たいまいたひ
| 名称 | たいまいたひ |
|---|---|
| 英名 | Taimaitahi |
| 分類 | 折り畳み式目盛り下敷き |
| 発祥 | 東京府下谷区周辺 |
| 考案者 | 長谷川重蔵ほかとされる |
| 初出 | 1928年頃 |
| 主用途 | 製図補助、宣伝、携帯計測 |
| 素材 | 厚紙、桜材薄板、ゼラチン糊 |
| 生産数 | 1933年時点で年約18,400枚 |
| 現存状況 | 一部が地方資料館に所蔵 |
たいまいたひは、大正末期から昭和初期にかけて東京府の印刷業者のあいだで発達したとされる、折り畳み式の簡易目盛り付き下敷きである。後に測量広告の三領域を横断する独特の道具として知られるようになった[1]。
概要[編集]
たいまいたひは、紙面上に印刷されたの目盛りを、折り畳み構造によって持ち運びやすくした実用具であるとされる。一般には学童用の下敷きに見えるが、実際にはの前身団体が簡易図測補助具として試験採用した経緯を持つ。
名称は、試作品に刻まれた注意書き「対・間・板・紙」の四字を職人が早口で読み違えたことに由来するという説が有力である。ただし、浅草の古物商が後年に付会した語源とする異説もあり、研究者の間では今なお整理がついていない。
歴史[編集]
発明の背景[編集]
1927年、東京市内の印刷工場では、製図用定規の不足と学校向け宣伝物の需要増が重なり、厚紙一枚で目盛りを兼ねる道具の開発が求められた。下谷区の長谷川重蔵は、朝日通り沿いの紙問屋から譲り受けた裁断端材を用いて、幅24センチ・長さ36センチの試作板を作成したとされる[2]。
初期型は二つ折りであったが、折り目の補強に失敗すると目盛りが0.8ミリずれ、現場では「計れるが信用はできない」と評された。この不安定さが逆に広告文の配置自由度を生み、以後の製品史を決定づけた。
学校配布と普及[編集]
1931年、文部省の外郭研究会が都内の17校で試用を行い、算術の授業で使用時間が平均3分41秒短縮されたと報告した。報告書では、児童が定規としてよりも“秘密の地図”として扱う傾向が強いことが指摘され、教師側には賛否が分かれた。
特にのある女学校では、たいまいたひの裏面に生徒が詩を写し書きして交換したため、翌年には「学用品ではなく交友媒体である」として回収対象となった。なお、回収後の残存品47枚のうち9枚には、なぜか見知らぬ港の潮位表が印刷されていたという。
広告と民間応用[編集]
1934年以降、たいまいたひは系の旅行案内冊子や、銀座の薬局が配布する販促品としても流通した。折り畳んだ状態では名刺大、展開するとA4相当の作業面になるため、喫茶店の伝票台や裁縫店の型紙台として横流しされる例も多かった。
の文具店「三栄堂」では、たいまいたひを机上に置くと店主の時計が2分遅れるという噂が立ち、昭和9年には“時間を吸う板”として売上が前年の2.3倍に達したとされる。もっとも、この数字は帳簿上の返品処理を含むため、実態はやや小さいとも言われる。
構造と製法[編集]
たいまいたひの基本構造は、外装紙、目盛り層、補強薄板、留め糊の四層からなる。外装紙には耐水性を持たせるため由来の処理が施され、角の丸みは持ち運び時に学生鞄を傷つけない配慮として導入された[3]。
製法上の特徴は、目盛りを先に刷るのではなく、刷った後に職人が一枚ずつ「読み合わせ」を行う点にある。これは印刷誤差の補正というより、営業担当が定規としての精度を口頭で保証するための儀式であり、工場では毎朝8時12分に全員が机を叩いてから作業に入ったと記録されている。
なお、現存する標本の一部には富士山の等高線と見られる装飾が入っているが、実際には製紙会社の透かし見本であった可能性が高いとされる。
社会的影響[編集]
たいまいたひは、単なる事務用品にとどまらず、都市生活における「計測の私物化」を象徴する道具として受け止められた。従来の定規が机上に固定されるのに対し、たいまいたひは鞄の中で折れ曲がり、必要に応じて広がるため、都市労働者の移動性を視覚化したと論じられている。
また、の調査によれば、1932年から1935年までに配布された標本のうち約14%が、実際には文字を書かずに押し花や乗車券の半券を挟む用途へ転用された。これにより、たいまいたひは“測る道具”であると同時に“記憶を保存する板”としても扱われ、後年の文具デザインに影響を与えた。
一方で、関東大震災後の復興宣伝と結び付けられたため、過剰な希望を煽る半公共的広告具であったとの批判もある。とくに、ある区立図書館の閲覧票にまで刷り込みが及んだ件は、教育現場への越権として問題視された。
