霞が関
| 所在地 | 東京都千代田区霞が関 |
|---|---|
| 成立 | 明治後期 - 大正期とされる |
| 由来 | 霧止め実験、関所跡、官吏移転計画 |
| 面積 | 約0.74 km2 |
| 主要施設 | 中央省庁庁舎、合同庁舎、会議棟 |
| 管理主体 | 中央官庁連絡調整委員会 |
| 通称 | 霞関、霞ヶ関、霞関台地 |
| 関連概念 | 官庁街、官邸、行政情報公開 |
霞が関(かすみがせき)は、東京都千代田区の南西部に位置するとされる官庁街である。近代日本の行政機構の整備にあわせて形成されたとされるが、その起源については、江戸時代後期に行われた「霧止め実験」に由来するという説が有力である[1]。
概要[編集]
霞が関は、日本の中央官庁が集積する地区として知られている。一般には内閣府や各省庁の本省庁舎が集中する行政中枢と理解されているが、都市計画史では、もともと「霧を制御するための視認補助地帯」として整備されたという見方がある。
この地区は、地形が緩やかな台地である一方、かつては湿地帯であったため、冬季の神田川方面から流れ込む靄がたまりやすかったとされる。そのため、は視界確保を名目に区画整理を進め、のちに官庁街として定着したとされる[2]。なお、古い地図の一部には「関の霞」と記されており、これが現在の名称の逆転起源ではないかという説もある[3]。
名称の由来[編集]
名称の由来については、少なくとも三つの説が並立している。第一は、江戸時代にこの一帯へ設けられた仮設の関所を「霞の関」と呼んだことに由来するという説である。第二は、地表の湧気を利用して紙の保存状態を安定させる「霞蒸し」が行われていたため、役人の間で霞の多い土地として定着したとする説である。
第三の説はやや異色で、幕末の蘭学者・が、気象観測のために築いた木製の観測塔を「霞測関」と記した記録があり、これが転訛したとするものである。もっとも、鶴見の記録は国立公文書館所蔵の写本にのみ見られ、原本の所在は確認されていない[4]。このため、研究者の間では「最も整っているが最も怪しい説」として扱われることが多い。
歴史[編集]
前史[編集]
霞が関周辺は、江戸期には武家地と寺社地が交錯する境界地帯であったとされる。とくに年間には、幕府の命により「霧害調査」が行われ、朝夕の視程、馬の足取り、紙燭の燃焼時間まで記録されたという。調査帳には、ある日だけ異様に詳細な数値が並び、たとえば「午前六時二十四分、霧厚さ三寸八分、役人の足音四十七回」と書かれているが、これは後世の脚色とする意見もある。
以降、太政官の移転候補地として検討された際、地価、排水、風通しに加えて「晴天率よりも会議室の曇りにくさ」が評価項目に入っていたと伝えられる。これはの内部文書『霞地選定伺』に見えるが、筆跡の一部が異なるため、後年の追記ではないかとの指摘がある[5]。
官庁街としての形成[編集]
初頭、地区は本格的な庁舎建設に向けて再編された。中心的役割を果たしたのは、内務省土木局の技師と、東京市区改正の流れを継いだであるとされる。両者は「省庁を並べるには、道路幅よりも書類棚の奥行きが重要である」と主張し、敷地の奥行き規格を統一したという。
1908年には、霞が関初の合同庁舎計画が持ち上がり、、農商務省、逓信省の三庁舎を地下通路で結ぶ案が採択された。これにより、雨天時でも役人が濡れずに移動できることが期待されたが、実際には通路の天井高が低すぎたため、礼帽をかぶった職員が頻繁に頭をぶつけたという逸話が残る。
また、関東大震災後には耐震性向上を理由に鉄骨化が進められたが、当時の設計者の一部は「震災対策よりも、冬の隙間風対策のほうが深刻である」と証言している。これが、のちに霞が関の庁舎が“重厚で窓の少ない建築”へ傾く遠因になったともいわれる。
戦後の再編[編集]
は、占領期の行政再編にともない、霞が関の機能が一時的に分散した。とはいえ、半ばには省庁再集積が進み、を中心とした「官庁回帰」が起きたとされる。特にの会議では、庁舎配置の最終案をめぐって12時間に及ぶ議論が続き、休憩のたびに薄い緑茶が74杯消費されたという記録がある。
1960年代以降は、地下鉄の開業を契機に、地上と地下の二層構造が形成された。これにより、表では記者会見、地下では根回しが行われる都市構造が完成したとされる。この二層構造は、後に「見える霞が関」と「見えない霞が関」と呼ばれることになる。
都市構造と機能[編集]
霞が関の特徴は、単なる官庁集積ではなく、動線そのものが制度設計になっている点にある。建物配置は、外務省から財務省までを徒歩7分圏に収めつつ、初訪問者には30分以上かかるよう調整されているといわれる。
地下通路網は総延長約4.8 kmとされ、雨天時の移動だけでなく、非公式会合、資料の受け渡し、遅刻の言い訳にも利用されている。ある調査では、平日午前8時台の通路通過者のうち、約61%が書類を持ち、19%がコーヒーを持ち、残る20%は「どこに向かうべきか分からない顔」をしていたという[6]。
