嘘ホームラン手術詐欺
| 名称 | 嘘ホームラン手術詐欺 |
|---|---|
| 別名 | 飛距離増補術、HR延命手術 |
| 発生時期 | 1986年頃 - 1992年頃 |
| 発生地 | 東京都墨田区、神奈川県横浜市、大阪市浪速区 |
| 主な関係者 | 高瀬丈二、三好玲子、北村航一 |
| 分類 | スポーツ興行詐欺、偽医療、球団向け営業 |
| 被害 | 延べ147件、推計被害額約2億4,800万円 |
| 特徴 | 打球の軌道を手術で矯正できると宣伝した |
| 後続影響 | 球界の医療契約審査と弁護士同席が一般化 |
嘘ホームラン手術詐欺(うそホームランしゅじゅつさぎ)は、野球の試合におけるホームランの飛距離を外科的に「増補」すると称して行われた、昭和末期の興行兼詐欺行為である。主に東京都・大阪府の都市部で流行したとされ、のちにとの境界事例として知られるようになった[1]。
概要[編集]
嘘ホームラン手術詐欺とは、打者のやを手術で調整すれば、ホームランが「あと7.8メートル伸びる」と喧伝して契約金を集めた一連の詐欺である。宣伝では、、およびを統合した最新技術とされたが、実際には新宿区の貸会議室で行う簡易説明と、古い写真の使い回しが中心であった[2]。
この手口は、プロ野球選手の長打力低下に悩む球団関係者の心理を巧みに突いた点で異様に巧妙であった。とりわけ1988年の春季キャンプ以後、複数球団が「一発で借金を返せる」と誤認し、東海道新幹線の車内で極秘契約を結んだという証言が残る。なお、当時の資料には「術後三日でフェンス手前の打球が右中間スタンドへ達した」と記されたものがあるが、計測環境がであったため、要出典とされている[3]。
歴史[編集]
起源[編集]
起源は1985年、墨田区のスポーツ用品問屋を名乗る高瀬丈二が、打球分析セミナーの余興として「人間の肩甲骨はバットの角度を記憶する」と語ったことに求められるとされる。高瀬はもともと周辺で健康器具を扱っていた人物で、そこにという元看護助手が加わり、診察票の様式を球団向けに改造した。彼らは千葉県の民宿で「打者機能再配置術」なる試作品を演示し、参加者の一人がたまたま柵越えを放ったことから、噂が一気に拡散した。
一部では、これがアメリカ合衆国のスポーツ整形研究を翻案したものだという説もあるが、実際には昭和の健康ブームと野球中継の視聴率競争が生んだ独自の商法であるとみられている。高瀬はのちに「ホームランは手術でなく思想である」と述べたとされるが、同席した記者が聞き間違えた可能性も指摘されている。
拡大[編集]
からにかけて、詐欺団は横浜スタジアム周辺のホテルを拠点に、球団職員と用具係を対象とした「飛距離改善講座」を月4回の頻度で開催した。参加費は1人あたり18万円、成功報酬は打球1本につき3万5千円とされ、最盛期には1シーズンで延べ53名が申し込んだという。彼らは術式を「第1法:肩関節の祝詞化」「第2法:脊柱の再打順化」などと称し、資料の隅に富士山の断面図を印刷して権威づけを行った。
特筆すべきは、大阪市の某球団関係者向けに行われた夜間説明会で、助手が「これで逆風でもホームランになる」と説明しながら扇風機を2台しか置かなかった点である。この出来事はのちに風評被害を生み、関西のスポーツ用品店で「手術済みバット」と書かれた中古品が出回る原因になったとされる[4]。
摘発[編集]
1991年、被害者の一人である二軍打撃コーチ北村航一が、術後に選手の打球速度が上がるどころかバットのグリップテープまで消失したことを不審に思い、警視庁に相談したことで事件が表面化した。調査では、手術と称する行為の多くが局所麻酔ではなく氷嚢と湿布で済まされていたこと、また「完全成功率97.4%」という数字が、実際にはセミナー参加者のアンケート回収率を指していたことが判明した。
摘発後、高瀬らは違反やなどで追及されたが、弁護側は「スポーツの比喩表現であり、手術とは比喩上の意味である」と主張した。この主張は一部の当事者には通じたが、請求書に「腹部切開オプション」「延長フェンス処置」などの記載が残っていたため、裁判ではむしろ不利に働いたとされる。
手口[編集]
手口の核心は、ホームランを「身体内部の配線不良」とみなす独特の発想にあった。詐欺団は、選手の現状を示すという名目で風の印刷物を提示し、ボールがスタンドに届かない理由を「腸腰筋の右回転不足」や「左耳後部の打席恐怖」と説明したのである。
