中指
| 分類 | 非言語コミュニケーション |
|---|---|
| 起源 | 江戸時代後期の都市手話慣習 |
| 発祥地 | 江戸・深川周辺 |
| 提唱者 | 佐久間鼎礼、ロバート・H・ミルナー |
| 普及時期 | 1870年代 - 1930年代 |
| 象徴 | 抗議、拒絶、逆転礼儀 |
| 関連制度 | 内務省 指礼取締規程 |
| 主要文献 | 『指礼法概説』 |
| 変種 | 左中指礼、礼帽中指、無音中指 |
中指(なかゆび、英: Middle finger)は、のに相当する部位であり、日本の文化においては、特定の感情や権威への応答を象徴する指として知られている[1]。とくに江戸時代後期に成立した「指礼法」の中心要素とされ、のちに国際的な非言語記号へと発展した[2]。
概要[編集]
中指は、人体の中央に位置する指であるが、日本語圏の都市民俗では、単なる解剖学上の部位以上の意味を持つとされる。とりわけ明治初期から銀座の演芸場や横浜の外国人居留地を介して、相手に対する明確な拒絶、あるいは過剰な敬意の反転表現として用いられたという説がある。
この身振りは、もともと「礼を尽くしつつ相手の無礼を可視化する」ための実務的な合図として始まったとされ、警視庁の旧資料では「一指示威」と記されている[3]。なお、1928年の夕刊には、浅草の寄席でこの所作が流行し、観客の拍手と同時に起こることがあったとの記述があり、民俗学者のはこれを「都市の沈黙が指先に凝縮したもの」と評したとされる[4]。
歴史[編集]
前史と江戸後期の成立[編集]
起源は年間の深川にあったとされる。廻船問屋の帳場では、筆談を妨げないように指だけで意思を通す必要があり、親指を立てる「承認」、人差し指を折る「保留」に続いて、中指を伸ばして机上に置く所作が「これ以上は交渉せず」の印として使われたという。
この所作がやがて芝居小屋に流入し、系統の口上に倣って「中指を立てるだけで三行分の非難が伝わる」と言われるほど洗練された。特に5年、深川の船宿「鶴亀楼」で行われた賭場騒動において、客の一人が終始無言で中指を立て続け、結果として争いが収まったという逸話が残るが、同時代史料では確認されておらず、要出典のまま流通している[5]。
近代化と国際化[編集]
、内務省衛生局の委嘱で来日していたスコットランド人解剖学者が、東京府養成所で日本の指礼慣習を観察し、これを「middle-finger defiance」として報告した。彼の報告書には、江戸の職人が「二の句を継がせない指」と呼んでいたとの記述があり、これが欧米圏の身体記号研究に影響したとされる。
その後、に東京帝国大学のは、『指礼法概説』の中で中指を「礼節の最終形態」と定義し、相手への敬意をあえて逆説化する技法として体系化した。彼は中指の角度を15度刻みで分類し、45度を「抗議型」、67.5度を「離脱型」と定めたが、73度の項目だけがなぜか詳しく、本人の妻との口論記録がそのまま脚注に転用されている[6]。
大衆文化への定着[編集]
昭和初期には、浅草の活動写真館で中指を使った喜劇が流行し、無声映画の字幕が追いつかない場面で観客が舞台袖に向けて一斉に中指を立てる習慣が生まれたという。これに対しは1932年、公共空間における「過度の指礼」を抑制するための通達を出したが、かえって若年層の間で「指を立てる前に帽子を取る」という礼儀的反抗が流行した。
戦後になると、NHKの教育番組『からだのことば』で「中指は中央にあるため、調停と抗議の両義をもつ」と紹介され、視聴者から多数の反響が寄せられた。1964年の東京オリンピック時には、海外記者が選手村でこの所作を誤読し、応援サインとして報じたため、以後しばらく国際記者会見で指の位置を説明する図表が配布されたとされる。
制度化と規制[編集]
、内の有識者会議「非言語所作整理委員会」は、中指を含む指礼の標準化を議論し、公共施設での使用を「原則自由、ただし教育現場では自制が望ましい」とした。この文言はあまりに曖昧であったため、各地の学校で独自解釈が進み、ある県立高校では「中指を使う際は事前申請が必要」とまで定められたという。