この地区はまた、会議室の照度が低めに保たれることで知られている。これは「長文の説明は短く聞こえ、短い反対は長く感じられる」という行政心理学上の効果を狙ったものとされるが、実際には省エネ設計の副作用ではないかとも指摘されている。
文化的影響[編集]
霞が関は、行政機構の象徴として日本語の日常表現にも深く入り込んでいる。「霞が関が動く」「霞が関文学」などの言い回しは、もともと新聞記者の間で生まれた隠語であったが、のちに一般にも広まった。
また、映画やテレビドラマでは、霞が関はしばしば巨大な意志を持つ建築群として描かれる。脚本家のは、1978年のインタビューで「霞が関では台詞より沈黙のほうが会話になる」と述べたとされ、この発言は官庁ドラマの演出様式に決定的な影響を与えたと考えられている。
一方で、霞が関の現実の勤務環境については、昼休みの短さとエレベーター待ちの長さがしばしば話題となる。民間の調査会社によれば、昼食時間の平均は17分48秒で、うち5分は“どこで食べるか”の相談に費やされているという。もっとも、この種の数値は測定条件によって大きく変動するため、厳密な統計とは言い難い。
批判と論争[編集]
霞が関は、情報公開の遅さや意思決定の不透明さの象徴として批判されることが多い。とくに以降は、庁舎が巨大化するほど説明責任が曖昧になるという逆説が議論され、でも「霞が関は物理的には一地点だが、手続き的には複数地点に分裂している」と表現された。
また、地下通路の閉鎖性については、災害時の避難経路として十分かという問題が繰り返し指摘されてきた。これに対し、関係者は「避難より先に会議を終える必要がある」と説明したとされるが、この発言はあまりに霞が関的であるため、真偽は定かでない[7]。
なお、ごろには、庁舎内の案内表示が複雑すぎるとして、初めて訪れた人が同じ省庁に三度案内されたという逸話が広まった。これを受けて一部の研究者は、霞が関の本質は地理ではなく「迷わせる制度」であると論じている。
主要施設[編集]
霞が関には、から第6号館までのほか、各省庁の本館・別館・分館が点在しているとされる。なかでも財務省本庁舎は「帳簿の城」、外務省は「扉の少ない要塞」、法務省は「改札の多い静かな建物」と呼ばれることがある。
また、地下には非公開の連絡通路群が存在するとされ、その一部は元来、雨水排水路として計画されたものを流用したという。毎年春には一斉点検が行われるが、点検票の束が厚すぎて、確認より綴じ直しのほうが時間を要するという指摘がある。
さらに、地区の中央には「霞見の広場」と呼ばれる小さな公開空地があり、晴天時には周囲の庁舎ガラスに空が映り込む。行政資料ではこれを「視認上の開放性」と表現するが、実態としては昼休みのベンチ不足を補うための場所として重宝されている。
脚注[編集]
脚注
- ^ 鶴見正斎『霞測関略図考』東京地理学会雑誌, Vol.14, No.2, 1898, pp. 33-41.
- ^ 野村清助『官庁街区画と風洞の比較研究』日本建築史学会誌, 第8巻第1号, 1912, pp. 5-19.
- ^ 松井亮三「霞が関庁舎群の地下動線について」『都市計画研究』Vol.21, No.4, 1931, pp. 201-219.
- ^ 行政史編纂委員会『霞が関形成史資料集』東京大学出版会, 1964.
- ^ 中村文雄『戦後官庁再編と霞が関の復元力』中央公論社, 1972.
- ^ Margaret A. Thornton, "The Subterranean Bureaucracy of Tokyo", Journal of East Asian Urban Studies, Vol.9, No.1, 1987, pp. 44-67.
- ^ 小松原辰雄「霞が関とドラマ照明」『映像表現学報』第12巻第3号, 1978, pp. 88-96.
- ^ 佐伯倫太郎『行政心理学入門――会議室の照度と意思決定』有斐閣, 1995.
- ^ K. Fujimori, "Corridor Networks and Delay Management in Central Government Districts", Urban Administration Review, Vol.18, No.2, 2006, pp. 112-130.
- ^ 霞川健一『なぜ霞が関は迷うのか』朝日新書, 2011.
- ^ 渡辺精一郎「霞が関の昼休み時間実測報告」『都市生活学研究』第3巻第2号, 2014, pp. 57-64.
外部リンク
- 霞が関史料アーカイブ
- 中央官庁動線研究所
- 官庁街観測年報
- 東京地下通路協議会
- 霞見学会公式記録