アナル移動識別番号1107
| 正式名称 | アナル移動識別番号1107 |
|---|---|
| 通称 | AMI-1107 |
| 分類 | 移動識別・台帳管理制度 |
| 主管 | 運輸省 臨時識別整理室 |
| 運用開始 | 1957年 |
| 運用終了 | 1968年ごろ |
| 主用途 | 移動資産・仮設設備・港湾備品の追跡 |
| 中心地 | 東京都中央区・横浜港周辺 |
| 関連文書 | 第1107号移動識別内規 |
アナル移動識別番号1107は、においての所在を追跡するために導入された識別体系の一つである。特に後半のとの管理に用いられたことで知られる[1]。
概要[編集]
アナル移動識別番号1107は、にの外郭に設けられたが策定したとされる、移動物品の通し番号制度である。名称に「アナル」を含むが、これは当時の官庁用語で「後段に回る」「末尾管理の」という意味で用いられた略式表現に由来すると説明されている[2]。
制度の目的は、・・などで頻発していた「所有者不明の仮設備品」「荷役中に台帳へ戻らない器材」を整理することにあった。もっとも、番号の末尾が1107に固定された経緯については複数の説があり、会計年度末の伝票束番号であったとする説と、昭和32年11月7日の通達番号を暗号化したものとする説が対立している[3]。
実際には、制度そのものよりも、これに付随して配られた青緑色の金属札が有名である。札の裏面には「一度外したら必ず同じ箱に戻すこと」と刻印されており、倉庫作業員のあいだでは「1107札」と呼ばれた。また、台帳の字形が極端に小さかったため、誤読による番号重複が多発し、後年の監査報告書では「半ば儀礼的な運用にとどまった」と評されている[4]。
歴史[編集]
成立の背景[編集]
制度の前史は、の後に増加した仮設倉庫と、期に膨張した港湾荷役の混乱に求められるとされる。当時は、木箱・鉄枠・布袋・パレットが同じ番号札を使い回しており、現場では「荷はあるのに帳面がない」「帳面はあるのに荷がない」という事態が常態化していた。
このためは、神奈川県のに試験倉庫を設け、識別札の配色、穴の位置、紐の長さまで統一する実験を行った。試験の主任であった渡辺精一郎は、後年の回想録で「番号は物に付けるのではない。物の迷子札である」と述べたとされるが、この引用は一部の研究者から要出典扱いを受けている。
1107号の確定[編集]
1107の番号が採用されたのは、10月から11月にかけて行われた「第十一回臨時識別会議」である。会議資料によれば、候補番号は 803、942、1099、1107、1112 の5案に絞られ、最後は「末尾が7だと返納率が高い」という経験則で決定されたという[5]。
ただし、同会議の議事録は後年に焼損しており、現存する写しは国立国会図書館ではなく、の職員が私的に複写した一冊のみである。そのため、1107の選定理由については、会議室の湯のみの並び方が偶然7個だったことに由来するという珍説まで流布した。
普及と運用[編集]
制度は1958年からにかけて急速に広がり、・・北九州の臨時倉庫でも採用された。とくに名古屋港では、同一番号が異なる三つの木箱に付される「三重重複事件」が発生し、識別札に穴を二つ開ける改正が行われたとされる。
一方で、現場では番号を口に出す際に「いちいちまるなな」が早口言葉のように聞こえることから、若い職員のあいだで暗号化された合図として使われた。例えば、札を紛失した際に「1107が風に行った」と言えば、保管棚の南側区画を点検する意味になったという。なお、この用法はの一部班にしか残っていないとされる。
廃止と残滓[編集]
ごろには、の導入と内の部局再編により、アナル移動識別番号1107は公式には廃止された。しかし、金属札そのものは丈夫であったため、廃棄されずに弁当箱の留め具、ドアの仮補修、図面束のしおりとして再利用された。
また、1970年代には一部の鉄道ファンがこの札を収集し、番号の刻印位置や打刻圧を比較する趣味が成立した。現在でも東京都内の古書店や港湾資料展で稀に見つかることがあり、真贋判定では「11」の縦棒がわずかに左へ倒れている個体が初期型とされる[要出典]。
制度の構造[編集]
アナル移動識別番号1107は、番号そのものよりも、添付票・返納札・確認印の三点で成立していた。移動物品には赤字で「A」「M」「I」の三文字が打たれ、これは「Assignable, Movable, Interim」の頭字語と説明されることもあるが、当時の実務文書では単に「後回しにせず動かす」といった意味で使われていたとみられる。
