サトレンコ
| 名称 | サトレンコ |
|---|---|
| 分野 | 手工芸、調律、民俗工学 |
| 起源 | 1927年頃、神奈川県横浜市周辺 |
| 提唱者 | 佐藤連三郎、マルグリット・J・ヘイルら |
| 主要施設 | 東京手技標準化研究所、横浜港文様試験室 |
| 代表的特徴 | 七拍単位の折返しと0.8ミリ刻みの音圧補正 |
| 国際普及 | 1958年のジュネーブ協定以降 |
| 現況 | 民間保存会と一部の工房で継承 |
サトレンコは、東アジアを中心に普及したとされる、反復的な文様生成と微細な音階補正を組み合わせた架空のである。もとは昭和初期の神奈川県で試験的に用いられたが、のちに東京都港区の小規模工房を経て国際的な規格名にまで発展したとされる[1]。
概要[編集]
サトレンコは、布・木・紙などの表面に連続文様を施しつつ、同時に小型の打音具や弦具の音程を微調整するための技法として説明されることが多い。今日ではの一種として扱われることもあるが、成立当初は関連の荷崩れ防止と、倉庫内の警報用信号の統一を目的としていたとされる[2]。
名称の由来については、創始者のの姓に、当時横浜の外国人居留地で流通していた工房名接尾辞「-enko」を結びつけたものという説が有力である。ただし、1934年に作成された覚書では「さとれんこ」は単に作業手順の暗号名であったとも記されており、起源はなお揺れている[要出典]。
歴史[編集]
成立と初期の試作[編集]
サトレンコの原型は、に神奈川県の港湾倉庫で行われた荷印標準化の実験に求められる。佐藤連三郎は、同じ荷物が異なる監督官のもとで別々の紋様を付されることに不満を抱き、反復図形を七拍ごとにずらす方式を考案したとされる。これにより、遠目には同一に見えながら、近接すると識別可能な「二重登録文様」が生まれた。
同時期、に所属していた調律師のマルグリット・J・ヘイルが、文様の折返し間隔を弦の振動数に応用できると指摘したため、サトレンコは手工芸から半ば音響技術へと拡張した。倉庫の注意喚起に用いる木鈴の音が、荷役作業中に一定の周期で鳴るよう調整されたことが、のちの「音階補正」の起点であるとされる[3]。
標準化と拡散[編集]
には東京市内の三工房が共同で「サトレンコ式折返し比率表」を作成し、文様の角度、拍数、打音の余韻を統一した。これがに提出され、翌年には簡易版が講習会テキストとして採用された。講習では受講者の約18%が第1段階の折返しで布地を破損したとされ、当時の記録には「初心者は必ず綿布から始めるべし」との注意書きが残る[4]。
戦後は占領下の物資不足により、サトレンコは高価な顔料を使わない「灰墨型」と、金属音具を使わない「紙響型」に分岐した。特にの横浜再建期には、港湾事務所の掲示板装飾に採用されたことで一般市民に知られるようになり、以後、商店街の看板縁取りや学校の記念旗にも転用された。
国際化と衰退[編集]
1958年、で開かれた民俗工学小委員会において、サトレンコは「視認性を保ったまま遠隔識別を可能にする複合技法」として紹介された。ここで提示された規格番号 SRK-7 は、後年になって各国の工房で独自解釈され、英国式では拍子が六拍、フランス式では八拍に改変されたため、実際には一枚として同じものが存在しないとも言われる。
以降、機械印刷の普及とともにサトレンコは急速に衰退したが、逆に「手でしか再現できない誤差」が価値視され、東京都台東区や神奈川県の保存会が復興運動を始めた。なお、1982年に公開された記録映画『港の七拍子』は観客動員3,400人を記録したとされるが、同年の上映館数と整合しないため、数字の信憑性には疑義がある。
技法[編集]
サトレンコの基本は、対象物に対して単位で折返しを行い、各折返しの終端で0.8ミリだけ位置を戻すことである。この微小な戻しが、完成後に「視線を滑らせる」とされる独特の効果を生み、熟練者ほど文様の中心がわずかにずれて見える。
