にまブリザード
| 名称 | にまブリザード |
|---|---|
| 読み | にまぶりざーど |
| 英語表記 | Nima Blizzard |
| 分類 | 局地風・民間気象用語 |
| 発祥 | 北海道渡島地方 |
| 初出 | 1938年ごろ |
| 主な利用地域 | 函館市、松前町、上ノ国町 |
| 関連機関 | 北海道気象文化研究会 |
| 特徴 | 横なぐりの雪と低周波音を伴うとされる |
| 別名 | 二間吹雪、にま吹き |
にまブリザードは、北海道の沿岸部で発生するとされる局地的な強風現象、およびそれを利用した用の合図法である。元来は時代の気象通報に由来するとされ、現在では冬季の民間予報文化の一つとして知られている[1]。
概要[編集]
にまブリザードは、から流入する湿った寒気がの地形に当たって発達する、非常に短時間かつ局所的な吹雪現象を指すとされる。名称にある「にま」は、古い漁村で用いられた帆の折り畳み単位「二間」に由来するとの説があり、強風時に網を二間ずつ畳ませた合図から転じたという[2]。
もっとも、地元では気象現象そのものよりも「風が来る前に必ず味噌汁の椀が鳴る」ことが重視され、の一部の港湾では、にまブリザード発生時に鐘ではなく木箱を叩く独特の通報法が残ったとされる。これにより、漁師同士の連絡速度が平均で17秒短縮されたという報告もあるが、調査母数が13世帯しかないため要出典とされている。
現在では、気象学の厳密な用語というより、冬季の地域文化・生活知として扱われることが多い。また、の古い地形図に見られる「Nima drift」の誤記が、後年の研究者に影響を与えたともいわれる[3]。
語源[編集]
にまブリザードの語源については、主に三つの説がある。第一は前述の「二間」説で、漁網や帆布を二間単位で畳む際に強風が吹くと作業が滞ることから生まれたとするものである。第二はの風を意味する語根との作業単位が混交したという説で、明治末期の港湾記録に「にまびらしと」と読める崩し字があることが根拠とされる。
第三の説は、青森県側の荷揚げ人足が用いた符牒「二間走れ」が訛ったとするもので、最も俗説的であるが、昭和初期の回想録にしばしば現れるため根強い。なお、北海道大学の旧民俗学資料室では、1938年に採集されたとされる木札「ニマ 来ル」が保管されているが、裏面に鉛筆で「演習用」と書かれているため真偽は定まっていない[4]。
語源研究はしばしば気象学よりも民俗学の問題として扱われた。その理由は、にまブリザードが単なる風ではなく、漁期の終わり、見張り番の交代、学校の半ドンを同時に知らせる「地域の合図」として機能していたためである。こうした複合性は、後年の文化史研究者らによって「半日単位の社会装置」と呼ばれた。
成立と普及[編集]
1930年代の港湾記録[編集]
にまブリザードの初出は、1938年にでまとめられた港務日誌とされる。そこでは、強風により係留索が一斉に鳴り、荷役主任のが「にま来る」と叫んだ記述があり、後に編集された抄本ではこれが「にまブリザード到来」と整えられた。
この時期、港では石炭船の入港遅延が年間42件発生していたが、にまブリザードの予報が浸透すると、係船作業の判断が早まり、損耗した麻索の交換費用が12%減ったとされる。ただし、同じ統計に冬季の酒量増加が含まれているため、経済効果の評価は難しい。
戦後の民間予報文化[編集]
以降、の商店主たちが、にまブリザードの予兆として「海苔が斜めに乾く」「納屋の戸が三度鳴る」といった経験則を交換し始めたことで、用語は広く普及した。特にでは、毎月7日と17日に風向板の読み合わせ会が行われ、参加者は平均28名、最高で51名に達したと記録されている。
また、にはの地域気象番組で「にま風」として紹介されたことがあり、これが一般家庭への流入を決定づけたとされる。放送後3日間で、地元の金物店が風見鶏を214個売り上げたという逸話が残るが、実際には鍋蓋で代用した者も多かったらしい。
特徴[編集]
にまブリザードの最大の特徴は、風雪の規模よりも、発生の予兆が生活音として認識される点にある。典型的には、戸板の微振動、灯油缶の共鳴、そして遠くの犬が一度だけ吠える現象が連鎖するとされ、熟練の港湾労働者はこれを「三鳴き」と呼んだ[5]。
気象学的には、地表付近の気温差が6度以上、瞬間風速が毎秒18メートルを超える場合に観測されやすいと説明されることが多い。しかし、実際の観測網ではこの条件を満たさないにもかかわらず「にまブリザード」と報告される事例が一定数あり、地域社会においては現象名というより危険回避の号令として運用されていた可能性がある。
なお、吹雪の中心は幅300メートルから1.2キロメートル程度とされ、通過時間は平均11分である。だが、の古老の証言では「体感では昼飯が冷めるまで続く」とされ、民俗的時間感覚が科学記録を上回る珍しい例として知られている。
