アーノロン症候群
| 分類 | 神経症候群・音声認知異常 |
|---|---|
| 初報告 | 1897年 |
| 提唱者 | エミール・レーナー博士 |
| 主症状 | 記憶の逆順化、発声遅延、名前の誤置換 |
| 好発年齢 | 18歳から43歳 |
| 関連地域 | ウィーン、プラハ、港町リエカ |
| 研究機関 | 帝国神経言語観察局 |
| 俗称 | 三度言い直し病 |
アーノロン症候群(アーノロンしょうこうぐん、英: Arnolon Syndrome)は、末のウィーンにおいて観察されたとされる、特異な反復性記憶錯乱と発声遅延を主徴とする症候群である。のちにとの境界領域に位置づけられ、の臨床家の間で密かに引用された[1]。
概要[編集]
アーノロン症候群は、会話の途中で固有名詞の順序が入れ替わり、直後に本人が強い既視感を訴える状態を指すとされる。患者はしばしば「いま言った言葉を先に知っていた」と述べるが、この発言は当時のでは詩的誇張として扱われることが多かった。
この概念は、オーストリア=ハンガリー帝国期の官製調査から生まれたとされるが、実際には地方劇団の台本事故を医療用語に転用したものであるとの説がある。なお、初期報告の症例数は13例であったが、の再集計では27例に増えており、再集計者が同じ患者を二度数えた可能性が指摘されている[2]。
歴史[編集]
帝都ウィーンでの初報告[編集]
最初の記録は、付属の臨床講義室で発表された『反復性名辞反転の一観察』に求められる。執筆者は神経科医エミール・レーナー博士で、彼は患者が「アルノルン」と言いかけて「アーノロン」と自ら言い直した現象に着目した。レーナーはこの反転を、ではなく喉頭の「言葉のためらい筋」に原因があると主張したが、当時の学派からはやや熱心すぎる見解として扱われた。
同時期、沿いの私設サロンでは、音楽批評家フランツ・グリューバーが同様の症状を「言い間違いではなく、未来に追いつかれる感覚」と表現した。この比喩が医学論文の脚注に採用され、症候群の名称が文学的に増幅されたとされる。
名辞の定着と帝国保健局の介入[編集]
、はアーノロン症候群を一時的な流行性吃音の亜型として扱い、鉄道職員・電信技師・舞台監督に限定した通報義務を設けた。これにより報告件数は前年の4倍に跳ね上がったが、実際には届出用紙の「異常なし」欄が小さすぎて、記入者が誤って診断名を書き込んだことが原因とみられている。
また、にはの医学校で「アーノロン反射」の講義が行われ、学生の62%が実習中に自分の姓を一度だけ誤読したという。しかしこの統計は、学生名簿の印刷ミスをそのまま症例として数えた疑いがある。
症状[編集]
アーノロン症候群の症状は、典型例では、固有名詞の順序逆転、短期記憶の過剰再配置、そして「今朝の夢を昨日の出来事として思い出す」感覚から成る。患者はしばしば時計を見る動作を繰り返し、単位ではなくで時間を数え始めるとされる。
一部の記録では、重症例でやの末尾2文字が入れ替わる「末尾転位」が生じるとされる。なお、のチューリッヒ症例報告では、患者が「リンツ」を「リンツェ」と発音し続けたことが診断の決め手になったが、当該患者は単にコーヒーが熱すぎて口を開きたくなかっただけという可能性がある[3]。
病因[編集]
神経学的仮説[編集]
神経学的には、アーノロン症候群はとの間にあるとされた「遅延同定回路」の過活動として説明されてきた。レーナー学派は、この回路が言葉を生成する前に三度検閲を行うため、結果として発話が遅れ、しかも語順が微妙にねじれるのだと論じた。
にはの研究班が、被験者37名に対しレモンの匂いを嗅がせながら地名を読ませる実験を行い、24名で症状が再現したと報告した。ただし、実験記録の余白には「被験者が空腹で不機嫌」とあり、因果関係はかなり曖昧である。
診断[編集]
診断には、標準化された「三語逆唱試験」と、間の沈黙後に自分の氏名を述べさせる方法が用いられた。両方で2回以上言い直しが生じれば陽性とされたが、実際には緊張の強い者ほど陽性となるため、学校やで過大診断が起きたとされる。
のジュネーヴ国際会議では、診断補助として古いタイプライターの音を聞かせる試験が提案された。提案者は「アーノロン症候群の患者は、機械の打鍵音で語順の崩れが顕著になる」と報告したが、会場で試したところ、ほぼ全員が集中を失ったため採択は見送られた。
治療[編集]
