レクロフローラ=スクローラ型製麺機
| 名称 | レクロフローラ=スクローラ型製麺機 |
|---|---|
| 別名 | スクローラ式発酵圧延機 |
| 分類 | 連続押出式製麺機 |
| 用途 | 麺帯の成形、発酵補助、熟成制御 |
| 発明年 | 1928年頃 |
| 発明地 | 東京府日本橋区および大阪市西区 |
| 主要関係者 | 加賀見栄太郎、リラ・S・ハーウッド、柳瀬清次 |
| 特徴 | 螺旋圧送胴と菌床温調筒を併用 |
| 現存機 | 国内外に推定17台 |
| 保存先 | 麺機工学資料館ほか |
レクロフローラ=スクローラ型製麺機(レクロフローラ=スクローラがたせいめんき)は、小麦粉に微量の発酵胞子を混入させながら帯状に押し出すことで、極めて均質な麺帯を生成するとされるである。主に大正末期から昭和初期にかけて、東京府の製粉業者と大阪市の機械設計者の共同研究から生まれたと伝えられている[1]。
概要[編集]
レクロフローラ=スクローラ型製麺機は、の生産において、麺帯の厚みと発酵の進行を同時に制御するために考案された装置である。一般にはラーメン用の機械として語られることが多いが、初期の設計意図はむしろうどんとの中間に位置する“揺らぐ麺質”の再現にあったとされる[2]。
名称の「レクロフローラ」は、当時流行した微生物学の用語と花卉栽培の比喩を合成した業界隠語であり、「スクローラ」は螺旋送り機構を指すという説が有力である。ただし、の講演録では、設計者の柳瀬清次が「書物を巻くように生地を巻き込む機械」と説明しており、語源についてはなお揺れがある[3]。
成立の背景[編集]
この機械が生まれた背景には、関東大震災後の都市型食品工場の再編と、製麺工程の標準化を求める農商務省系の圧力があったとされる。東京府内の製粉業者は、保存性を高めつつ食感を落とさない麺の量産を望んでいたが、当時のローラー式装置では麺帯の表面乾燥が早く、歩留まりが平均で8.7%低下していたという記録が残る[4]。
一方で大阪市の金属加工業者は、螺旋送り装置の応用先を模索しており、の食堂街で試作された「半発酵麺」が偶然支持を集めたことから、両者の共同開発が始まったとされる。特に秋に行われた試験では、麺帯を3回転半させるだけで内部温度が1.4度上昇し、熟成時間を従来比で22分短縮できたことが話題になった[5]。
技術的特徴[編集]
螺旋圧送胴[編集]
本機の中核は、直径41センチの螺旋圧送胴である。生地を“押す”のではなく“巻き取る”ことで、麺帯内部の気泡を均一化する仕組みとされる。設計図には、3度の角度誤差が味の決定要因になると赤字で書き込まれていたという逸話がある[6]。
菌床温調筒[編集]
もう一つの特徴が菌床温調筒である。これは麺帯の保温に見せかけて、発酵補助菌の活動を一定範囲に抑える目的で用いられた。実際には温度を保つための筒でしかないという指摘もあるが、試験場の報告書では「麺に呼吸を与える」と詩的に記されている。
可変打出し口[編集]
打出し口は0.6ミリから4.2ミリまで可変で、昼食向けの細麺から、学校給食用の太麺まで一台で対応可能とされた。もっとも、実際には調整に熟練が必要で、見習い工員が誤って7.8ミリに設定し、うどんより太い“麺柱”が1日で240食分生産された事件がある[7]。
開発史[編集]
試作第一号[編集]
最初の試作機は5月、の倉庫で組み立てられた。外装にを多用したため重量が1.9トンに達し、床がたわんで移設不能になったが、これが逆に“安定性の証拠”として好意的に受け止められたという[8]。
帝都試験運用[編集]
東京市営の共同炊事場では、1日あたり約3,200食の麺類生産に投入された。試験初日に、機械から排出された麺が渦巻状に自立したため、配膳員が「台風麺」と呼んで騒ぎになったが、記録係はこれを“製麺安定化の前兆”と注記している。
社会的影響[編集]
レクロフローラ=スクローラ型製麺機の登場により、都市部の麺類供給は大きく変化したとされる。とりわけ昭和初期のやでは、昼休みの短時間で一定品質の麺を出せることが評価され、導入数は時点で全国62施設に達したと見積もられている[9]。
また、機械の運転音が独特であったため、近隣住民が“麺を読む鐘”と呼んだという逸話が残る。さらに、製麺作業の半自動化によって熟練職人の一部が配置転換を余儀なくされ、では「麺質の標準化は文化の平板化を招く」とする声明が出された。ただし、実際の反対運動は2週間ほどで収束したとされる。
批判と論争[編集]
本機には、発酵補助をうたう名称と実際の機能の差異をめぐる批判があった。特にの朝日新聞地方版では、ある識者が「レクロフローラとは、工業化された麺に付された文学的化粧にすぎない」と評している[10]。
一方で、保存会系の研究者は、当機の真価は製麺性能よりも“麺を工業製品でありながら手仕事に見せる欺瞞性”にあると擁護した。なお、1940年代の軍需転用計画では、乾麺生産装置としての応用が検討されたが、試験中に麺帯が紙テープ状になりすぎたため中止されたという。
現存機と保存[編集]
現存するレクロフローラ=スクローラ型製麺機は、国内外を合わせて17台前後とされる。そのうち3台は東京都内の民間資料室に、2台は大阪府の旧工場跡に、1台はスイスの食品工学博物館に所蔵されているが、真贋の確認は完全には終わっていない[11]。
特に有名なのは、千葉県松戸市の保存機である。ここでは月1回の試運転が行われ、機械から吐き出される麺を見学者が“巻き戻しながら食べる”形式の公開実演が続いている。保存担当者によれば、最も状態の良い個体は未使用ではなく、むしろ“毎年少量の試運転を受けた個体”であるという。
脚注[編集]
脚注
- ^ 加賀見栄太郎『螺旋圧延と麺帯均質化の研究』東都工学出版、1930年、pp. 41-78.
- ^ 柳瀬清次「スクローラ式生地送り装置の試作」『日本機械学会誌』Vol. 33, No. 4, 1929年, pp. 112-119.
- ^ Margaret A. Thornton, "Fermented Dough Conveyance in Urban Japan," Journal of Applied Food Mechanics, Vol. 12, No. 2, 1934, pp. 55-83.
- ^ 『東京市共同炊事場 製麺機導入報告書』東京市衛生局、1932年、pp. 7-19.
- ^ リラ・S・ハーウッド「菌床温調筒の設計思想」『東西食品機械評論』第8巻第1号、1931年、pp. 3-27.
- ^ 渡辺精一郎『帝都麺類工業史』日本食糧機械協会、1938年、pp. 201-245.
- ^ A. K. Bell, "The Scrolla Principle and Its Culinary Misapplications," Proceedings of the Royal Institute of Noodle Studies, Vol. 5, 1935, pp. 14-39.
- ^ 『港湾倉庫における塩味付与麺の実験』神戸商工会議所資料、1933年、pp. 88-91.
- ^ 小松原初子『学校給食と連続押出式製麺機』青林館、1941年、pp. 66-104.
- ^ 朝比奈宗一「レクロフローラ論争の周辺」『食品機械と社会』第2巻第3号、1931年、pp. 9-18.
外部リンク
- 麺機工学資料館
- 帝都食文化アーカイブ
- 日本スクローラ研究会
- 東西食品機械評論電子版
- 港味保存協会