ツインケツドリル 智恵美
| 氏名 | ツインケツドリル 智恵美 |
|---|---|
| ふりがな | ついんけつどりる ちえみ |
| 生年月日 | 1948年4月17日 |
| 出生地 | 大阪府堺市 |
| 没年月日 | 2011年9月3日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 民俗工学者、実演発明家、講演家 |
| 活動期間 | 1971年 - 2008年 |
| 主な業績 | 二連式振動穿孔具「ツインケツドリル」の開発、生活技術民俗学の普及 |
| 受賞歴 | 全国実演技術奨励賞、関西生活機械文化賞 |
ツインケツドリル 智恵美(ついんけつどりる ちえみ、 - 2011年)は、日本の民俗工学者、実演発明家。二連式振動穿孔具「ツインケツドリル」の考案者として広く知られる[1]。
概要[編集]
ツインケツドリル 智恵美は、昭和後期から平成初期にかけて活動した日本の民俗工学者である。日用品の運用における身体技法を研究し、とりわけ二点支持による穿孔安定化の理論で知られる[1]。
彼女が提唱した「ツインケツドリル」は、左右の荷重を独立して制御することで、薄板・木箱・祭具台などへの連続穿孔を可能にするとされた。特に大阪府内の町工場や自治体の防災倉庫で採用が進んだとされるが、正式な行政採用記録には一部欠落がある[2]。
また、智恵美は堺市の実演講座や京都大学生活技術研究会への出講を通じて、工具の設計思想を「笑いと実用の両立」として語った人物でもある。なお、晩年には「工具は握るのではなく、腰で説得するものである」と発言したと伝えられている[3]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
、大阪府堺市の金物問屋街に近い木造長屋で生まれる。父・ツインケツドリル 一郎は鋳物研磨業、母・佐知子は和裁教室を営み、智恵美は幼少期から金属音と布の擦れる音の両方に囲まれて育った。
小学校時代には、給食のアルミ食器を机上で並べ替えて「二点固定の方が音が澄む」と記録していたとされる。これが後年の機械姿勢理論の萌芽になったといわれるが、本人は「ただの癖である」と述べている[4]。
青年期[編集]
に相当の夜間課程へ進み、旋盤実習と民俗芸能史を並行して学んだ。卒業後はの嘱託補助として働き、工具展示会の受付、機材搬送、来場者の身体計測などを担当した。
この時期、彼女は神戸市の船具店で偶然見た二連ハンドル式のロープ巻取機に着想を得たとされる。後年の証言では、巻取機そのものよりも「操作する側の臀部の安定感」に注目したことが、ツインケツドリル発想の起点だったという[要出典]。
活動期[編集]
1974年、大阪・で開かれた「生活工芸と身体文化」展において、試作機第1号を公開する。装置は木製座面、二本の短軸、左右独立の踏力板からなり、座位のまま木板を穿つという奇抜なものであった。
には、系の実地審査において「極めて理解しがたいが、使用後は姿勢が整う」と評価され、限定頒布が始まる。以後、奈良県の修学旅行土産加工所、の梅樽補修業者などで、年間約3,200台が出回ったとされる[5]。
1985年、智恵美は年次大会で「穿孔行為における恥部の倫理」と題する講演を行い、工具の命名にあえて下品さを含めることで、使用者の緊張を和らげる効果があると主張した。この講演は会場の半数を困惑させ、残り半数を熱狂させたという。
人物[編集]
智恵美は、温厚で寡黙な人物であったが、実演台に立つと一転して早口になり、と機械用語が混じった独特の講義を行ったという。助手に対しては厳しかった一方、失敗した試作機を「これはまだ腰が理解していない」と擁護した逸話が残る。
また、極端なまでに会場の段差を嫌ったことで知られる。彼女は「1.8センチの傾きが人間関係を壊す」と語り、講演会場では必ず水平器で机を確認してから座ったとされる。なお、京都での講演では、机の片脚に紙を七枚重ねて調整し、聴衆から拍手を受けた。
食生活は質素で、朝は味噌汁と硬めの白飯、昼は工具油の臭いを嫌って鯖寿司を避けた。だが祭礼期には甘い饅頭を大量に食べ、「糖分は発想の芯を折れにくくする」と述べていたという。
業績・作品[編集]
代表作は、二連式振動穿孔具「ツインケツドリル」である。これは左右の座圧を個別に検知し、穿孔時の反動を骨盤側で吸収する仕組みを持つと説明される。標準型は製、家庭向け軽量型は合金製で、いずれも座面中央に小型の目盛り盤が付属した。
理論面では、「身体固定先行説」を唱えた点が重要である。従来の工具学が回転数や刃先材質を主に論じたのに対し、智恵美は「使用者の尻が決まれば9割が決まる」と主張した。これは当時の研究会では異端視されたが、1990年代に入ると作業台設計論へ影響を与えたとされる[7]。
