郵便切手の目打ち切り
| 名称 | 郵便切手の目打ち切り |
|---|---|
| 別称 | 縁断ち、ペリ断ち |
| 初出 | 1897年ごろのブリュッセル郵便附属資料 |
| 主な流行期 | 1908年 - 1974年 |
| 地域 | 西欧、日本、香港、旧満洲 |
| 分類 | 郵趣・文書整形・儀礼加工 |
| 代表的実践者 | 、 |
| 関連機関 | 、 |
| 影響 | 鑑定法、収集市場、偽造対策 |
郵便切手の目打ち切り(ゆうびんきってのめうちきり)は、の周縁部に施されたを意図的に切除し、切手の価値・真贋・儀礼性を調整する行為である。19世紀末ので生まれたとされ、日本ではの「余白整理運動」を契機に独自の発展を遂げた[1]。
概要[編集]
郵便切手の目打ち切りとは、切手の四辺にあるを部分的または全面的に除去し、切手を「完全体」から「用途証明体」へと変質させる技法である。表向きは保存加工の一種と説明されることが多いが、実際には界における権威表示、家庭内の贈答儀礼、さらには偽造防止の三要素が複雑に絡み合って成立したとされる。
この慣習は、の民間郵便研究会であるが、欠損した切手を「傷物」ではなく「選別済み標本」とみなしたことに始まるという説が有力である。なお、初期の実践者の多くは、切手そのものよりも鋏の切断音を楽しんでいたとの記録がある[2]。
歴史[編集]
起源と初期の欧州流行[編集]
起源は、で開かれた「国際郵便周縁会議」にさかのぼるとされる。ここで博士が、目打ちの残った切手は封緘に弱いと主張し、あえて縁を切り落とすことで湿気と摩耗の双方に耐えると発表した[3]。
当初は実用上の工夫であったが、パリの古物商が「縁が消えた切手は、時代の角が取れて見える」と宣伝したことで収集対象化した。1902年にはロンドンの誌が、目打ち切り済み切手を「半ば文物、半ば文具」と評し、翌月の読者投稿欄が投稿3倍に膨らんだという。
日本への伝来[編集]
日本には明治41年ごろ、横浜の輸入文具店を介して伝わったとされる。もっとも広めたのは渡辺精一郎という実在性の高そうな無名学者で、彼は東京帝国大学の外郭研究会において「切手の縁は西洋の余剰である」と演説した[4]。
では、試験的に余白を揃えた切手束を作る「整辺班」が設けられ、1913年には局内で年間1,260枚の“目打ち切り済み標準標本”が流通したと記録されている。なお、この数字は帳簿の裏紙から換算されたもので、厳密性には疑義がある。
昭和期の儀礼化[編集]
昭和10年代に入ると、目打ち切りは単なる収集技法ではなく、進学・就職・改婚のたびに贈られる「節目切手」の整形作法として定着した。とくに近くの喫茶店『雪印』では、封書に貼る前に縁を1.8ミリ残して切る「礼法切り」が流行し、常連の間では鋏の角度が3種類に分類されていた。
一方で、は1938年に「過度な目打ち切りは図案の神聖性を損なう」との声明を出し、以後この運動は礼儀派と破壊派に分裂した。破壊派の一部は、周辺で採取した風向きを理由に切断線を斜めにするなど、しばしば独創性が過ぎた。
技法[編集]
目打ち切りの基本は、鋏による直線切除、半円刃による波状切除、ならびに熱線を用いた「焼き締め」である。熟練者は、に収めた際に隣接面が揃うよう、0.3ミリ単位で余白を調整したとされる。
また、1950年代以降は、切断後の縁にを薄く塗る「縁保護法」が普及した。これにより、見た目は目打ちが消えているにもかかわらず、拡大すると目打ち痕が逆に浮かび上がるという奇妙な現象が発生し、鑑定家を悩ませた。
なお、1971年の会議では、目打ちを完全に消した「無孔仕上げ」が提案されたが、これは切手というより名札に近いとの反発を受け、採択は見送られた[5]。
社会的影響[編集]
目打ち切りは、収集市場に二重の価値体系を生み出した。完全な切手を尊ぶ「保存派」と、周縁の整い方を芸術とみなす「整辺派」である。1960年代には大阪市内の骨董店で、同一図案の切手でも目打ちの残存率によって価格差が最大8.4倍に広がったとされる。
教育面では、文部省が1957年に配布した「図画工作補助資料」に、切手の縁を三角定規で切る練習が掲載され、家庭科との境界が曖昧になった。これにより、多くの児童が“貼る前に切る”癖を身につけ、封書の半分が角丸になる事態が起きたという。
一方で、税務署や郵便検査の現場では、目打ち切り済み切手は「未使用に見えるが儀礼的に使用済み」という厄介な存在とされ、の前身組織では保管箱が別管理にされた。ここから「縁切り切手は人間関係も切る」との俗信が広まった。
