のいまん
| 名称 | のいまん |
|---|---|
| 英語表記 | Noiman |
| 成立 | 1908年頃 |
| 提唱者 | 渡辺精一郎、マーガレット・A・ソーンダースほか |
| 分野 | 測量学、印刷工学、都市記述学 |
| 主な適用先 | 地図余白、帳票欄外、港湾標識 |
| 代表的指標 | N値、反転係数、欄外逸脱率 |
| 関連機関 | 帝都余白調整会議 |
のいまん(Noiman)は、明治末期の東京で成立したとされる、物体の縁に生じる「余白の偏り」を数値化するための観測概念である[1]。のちに・・へ波及し、特に昭和初期の官庁文書において半ば公然と用いられたことで知られる[2]。
概要[編集]
のいまんは、対象の輪郭そのものではなく、輪郭の外側に残る「説明されていない空間」を扱うための概念である。一般には、・・のように本来は情報を詰め込むべき媒体において、どの程度の空白が「秩序」として機能し、どの程度の空白が「制度の失敗」と見なされるかを測るものとされる[3]。
この語は後年になってやにも転用されたが、もともとは東京市下の印刷局関係者が、活字組版の端に生じる不可解な余りを観測していた際に用い始めたとされる。なお、初期の資料では「野井間」「ノ井曼」など複数の表記が併存しており、用語の定着には大正期まで要したと推定されている[4]。
起源[編集]
東京港の倉札と最初の観測[編集]
のいまんの原型は、にで実施された倉札整列実験に求められるとする説が有力である。荷札の貼付位置が1.5寸ずれるだけで、同じ荷物でも「到着したように見える」「未着に見える」という帳簿上の差異が生じ、当時の監督官であった渡辺精一郎がこれを「欄外の力」と呼んだことが始まりとされる[5]。
渡辺はその後、東京帝国大学の臨時講師であったマーガレット・A・ソーンダースと接触し、余白を単なる未使用領域ではなく、情報の意味を反転させる作用域として整理した。両者は共同で、帳票の余白が7ミリを超えると判定が急激に不安定化することを示したが、この数値は当時の定規の製造誤差を考慮していないため、後世の研究者からは半ば伝説視されている[6]。
帝都余白調整会議[編集]
、内務省と逓信省の合同部会により、のいまんの標準化をめぐる「帝都余白調整会議」が設置された。会議は全14回開催され、毎回2時間を超えるのに、議事録の半分以上が「余白を何センチと定義するか」で費やされたという。
この会議では、余白が多すぎる案は「空虚主義」、少なすぎる案は「過密主義」として退けられ、最終的に「文字の高さの0.33倍から1.12倍までをのいまん帯とする」という中庸案が採択された。ただし、この値は実務上ほぼ誰も守らず、における適用実態は地域ごとに大きく異なったとされる[7]。
印刷局における制度化[編集]
のいまんが実務に入り込んだのは、大正後期のにおいてである。紙面の端に生じる余白の偏りを、刷版の歪みや金属活字の摩耗ではなく「配置思想のずれ」として説明する便法が必要とされ、のいまんはそのまま判定表へ転写された。
とくにの通達「第41号・帳票欄外余整令」では、のいまん値が一定以上の帳票は「読了不能ではないが、読了に抵抗がある」と分類され、再印刷の対象になった。この表現は曖昧すぎるとして当時から不評であったが、実際には再印刷率を12.4%押し上げ、結果として活字工房の仕事量を安定させたとも言われる。
理論[編集]
N値と反転係数[編集]
のいまん理論の中核は、N値と呼ばれる単純な測定値である。これは対象物の外周に対し、説明不能な空白が占める割合を百分率で示すもので、20%未満では「拘束型」、20〜60%では「均衡型」、60%を超えると「逸脱型」とされた[8]。
さらに、余白が視線を吸収して内容を際立たせる現象は「反転係数」として定式化された。たとえば、港湾標識で反転係数が1.8を超えると、船員が標識そのものよりも周囲の空白を先に認識する傾向があり、これが夜間の誤読事故を7件減らしたとする港務局の内部報告が残る[9]。
都市計画への転用[編集]
昭和初期になると、のいまんは都市計画にも応用された。とくに東京都周辺の再区画では、道路を広げるのではなく「見せるべき余白を確保する」方針が採用され、看板の密度が一定を超える商店街に対しては、余白確保税が試験的に課されたとされる。
この政策の評価は割れている。一方では、歩行者の滞留時間が平均18秒増えたことで購買率が改善したとされるが、他方で「空白が多すぎて店が潰れた」とする古老の証言もある。なお、これを裏づける統計は関東大震災後の資料散逸により断片的である[10]。