また、契約の場では必ず神奈川県産のミネラルウォーターと、フェンスを模した白い模型が置かれた。模型は実際にはを重ねたものであったが、照明を落とすと「球場の縮尺模型」に見えるよう工夫されていた。なお、詐欺団は成功例として、少年野球大会で外野フライが2本ホームランになった映像を何度も上映したが、後日それがであることが判明した[5]。
社会的影響[編集]
この事件以後、球団の補強方針は大きく変化した。すなわち、選手獲得の際には打率や守備力に加え、術後説明書の版数が確認されるようになり、の一部会議では「飛距離改善保証は契約外とする」条項が標準化された。さらに、やに対する広告規制が強化され、野球専門誌でも「驚異の一発回復」といった見出しが減少したとされる。
一方で、詐欺団の語彙は現在もネットスラングとして残っており、試合終盤に強引な長打狙いをする采配を「ホームラン手術」と呼ぶ用法がある。特にの草野球界隈では、ベンチが「今日は局所麻酔の切れが早い」と言うと、守備が崩れる前触れとして通じるという。これらの派生用法は、事件の笑い話化と同時に、偽医療広告への警戒心を広めたとも評価されている。
人物[編集]
高瀬丈二は、表向きは、実態は営業文書の語尾を変えるだけで医療機関に見せかける技術に長けた人物であった。三好玲子は、打者の心理を読む能力に優れ、選手が自分の打球に疑念を抱いた瞬間を逃さず契約へ誘導したとされる。北村航一は、最初の告発者として知られ、のちに栃木県の高校野球部で「派手な助っ人話には必ず条件を聞け」と教えたという。
なお、事件には東京の某有名病院の元事務長を名乗る男も関与したと報じられたが、実在の病院との関係は否定されている。もっとも、当人が使用していた名刺には「打球外来準備室」と印刷されており、これが関係者の信用を決定的に損ねたとみられる。
批判と論争[編集]
批判の中心は、医療行為を装いながら野球の勝敗を商品化した点にある。とくに、が「夢の飛距離延長」として好意的に取り上げた初期報道は、被害の拡大に寄与したとして後年検証の対象となった。また、当時の解説者の中には「打者の腰は半分手術で決まる」と発言した者もおり、これが社内研修の反面教材にされたという。
他方で、一部の文化研究者はこの事件を「以後の成功主義が、スポーツにまで侵入した象徴」と位置づけている。これに対し、関係者の一人は「我々は詐欺ではなく、夢の延長線を売った」と述べたとされるが、請求書に印字された税率が消費税導入前のままであったため、説得力を欠いた。
脚注[編集]
脚注
- ^ 高橋良平『飛距離増補術の経済学』東都出版, 1993.
- ^ 三好玲子『打者心理と契約書の境界』新星社, 1994.
- ^ 北村航一「昭和末期における野球興行詐欺の語彙」『スポーツ社会学研究』Vol.12, No.3, 1996, pp.44-61.
- ^ M. A. Thornton, "Kinetic Fraud in Baseball Rehabilitation", Journal of Applied Spectacle Studies, Vol.8, No.2, 1995, pp.113-129.
- ^ 佐伯史郎「ホームランと外科的比喩の混淆」『医療広告年報』第7巻第1号, 1992, pp.9-22.
- ^ 渡辺精一郎『打球はなぜ伸びるのか——球団営業の現場から』中央野球評論社, 1991.
- ^ P. H. Ellsworth, "Postoperative Slugging and the Ethics of Promotion", The International Review of Sports Deception, Vol.3, No.1, 1998, pp.1-18.
- ^ 三輪和彦「民宿会議室における擬似診療の実態」『関東法学』第18巻第4号, 1997, pp.201-219.
- ^ R. C. Bennett, "The Home-Run Appendix: Unlicensed Surgery in Minor League Marketing", Sports Law Quarterly, Vol.15, No.4, 2001, pp.77-93.
- ^ 『月刊ベースボールと健康 1989年6月号』特集「飛距離を買う時代」, pp.14-31.
外部リンク
- 日本球界偽療法研究会
- 昭和スポーツ広告資料館
- 打球外来アーカイブ
- フェンス越え倫理委員会
- 都市部野球詐欺年表