批判と論争[編集]
批判は当初から強く、では「切手の縁を落とすことは、歴史から肩幅を削るようなものだ」との投書が掲載された。一方で、賛成派は「肩幅があるからこそ標本として立つ」と反論し、議論はしばしば鋏の持ち方へと逸れた。
最大の論争は、1974年の国際鑑定会で発生した「三辺切り事件」である。ここで提出された切手は、表面上は完全な無目打ちであったが、裏面にだけ目打ち孔が残されており、審査員12名中9名が3分間沈黙したと記録されている[6]。
以後、目打ち切りは「技法」よりも「態度」の問題として扱われるようになった。現在でも一部の愛好家は、切り口の荒さをその人の人生観の縮図とみなしているが、この主張には要出典の余地がある。
現代における位置付け[編集]
21世紀に入ると、デジタル化の進展により目打ち切りは急速に縮小した。しかし東京都内の一部の郵趣会では、毎年11月の「縁納め会」で、レーザーカッターを用いた再現実演が行われている。
また、SNS上では、元の切手よりも“縁を処理した後”の写真のほうが映えるとして若年層に再評価され、2022年には「#meuchikiri」タグの投稿が月間4,700件に達したとされる。もっとも、その多くは切手ではなくパンの耳を切っていた。
現在の研究では、目打ち切りは単なる改変ではなく、近代日本における「余白の処分思想」を示す文化現象とみなされている。なお、の内部資料には、これを紙文化のリサイクル前史と位置づけるメモが残るが、公開されていない。
脚注[編集]
[1] 山本義隆『切手周縁論序説』郵趣出版、1998年、pp. 14-19。 [2] Émile Verhaeren, "On the Social Fate of Perforated Objects", Revue Philatélique Européenne, Vol. 12, No. 4, pp. 201-209. [3] Armand Duval, "La suppression des dents timbrées", Actes du Congrès Postal de Bruxelles, 1897, pp. 7-11. [4] 渡辺精一郎『余白の帝国と印刷局』東京郵便学会、1915年。 [5] 神戸切手文化研究所編『目打ちと礼法の比較史』神戸出版会、1972年、pp. 88-93。 [6] Klaus Reinhardt, "The Three-Sided Cut Incident", International Journal of Philatelic Anomalies, Vol. 8, No. 2, pp. 55-60。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山本義隆『切手周縁論序説』郵趣出版, 1998.
- ^ 渡辺精一郎『余白の帝国と印刷局』東京郵便学会, 1915.
- ^ 神戸切手文化研究所編『目打ちと礼法の比較史』神戸出版会, 1972.
- ^ Émile Verhaeren, "On the Social Fate of Perforated Objects", Revue Philatélique Européenne, Vol. 12, No. 4, pp. 201-209.
- ^ Armand Duval, "La suppression des dents timbrées", Actes du Congrès Postal de Bruxelles, 1897, pp. 7-11.
- ^ Klaus Reinhardt, "The Three-Sided Cut Incident", International Journal of Philatelic Anomalies, Vol. 8, No. 2, pp. 55-60.
- ^ 田中綾子『切手儀礼と近代家庭』みすず書房, 2006.
- ^ 松井一郎『郵便物の美学とその周縁』日本経済評論社, 2011.
- ^ Margaret H. Lowell, "Edge Removal as Authentication", Journal of Postal Material Studies, Vol. 5, No. 1, pp. 33-41.
- ^ 中村省三『鋏の社会史』中央公論新社, 1984.
外部リンク
- 国際目打ち切り協会
- 東京郵趣アーカイブス
- ブリュッセル郵便周縁資料館
- 日本縁断ち研究センター
- 切手整辺年報オンライン