作品としては、実演記録『尻で読む工具史』、講義録『二点支持の民俗学』、私家版の設計図集『双座穿孔覚書』がある。とくに『双座穿孔覚書』第3版は、表紙に誤って富士山の断面図が印刷されていたため、コレクターの間で高値で取引された。
なお、彼女は特許取得を目指したが、申請書類の装置名欄に「ツインケツドリル(座るほう)」と書いたため、審査官が3度差し戻したという。最終的に意匠出願は一部のみ通過したが、実用新案としては未完成のまま扱われた。
後世の評価[編集]
死後、智恵美の評価は急速に二極化した。工学史の文脈では「身体技法を機械設計へ導入した先駆者」と位置づけられる一方、一般向けには「名前が強すぎる発明家」として記憶されることが多い。
2014年には堺市内の小規模資料館で回顧展が開かれ、来場者数は4日間で2,417人に達した。来場者アンケートでは「理解できた」が38.6%、「よくわからないが感動した」が41.2%、「やはり危ない」が12.4%であったとされる[8]。
一方で、東京大学の一部研究者からは、彼女の理論は「工具ではなく舞台装置として読むべきだ」との指摘があり、民俗芸能、パフォーマンス研究、ジェンダー論の交差点で再評価が進んだ。近年では、関西の町工場文化を象徴する人物として、学校教材にも断片的に掲載されている。
系譜・家族[編集]
智恵美の家系は、江戸時代末期にへ移住した鍛冶職の流れをくむとされる。父方は鋳造、母方は和裁と祭礼太鼓の補修に携わり、工具と布と音響が混在する家庭環境が彼女の感性を形づくった。
夫はで、大阪市の印刷会社に勤めていた。二人の間に子はなく、晩年は姪のが工房の整理を手伝った。みさえは後に「叔母は家族写真を撮るときも、全員の椅子の高さを測っていた」と回想している。
また、親族の一部はツインケツドリルの名を嫌い、法事で口にすることを避けたとされる。もっとも、堺市の地元紙によれば、曾孫世代にあたる者の中には、現在も彼女の試作座面を花台として使う家があるという。
批判と論争[編集]
ツインケツドリルに対する最大の批判は、安全性よりも羞恥心の問題であった。教育現場や公共施設では「名称が説明を妨げる」として採用を断られることがあり、文部省系の検討会では、議事録の半分が名称変更案に費やされた。
また、彼女の実演には誇張が多いとの指摘もある。たとえばの名古屋市公演で「一分間に八十孔」と発表したが、再現実験では担当技師が三孔目で姿勢を崩したため、記録の信頼性が疑問視された[9]。さらに、晩年のインタビューで「ツインケツドリルは水中でも使える」と述べたが、実際に試した記録は確認されていない。
それでも、批判者の多くが彼女の語りの巧みさには抗しがたかったという。ある保守的な工具評論家は「発明としては理解不能だが、説明されると自分が未熟に思えてくる」と述べたとされる。
脚注[編集]
脚注
- ^ 佐伯光雄『双座穿孔装置の民俗的変遷』関西生活機械出版, 1992, pp. 41-68.
- ^ Margaret L. Thornton, “Embodied Tools and the Politics of Sitting,” Journal of Applied Folkloric Engineering, Vol. 12, No. 3, 1987, pp. 201-229.
- ^ 堀江まさる『尻座制御論序説』大阪身体技法研究会, 1980, pp. 7-19.
- ^ 中村梨江『ツインケツドリル智恵美の実演史』堺市文化資料叢書, 2004, pp. 88-117.
- ^ Kenji Watanabe, “The Twin-Seat Drill and Postwar Workshop Culture,” Osaka Review of Material Culture, Vol. 5, No. 1, 1995, pp. 12-39.
- ^ 藤堂あきら『工具と羞恥の近代日本』新潮社, 2011, pp. 153-181.
- ^ 川端みちる『双尻庵日録』港の人, 1998, pp. 22-54.
- ^ Harold P. Ingram, “A Surprisingly Stable Pelvic Mechanism,” Proceedings of the Kobe Symposium on Human-Tool Interfaces, Vol. 8, No. 2, 2001, pp. 77-96.
- ^ 田辺春男『生活機械の詩学』岩波書店, 2008, pp. 214-246.
- ^ M. A. Thornton and S. K. Bell, “On the Misprint of Drum-Shaped Seats,” Asian Journal of Impossible Manufacturing, Vol. 3, No. 4, 2009, pp. 1-23.
外部リンク
- 堺市双座資料室
- 関西生活機械アーカイブ
- 日本民具学会デジタル年報
- 双尻庵記念ウェブ館
- 大阪実演発明年鑑