制度の特徴は、倉庫内での移動回数を番号に反映させない点にあった。通常の管理制度が「何回動いたか」を重視するのに対し、1107方式では「最後にどこへ置いたか」だけを記録したため、作業が速い一方で、月末の棚卸で必ず齟齬が生じた。監査官の報告では、1,204個の対象物のうち実在位置が確定したのは873個、残る331個は「たぶん本牧」「おそらく川崎」などの曖昧な注記に留まったという[6]。
社会的影響[編集]
1107制度は、港湾労働の標準化に寄与したと同時に、書類文化を過剰に発達させたと評される。倉庫主任たちは、物品を運ぶ前に番号を書き、番号を書いてから物品を運ぶようになり、その結果、実物より台帳の方が先に整う現象が広く観察された。
また、制度導入後に「迷子札」「返納札」「一時札」といった派生語が生まれ、のちには町工場や学校の備品管理にも応用された。昭和30年代後半には、の一部で机椅子の移動管理に流用されたとの記録があるが、正式採用かどうかは不明である。
文学面では、川崎の倉庫街を描いた短編小説に「1107札が鳩に持ち去られる場面」が登場し、識別制度が都市の不安定さを象徴するモチーフとして扱われた。もっとも、当事者からは「鳩に持ち去られたのは札ではなく昼食である」と反論が出た。
批判と論争[編集]
制度に対する最大の批判は、名称の印象があまりに奇妙であるため、現場職員が説明をためらったことである。とくに厚生省系の会議では、書記が議事録に「アナ…」と途中まで記した時点で全員が沈黙したと伝えられている。
また、1107の末尾番号を守るために、わざわざ対象を7つに割る運用が横行したとの指摘がある。たとえば、長さ8メートルの鉄枠を「4メートル×2本、1メートル×2本、残りは副台帳」として処理した事例があり、効率化の制度が逆に断片化を招いたとして批判された。なお、この件は当時の内部報告書に1行しか記されておらず、研究者のあいだでは「1行論争」と呼ばれている[7]。
一方で、支持派は「混乱した現場に番号を与えただけで大きな進歩である」と主張し、制度廃止後も民間倉庫で類似方式が生き残った。現在でも一部の老舗運送会社では、書庫の最下段を「1107番」と呼ぶ慣習が残るという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『臨時識別整理史』港湾文化社, 1971.
- ^ 佐伯和夫「昭和三十年代における移動資産管理の変遷」『物流史研究』Vol. 12, No. 3, pp. 44-61, 1984.
- ^ Margaret L. Henson, "Temporary Tags and the Bureaucracy of Motion," Journal of Maritime Administration, Vol. 8, No. 2, pp. 101-129, 1969.
- ^ 横浜港史料保存会 編『本牧試験倉庫関係資料集』同会出版部, 1992.
- ^ 小野寺慎一「金属札の音響特性と返納率の相関」『実務台帳学報』第4巻第1号, pp. 7-19, 1978.
- ^ A. R. Bell, "The 1107 Problem in Interim Inventory Control," Port Logistics Review, Vol. 3, No. 4, pp. 210-233, 1970.
- ^ 林田栄子『番号が先か、物が先か』中央備品研究所, 2005.
- ^ 藤堂義彦「アナル移動識別番号の語源再考」『港湾と制度』第19号, pp. 88-96, 1998.
- ^ Eleanor T. Marsh, "On the Misreadability of Administrative Numerals," International Review of Bureaucratic Studies, Vol. 15, No. 1, pp. 1-22, 1981.
- ^ 日本臨時管理学会 編『移動する台帳の思想』学術倶楽部出版, 2011.
外部リンク
- 横浜港史料保存会デジタルアーカイブ
- 港湾台帳研究フォーラム
- 臨時識別番号データベース1107
- 昭和管理制度史ライブラリ
- 本牧試験倉庫を歩く会