社会的影響[編集]
にまブリザードは、交通、漁業、学校教育の三分野に強い影響を与えたとされる。とりわけでは、停泊中の小型船が風向きの変化によって岸壁に押し付けられる事故が多発し、1950年代後半には港の係留杭が2年に1度の割合で増設された。
学校では、の一部資料に「にま警報」が記載されており、これが出ると児童は教室の窓際に置かれた新聞紙を一斉に丸め、風の向きで翌日の休校を予想したという。統計上は休校率が4.8%上昇したとされるが、同時に欠席率も上昇したため、教育効果は一概に評価できない。
また、商業面では、にまブリザードを見越した保存食文化が発達し、函館周辺では「にま最中」「にま昆布茶」といった商品名が一時的に流行した。中でも1958年発売の「にま飴」は、紙袋を叩くと風音のように鳴る包装で知られ、1シーズンで8万4,000袋を売り上げたという。
研究史[編集]
気象学による再解釈[編集]
、の嘱託研究員は、にまブリザードを「海霧性突風の俗称」と整理し、初めて測器による比較観測を試みた。彼はとで同時観測を行い、紙テープ式風速計が雪で詰まる問題を、裁縫用の針で除去するという手法で乗り切った。
この研究により、にまブリザードは完全な迷信ではなく、局地的な気圧谷と地形風の複合現象であると説明された。ただし、中瀬は後年の講演で「それでも二間という単位が消えない」と述べており、学術分類の敗北を半ば認めている。
民俗学と生活史の接近[編集]
以降は、の調査により、にまブリザードが単なる風俗語ではなく、労働配置の合理化に寄与したことが注目された。例えば、漁村では風が強まる前に子どもを屋内に戻し、炊事担当を一人増やすなど、家族単位の行動変容が見られた。
の北海道大学人文社会科学系図書館に所蔵される聞き書き資料では、にまブリザードを経験した住民の87%が「音で先に分かった」と答えたとされるが、質問票の選択肢が「はい・とてもはい・たぶんはい」の三択だったため、集計の厳密性には疑問がある。
批判と論争[編集]
にまブリザードをめぐっては、当初から「実在の気象現象を後付けで神秘化しただけではないか」という批判があった。特に1971年の『北海道気象年報』では、現象の命名が現地の印象談に依存しすぎており、再現性が乏しいと指摘されている[6]。
一方で、地域の保存会はこれに強く反発し、現象を数値だけで切り捨てるのは「港の音を失う」行為だと主張した。論争はNHKのドキュメンタリー番組『風の名は二間』放送後に拡大し、電話投書が2日で312件寄せられ、そのうち41件が「わが家でも鳴る」と証言したとされる。
なお、にはが「にまブリザード注意情報」を試験導入したが、名称が長すぎて防災無線に収まらず、実際には「強い風雪」に短縮して運用された。この件は、学術的には勝利、広報的には敗北として記録されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 中瀬義彦『渡島沿岸における局地風の民俗的命名』北海道気象文化研究会, 1968年.
- ^ 三浦澄子『港の音と冬の合図』北方書房, 1974年.
- ^ 佐伯庄蔵『函館港務日誌抄』函館港湾史料刊行会, 1951年.
- ^ Hiroshi Tanaka, "Nima Blizzard and the Coastal Signal System," Journal of Northern Ethnography, Vol. 12, No. 3, pp. 201-228, 1987.
- ^ 木村あき子『風が来る前に椀が鳴る』道南出版, 1992年.
- ^ 北海道気象年報編集委員会『北海道気象年報 第18巻第2号』札幌管区気象台, 1971年.
- ^ Margaret L. Thornton, "Small-Scale Snow Squalls and Working Boats," Maritime Climate Review, Vol. 9, No. 1, pp. 44-67, 1995.
- ^ 松本兼吉『二間吹雪の記憶』松前文化研究所, 2001年.
- ^ Yoshikazu Nakase, "The Nima Drift Misprint and Its Consequences," Bulletin of the Hokkaido Regional Weather Office, Vol. 4, No. 2, pp. 15-31, 1969.
- ^ 『風の名は二間』制作委員会『テレビドキュメンタリー脚本集 風の名は二間』日本放送協会出版, 2005年.
外部リンク
- 北海道気象文化研究会アーカイブ
- 函館港湾史デジタル資料室
- 道南民俗天候図鑑
- 松前町風雪口承記録館
- にまブリザード保存会