治療としては、、沈黙訓練、そして「名前を言う前に手袋を外す」という儀式的手順が推奨された。特に以降、パリの私立診療所では、患者に自分の名前を紙に書かせてから読み上げる方法が広まったが、書字では正常でも音読で崩れる者が多く、治療率は44%にとどまった。
また、と呼ばれる木製の簡易装置が普及した時期もある。これは机上に立てた幅18cmの板で、患者が自分の口元を見えなくすることにより発話を安定させるというものであったが、実際には相手の顔が見えず緊張が下がっただけだと考えられている。
社会的影響[編集]
中葉のやでは、アーノロン症候群を理由にアナウンサー試験で追加の読み上げ課題が設けられた。これにより、発音の正確さよりも「言い直したときに笑わない能力」が重視されるようになり、採用担当者の一部はこの制度を好意的に評価した。
一方で、患者団体とされるはにで結成され、症候群の「文学化」を批判した。彼らは「われわれは謎の詩人ではなく、ただ単語の順番を間違える市民である」と訴えたが、会報の表紙が妙に洒落ていたため、かえって芸術運動と誤解された。
批判と論争[編集]
アーノロン症候群には、初期から「実在性そのものが不安定である」との批判があった。とくにのでは、レーナー博士の原資料が火災で焼失したとされる一方、同じ文面の写しがの古書店とモスクワの個人蔵書から同時に見つかったことが問題になった。
また、治療法の多くが儀礼化していったため、としてよりも舞台演出に近いとする指摘もある。もっとも、支持者は「症候群の本質が言葉と時間のずれにある以上、演出性は欠点ではない」と反論しており、この論争は現在も決着していない[4]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Emil Reiner『Über die arnolonische Umstellung』Wiener Klinische Blätter, Vol. 14, No. 3, 1898, pp. 41-68.
- ^ Franz Gruber『Die Stimme, die zu spät kommt』出版社不詳, 1901.
- ^ 帝国保健局編『流行性言語障害報告集 第2輯』ウィーン帝国印刷局, 1904, pp. 7-19.
- ^ Margarete Horst『Drei Wiederholungen und ihre Ruhewirkung』Archiv für Sprachpflege, Vol. 8, No. 1, 1926, pp. 112-130.
- ^ Clara Novak『Grenzgebiete der Volkslautkunde』Brünner Jahrbuch für Kulturmedizin, Vol. 21, No. 4, 1972, pp. 201-247.
- ^ Jean-Paul Mercier『Les retours de nom propre dans le post-guerre』Revue Neurolinguistique, Vol. 5, No. 2, 1931, pp. 88-101.
- ^ Heinrich Vogel『Anleitung zur Diagnose der Verzögerungsbenennung』Münchner Medizinische Mitteilungen, Vol. 33, No. 7, 1956, pp. 309-332.
- ^ K. S. Adler『On the Arnolon Phenomenon and the Tea Cup』Journal of Comparative Clinical Oddities, Vol. 12, No. 2, 1963, pp. 14-29.
- ^ ロベルト・ハーン『アーノロン症候群の再検討』『東欧神経史研究』第9巻第1号, 1984, pp. 55-79.
- ^ 佐伯良造『言い直しの文化史』南山堂, 1992, pp. 144-161.
- ^ Marta L. Weiss『The Silent Board in Urban Clinics』Transactions of the Geneva Society, Vol. 18, No. 4, 2004, pp. 233-250.
外部リンク
- ウィーン臨床言語史アーカイブ
- アーノロン症候群資料館
- 帝国保健局デジタル年報
- ブルノ民俗音声学研究所
- 国際言語錯誤観測ネットワーク