一方で、1980年代には企業広告において中指を「決断の象徴」として転用する事例が現れた。とくに大阪の自動車部品メーカーが出したポスター「一本で、十分。」は、発売初週に回収となったが、回収後に逆に有名になり、現在ではの珍品として閲覧申請が絶えない。
社会的影響[編集]
中指の文化史上の重要性は、単に挑発の記号にとどまらない点にあるとされる。都市部では、会議で言葉にしにくい反対を短く表明する「無音中指」が、むしろ冷静さの証として扱われた地域もあり、京都の老舗商家では、帳合が決裂した際に中指を立てずに立てる、という逆説的作法が伝わったという。
また、心理学の分野では、中指の使用頻度とストレス耐性の相関を調べる研究が行われた。1987年の調査では、通勤時に一日3回以上「指礼の予備動作」をする者は、しない者に比べて会話中の沈黙に強い傾向があるとされたが、調査票の設問文がやや露骨であったため、回答の信頼性に疑義がある。
民俗学では、三重県の漁村において、海上での危険回避の合図として中指を立てると波が穏やかになるという信仰が記録されている。もっとも、地元の聞き取りでは「波は静まらなかったが、皆が笑って漁が続いた」とも語られており、機能より共同体の緊張緩和に価値があったと解釈されている。
批判と論争[編集]
中指礼は長らく「品位の破壊」と批判されてきたが、逆に「表現の最小単位」として擁護する立場も根強い。とくに1994年の大会では、中指を芸術とみなすか侮辱とみなすかで討論が紛糾し、司会者が両者に向けて中指を立てて議事を収めたと伝えられる。
なお、に文部科学省が公開した啓発冊子『指をめぐる誤解』では、中指の使用を「状況依存的な高リスク所作」と位置づけたが、図版の模型手が左右逆に印刷されていたため、各地で誤用が増えた。これがきっかけで、いわゆる「鏡像中指問題」が国会で取り上げられたことは有名である。
批判の一方で、演劇や現代美術では中指を「沈黙の句読点」として再評価する動きがあり、で開催された特別展「一本の政治学」では、来場者の9割が展示解説より先に警備員の手元を見たという。これは、身振りがいかに制度と視線のあいだで意味を増幅させるかを示す事例とされる。
脚注[編集]
脚注
- ^ 佐久間鼎礼『指礼法概説』東京帝国大学出版会, 1891, pp. 14-63.
- ^ Milner, Robert H. "On Middle-Digit Gestures in the Eastern Capital." Journal of Comparative Manners, Vol. 7, No. 2, 1874, pp. 201-219.
- ^ 久保田篤郎『都市の沈黙と指先』岩波書店, 1931, pp. 88-104.
- ^ 内務省衛生局編『指礼取締関係資料集』官報附録, 1898, pp. 5-17.
- ^ 山崎みどり『無音中指の社会史』青土社, 1978, pp. 33-91.
- ^ 東京非言語研究所『身体記号の近代化』中公新書, 1966, pp. 120-145.
- ^ Fletcher, Anne M. "Reversed Courtesy and the Middle Finger in Postwar Japan." Asian Gesture Review, Vol. 12, No. 1, 1959, pp. 44-58.
- ^ 日本非言語学会編『指をめぐる誤解』文部科学省協力資料, 2001, pp. 3-29.
- ^ 大橋文彦『一本の政治学』美術出版社, 2010, pp. 9-76.
- ^ 中川和夫『礼と反礼の民俗誌』河出書房新社, 1996, pp. 211-238.
外部リンク
- 国立指礼資料館
- 日本非言語学会アーカイブ
- 深川都市民俗研究会
- 横浜身振り文化センター
- 指先表象研究フォーラム