形跡があり、要出典とされる箇所も少なくない。一方で、地元の口承には「勝者は必ず先に紅茶をもらえた」「敗者は浴場の時計を五分進める役を任された」など、妙に具体的な記憶が残っている。こうした伝承の細部が、かえってこの技法の信憑性を揺らがせている。
脚注[編集]
脚注
- ^ Hawthorne, Mildred A.『Steam, Stance, and Society: Bathing Sports in Late Victorian England』Oxford Historical Monographs, Vol. 12, pp. 44-79, 1998.
- ^ Bennett, Arthur J.『The Bathhouse Wrestlers of Somerset』Cambridge Urban Studies, 第4巻第2号, pp. 113-136, 2001.
- ^ 小林 恒一『英国保養地における相撲的身体技法の受容』『比較礼法研究』第18巻第1号, pp. 21-58, 2010.
- ^ Thornhill, Margaret A.『A Manual of Steam Etiquette for Competitive Guests』Royal Institute Press, 1894.
- ^ 中村 せつ『泡と重心――温浴組討の民俗誌』『民俗と身体』第9巻第3号, pp. 77-102, 1987.
- ^ Pemberton, Charles E.『The Cheltenham School of Wet Balance』Bath Press, Vol. 3, pp. 5-31, 1908.
- ^ 佐伯 慎一『湯気の政治学と帝国の余暇』岩波書店, 2016.
- ^ Davenport, L. M.『Ritual Grappling in Spa Towns: A Forgotten Imperial Pastime』Journal of Unusual Sporting History, Vol. 27, pp. 201-245, 2014.
- ^ 『皇家温浴統計局年報 1892』ロンドン保養文化協会, 1893.
- ^ Greene, Tobias R.『The Myth of British Hot Spring Sumo Technique』University of Durham Occasional Papers, 第1巻第1号, pp. 1-19, 2022.
外部リンク
- バース温浴史研究会
- 大英保養文化アーカイブ
- 英国温浴組討連盟記録室
- ロイヤル・スパ・スポーツ博物館
- 蒸気礼法デジタル年鑑