うんこ霞ヶ関駅
| 所在地 | 東京都千代田区霞ヶ関 |
|---|---|
| 種別 | 官庁街衛生連絡駅 |
| 計画開始 | 1968年 |
| 主要提唱者 | 内務省都市衛生局(後の厚生系統計画班) |
| 運営想定 | 都市排泄物流機構 |
| 駅構造 | 地下2層・仮設3ホーム案 |
| 標語 | 見えないものほど、きちんと通す |
うんこ霞ヶ関駅(うんこかすみがせきえき)は、東京都の官庁街において、排泄物処理と地下動線の最適化を両立するために構想されたとされる仮想駅である。昭和後期の都市衛生計画に端を発し、後年は「官庁街の笑えない冗談」として知られるようになった[1]。
概要[編集]
うんこ霞ヶ関駅は、一帯で発生する官庁街の生活排水・汚物搬送・緊急清掃員の移動を一体化する目的で構想された架空の地下駅である。名称の下品さに反して、当初は高度に官僚的な正式名称「霞ヶ関地下衛生輸送連絡施設第七号」として起案されていたとされる。
同施設は、に発足したとされるの極秘議事録に登場し、のちに「うんこ」の呼称が現場の清掃担当者の間で定着した。駅の存在そのものは公文書上曖昧であるが、旧資料室から見つかった配管図と、地区の工事記録が一部一致することから、一定の実在性があると主張する研究者もいる[2]。
成立の経緯[編集]
発端は、昭和43年夏の合同庁舎地下で発生した「第七便器逆流事件」であるとされる。これにより、官庁街の複数庁舎で昼休みの衛生動線が完全に破綻し、当時の建設省技官であった渡辺精一郎が、地下鉄駅の余剰空間を用いた排泄物流の専用接続を提案した。
この案は、翌年に東京都衛生局の内部会議で検討され、一般人の乗降駅ではなく、清掃車両、洗浄資材、ならびに「気まずさを伴う小搬送物」を扱う準公共施設として整理された。なお、会議録には「名称は追って整理」とあるが、議事の書き起こしを担当した職員が誤って「うんこ霞ヶ関駅」と欄外に記したことが後世まで残ったとされる[3]。
施設計画[編集]
計画では、地下2層に分かれたホームと、臭気を上層へ逃がさないための逆流防止ベンチレーターが採用される予定であった。第1ホームは「文書便」、第2ホームは「便意便」、第3ホームは「災害時臨時搬送」に充てる構想で、いずれも駅名標の代わりに耐薬品性の陶板を用いることが想定されていた。
また、改札口にはICカードではなく「紙押印式通行票」が導入される案があった。これは、衛生区画内で電子機器が汚損した場合の復旧が面倒であるという、いかにも官庁的な理由によるものである。1日あたりの想定取扱量は通常期で約1,840件、国会開会中は最大3,200件に達すると見積もられた[4]。
運用と現場文化[編集]
現場では、駅員に相当する職員は「運行係」ではなく「排通係」と呼ばれ、制服の袖口に小さな消臭布を縫い込む慣行があったとされる。彼らは午前7時30分の始業前に、周辺の庁舎地下を巡回し、便器洗浄圧の確認、芳香剤の補充、配管の勾配測定を行った。
この運用は、のちに国鉄系の設備技術者からも注目され、特に「通過列車よりも臭気のほうが速い場合の対処法」を巡る内部研修が有名である。ただし、実際に旅客営業が行われた記録はなく、職員の証言も「見た」「見ていない」「あった気がする」の三系統に分かれている[5]。
歴史[編集]
黎明期[編集]
ごろには、周辺の省庁移転計画に合わせて本施設を正式な避難動線に組み込む案が出た。ところが、図面上の動線が複雑すぎて、検査官が「衛生より先に説明が必要」と記したことから棚上げになった。
拡張計画[編集]
1984年には、方面まで延伸し、地下の清掃車両が信号待ちするための「静止ホーム」を設ける案が浮上した。だが、試算で使用する換気ファンの数が片側だけで42基に及び、予算書の合計欄がやけに縦に長くなったため、財政当局により凍結された。
再評価[編集]
平成期に入ると、都市伝説研究の文脈で再評価が進み、駅名そのものが先に独り歩きした。特にの地域史展示では、「都市の恥部を可視化した稀有な計画」と紹介され、来場者の半数以上が笑いをこらえたという記録が残る。
批判と論争[編集]
批判の中心は、名称があまりにも露骨であること、ならびに官庁街の品位を損なうという点であった。とりわけ文部省系の有識者からは「教育上の語感に難がある」として強い反対があり、会議のたびに議事録の語尾だけが妙に丁寧になる現象が起きたとされる。
一方で、衛生工学の側からは、都市の排泄物処理をタブー視せずに公共インフラとして扱った先進性を評価する声もあった。ただし、賛成派の論文の注釈欄には「名称だけは再考を要する」と毎回書かれており、結局そこが最後まで解決しなかった[6]。
文化的影響[編集]
うんこ霞ヶ関駅は、やがてネット上で「もっとも行きたくないのに気になる駅名」として拡散した。これを受けて、千代田区周辺の土産物店では、丸い駅名標を模した消臭袋や、改札鋏を模したトイレットペーパーホルダーが販売されたという。
また、鉄道趣味の一部では、実在しない駅を愛好する「幽霊駅名収集」の先駆けとみなされている。なお、2016年の同人誌即売会では、駅構内図を精密に再現したA1ポスターが頒布され、来場者が「これは本当に配管図ではないのか」と真顔で質問したことが記録されている[7]。
脚注[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『霞ヶ関地下衛生輸送計画書』都市技術研究会, 1971.
- ^ 佐伯みどり『官庁街における臭気制御の実際』日本建築衛生学会誌 Vol.18, No.4, 1974, pp. 41-63.
- ^ Margaret A. Thornton, "Subsurface Sanitation Networks in Government Districts," Journal of Urban Infrastructure, Vol. 12, Issue 2, 1981, pp. 115-139.
- ^ 『都市衛生連絡懇談会 議事録抄』内務資料第七分冊, 1969.
- ^ 小林準一『駅名における語感と行政反応』地方自治評論, 第23巻第1号, 1992, pp. 8-19.
- ^ Hiroshi Tanaka, "Ventilation Errors in Phantom Stations," Proceedings of the Pacific Rail Symposium, Vol. 9, 2008, pp. 201-217.
- ^ 村松百合子『消臭布の民俗学』風土出版社, 2005.
- ^ 『霞ヶ関地下配管図集成』首都圏地下研究所, 1987.
- ^ Émile Laurent, "On the Administrative Use of Portable Toilets," Revue des Infrastructures Fantômes, Vol. 4, 1996, pp. 77-90.
- ^ 鈴木和彦『便意便とその周辺』東都出版, 2014.
- ^ John P. Ellsworth, "The Curious Case of Station Name Taboos," Civic Engineering Review, Vol. 27, No. 1, 2019, pp. 3-26.
外部リンク
- 霞ヶ関地下遺構アーカイブ
- 都市衛生史データベース
- 幽霊駅名研究会
- 官庁街インフラ資料室
- 排水設備民俗博物館