また、打音具を併用する場合は、低音側を基準にして2.5ヘルツずつ補正するのが慣例である。もっとも、の1986年報告では、実際の作業者の半数以上が数値を暗記せず、耳と勘で合わせていたとされ、理論と現場の乖離が大きかったことが指摘されている[5]。
社会的影響[編集]
サトレンコは、単なる装飾技法にとどまらず、共同作業の秩序を可視化する仕組みとして理解された。とりわけでは、各店舗ののれんや看板をサトレンコ様式で統一することで、閉店時間の共有や防犯連絡を円滑にしたという事例がある。
一方で、文様の意味が地域ごとに変化したため、同じ図柄でも「祝祭」「在庫過多」「来客歓迎」の三義が併存するなど、解釈の混乱も生じた。1991年には名古屋市の展示会で、ある帯状文様が「工場安全祈願」と誤って紹介され、実際には冷蔵倉庫の温度低下警告だったことが判明し、小さな騒ぎになった。
批判と論争[編集]
サトレンコには、成立史の多くが後年の回想録に依存しているという批判がある。とくに佐藤連三郎本人が残したとされるノートの筆跡が、1940年代以降に流行した活字風筆記に近いことから、関係者のあいだで「記録が先、技法が後だったのではないか」との疑念が繰り返し示されてきた。
また、の大阪講習会では、サトレンコの正統流派を主張する三団体が互いに「七拍派」「五拍補正派」「無拍自然派」に分裂し、会場の掲示板が技法論争の貼り紙で埋まった。最終的にの仲裁で「いずれも地域的変種として扱う」とされたが、この決定に反発して、翌年から独自に「逆サトレンコ」を名乗る集団が現れた[6]。
現代の継承[編集]
現代では、サトレンコは学校教育における総合学習の題材や、地域祭礼の装飾講座として細々と受け継がれている。特にでは、毎年11月に「復元実習会」が開かれ、参加者が和紙、竹ひご、真鍮板を用いて簡易版の文様具を作成する。
2021年には、オンライン上で「デジタル・サトレンコ」と称する画像生成用のパターン集が公開され、若年層の間で一時的な流行となった。もっとも、生成画像の約12%が本来の七拍構造を満たしていないとされ、保存会は「便利だが、あれはもはやサトレンコではない」とコメントしている。
脚注[編集]
脚注
- ^ 佐藤連三郎『港湾文様と七拍補正』横浜工芸出版, 1938年.
- ^ Margaret J. Hale, “On the Resonant Margins of Pattern Work,” Journal of Applied Folk Engineering, Vol. 12, No. 3, 1959, pp. 41-68.
- ^ 渡辺精一郎『サトレンコ技法概説』東京手技研究会, 1941年.
- ^ Claude Evrard, “SRK-7 and the Problem of Portable Ornamentation,” Revue de Mécanique Culturelle, Vol. 8, No. 1, 1960, pp. 5-19.
- ^ 日本工芸調律学会編『民芸と音階補正の実務』日本工芸調律学会叢書, 1986年.
- ^ 大沢京子『戦後港湾装飾の再編成』神奈川地方史研究, 第14巻第2号, 1972年, pp. 117-146.
- ^ Henry T. Sloane, “The Seven-Beat Fold and Its Administrative Uses,” Proceedings of the Geneva Subcommittee on Folkloric Standards, Vol. 4, 1958, pp. 203-221.
- ^ 田島未央『紙響型サトレンコの成立』民俗工学評論, 第9巻第4号, 1994年, pp. 88-103.
- ^ 工藤いずみ『港の七拍子』東海記録映画研究所, 1982年.
- ^ マルグリット・J・ヘイル『なぜ布は鳴るのか』港区文化翻訳室, 1961年.
外部リンク
- 神奈川民俗工芸アーカイブ
- 東京手技標準化研究所デジタル館
- 横浜港文様保存会
- サトレンコ復元実習ネット
- 民芸音響資料ポータル