論争[編集]
たいまいたひをめぐる最大の論争は、その発祥地がかかである。下谷起源説は工場記録に裏付けられるが、浅草起源説では職人組合の口伝が重視され、どちらも決定打に欠ける。
また、1936年に内務省衛生局が「折り畳み式の厚紙製品は埃を集めやすい」として一部の配布停止を勧告した件も有名である。この勧告は実際には小児結核対策の一環であったが、当時の新聞は「たいまいたひ禁止令」と大きく見出しを付け、三日間だけ市民の買い占め騒動が起きた。
さらに、目盛りの1ミリ刻みが実測では0.97ミリから1.04ミリまで揺れるという再検査結果が1987年に国立科学博物館の調査で示されたが、愛好家の間では「揺らぎこそ味である」として逆に評価が高まった。
現存品と収集[編集]
現存するたいまいたひは少なく、確認されている完全品は全国で31点、折損片を含めても約90点程度とされる。もっとも多く所蔵するのは東京都内の私設文具資料室で、戦前配布用の広告入り標本が19点保管されている。
収集家のあいだでは、広告面の文句よりも折り目の回数が重要視される。二折り型は初期、三折り型は普及期、四折り型は「過剰な野心を持つ改良型」とされ、特に四折り型は作業中に机から落ちやすいことから“考え事をする板”という異名を持つ。
なお、戦後に復元された複製品の一部は、裏面に向けの英字説明書が付されていたが、文言の末尾に「Do not fold your ambition more than three times.」と記されていたため、真偽をめぐり長く議論を呼んだ。
評価[編集]
たいまいたひは、実用性と広告性と儀礼性が奇妙に同居した工業製品として評価されている。美術史の分野では、昭和前期の「持ち歩ける公共性」の典型例とされる一方、教育史では児童の私物化された学習道具として位置付けられることが多い。
京都大学の近代文化研究者・橋本澄江は、たいまいたひを「近代日本が紙に与えた折衷的野心の縮図」と評した。また、英語圏の論考では、folding ruler-notebook hybrid として紹介されるが、ほとんどの著者が実物を見たことがないまま書いているとも指摘される[4]。
脚注[編集]
脚注
- ^ 長谷川重蔵『折畳測板小史』下谷工業研究所、1934年、pp. 14-27.
- ^ 橋本澄江『紙と都市の近代史』東京学術出版社、1988年、pp. 201-233.
- ^ 小林道夫「昭和初期における学用品広告の越境」『教育と印刷』第12巻第3号、1976年、pp. 41-58.
- ^ Margaret A. Thornton, "Portable Measures in Prewar Tokyo", Journal of East Asian Material Culture, Vol. 7, No. 2, 1994, pp. 89-117.
- ^ 山本久信『下谷文具商史料集』城東資料刊行会、1959年、pp. 66-81.
- ^ A. K. Weller, "Folding Boards and Civic Memory", Transactions of the Pacific Industrial Arts Society, Vol. 3, No. 1, 2001, pp. 5-29.
- ^ 佐伯光一「たいまいたひの目盛誤差とその受容」『精密と日常』第4巻第1号、1987年、pp. 3-19.
- ^ 鈴木葉子『学校配布物の社会史』みすず工房、2006年、pp. 122-149.
- ^ 内藤隆『広告具としての定規類』文化器具叢書刊行会、1971年、pp. 77-104.
- ^ Eleanor P. Graves, "When the Ruler Became a Flyer", The Review of Invented Technologies, Vol. 9, No. 4, 2010, pp. 301-326.
- ^ 村田博『折り目の文明史』青嵐出版、1999年、pp. 8-15.
- ^ James H. Bower『The Curious Case of the Taimaitahi Manual』London: Marrow Press, 1968, pp. 44-52.
外部リンク
- 下谷区近代文具資料室
- 折畳測板研究会
- 東京広告工芸アーカイブ
- 帝都学用品史データベース
- 国際携帯計測具協会