学界での論争[編集]
のいまんを工学概念として扱うか、芸術概念として扱うかは長らく争点であった。の一部では、余白は構成上の沈黙であり、のいまんは版面の音楽的休符に近いとされた。他方、では、あくまで測定可能で再現性のある空間量として扱うべきだと主張された。
この対立は1934年の「白紙会戦」と呼ばれる公開討論会で頂点に達し、終了後に会場の椅子が半分以上空席であったことから、皮肉にも「のいまん値が高い会合ほど長く記憶される」という経験則が補強された。
社会的影響[編集]
のいまんは専門家の間では奇妙な便利概念として受け入れられたが、一般社会では「役所が空白にまで税をかけるのか」という誤解を生み、しばしば揶揄の対象となった。とくにの見出しでは、のいまんの測定値が高い広告ほど「字が少ないのにうるさい」と批判され、結果として広告代理店が意図的に余白を演出する流行が生まれた[11]。
また、学校教育にも短期間ながら影響を及ぼし、の図画工作教材には「空白の使い方」という単元が挿入された。児童が紙の四隅にだけ絵を描き、中央を完全な無意味空間として残す作品が高く評価されたことから、のいまんは「子どもに最初に教える制度批評」とまで呼ばれたことがある。
批判と論争[編集]
のいまんに対する最大の批判は、その測定が本質的に主観に依存している点にあった。実際、同じ帳票を3人の査定官に見せると、N値が最大で41%ずれることが確認されたという内部資料が存在するが、これが公表されたのはであり、すでに制度としては半ば忘れられていた。
また、戦後になると「のいまんは戦時行政の余白統制に利用されたのではないか」とする研究も出たが、明確な証拠は見つかっていない。ただし、国立公文書館所蔵の一部資料には、判読不能な欄外注記として「のいまん過多につき是正」とだけ書かれた書類が確認されており、研究者の間ではしばしば議論の火種となっている[12]。
現代における扱い[編集]
現在、のいまんは厳密な学術用語としてよりも、情報デザインや編集現場での比喩として用いられることが多い。たとえばウェブページの余白が広すぎる場合に「このページはのいまんが高い」と述べる用法が、後半から一部のデザイナーの間で散見される。
一方で、に相当する民間規格団体の内部文書では、今なお「印刷版面の秩序維持に資する準専門語」として扱われているという。もっとも、実務担当者の多くは定義書を最後まで読まず、結局は「なんとなくバランスが悪い時に使う言葉」として運用しているようである。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『欄外の力学――東京港倉札整列実験報告』帝都印刷研究会, 1911年.
- ^ Margaret A. Saunders, "Studies on the Noiman Margin", Journal of Urban Notation, Vol. 3, No. 2, pp. 114-139, 1914.
- ^ 大蔵省印刷局編『帳票欄外余整令逐条解説』大蔵省印刷局, 1928年.
- ^ 佐伯良介『のいまん概論――余白の測定と制度化』中央余白出版社, 1936年.
- ^ H. K. Whitmore, "The Reversal Coefficient in Harbor Signage", Proceedings of the Imperial Institute of Design, Vol. 8, No. 1, pp. 21-47, 1939.
- ^ 東京市都市計画課『神田地区再区画における余白確保報告書』東京市役所, 1932年.
- ^ 本間志津子『白紙会戦の研究――美術と工学の間』新潮社, 1956年.
- ^ 国立公文書館編『欄外注記資料集 成立篇』公文書研究叢書第12巻, 1979年.
- ^ D. Ellington, "Noiman and the Poetics of Blank Space", East Asian Journal of Applied Semiotics, Vol. 11, No. 4, pp. 201-233, 1988.
- ^ 宮下環『空白税の誕生と消滅』日本行政史学会, 2004年.
- ^ 石黒透『のいまんと広告の逆説』文化情報出版, 2013年.
外部リンク
- 帝都余白史料館
- 東京印刷工芸アーカイブ
- 欄外研究ネットワーク
- 都市記述学会
- 白紙会戦デジタルライブラリ