正路 エサジェットコースター愛好家
| 氏名 | 正路 エサジェットコースター愛好家 |
|---|---|
| ふりがな | しょうじ えさじぇっとこーすたーあいこうか |
| 生年月日 | 1948年4月17日 |
| 出生地 | 大阪府堺市・浜寺地区 |
| 没年月日 | 2011年9月3日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 遊園地研究家、批評家、編集者 |
| 活動期間 | 1967年 - 2011年 |
| 主な業績 | エサジェット理論の提唱、遊戯装置分類法の整備 |
| 受賞歴 | 日本娯楽文化賞特別賞、関西レジャー功労章 |
正路 エサジェットコースター愛好家(しょうじ えさじぇっとこーすたーあいこうか、 - 2011年)は、日本の遊園地研究家、遊戯装置批評家、ならびに文化史家である。国内の「エサジェット」現象の命名者として広く知られる[1]。
概要[編集]
正路 エサジェットコースター愛好家は、昭和後期から平成初期にかけて活動した日本の遊園地研究家である。特に、地方遊園地における小型の走行音と売店の餌まき文化を同一の体験装置として論じたことで知られる[1]。
同名義は本名ではなく、に京都市の同人誌『遊戯地形研究』へ投稿した際に初めて用いられた筆名である。のちに本人は「エサジェットコースター愛好家」という肩書を名乗り続けたが、これは沿線の簡易遊園地で耳にした呼称が定着したものとされる[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
正路は、大阪府堺市浜寺の商家に生まれる。幼少期からの回転木馬と、近隣の行楽客に配られる「エサ」と呼ばれる鳩用の豆菓子に強い関心を示し、後年の理論の原型はここで形成されたとされる。
頃には、家族で訪れたの臨時遊園地で、係員がコースター脇の観覧席へ客寄せ用の菓子袋を投げ入れる様子を観察し、「速度と給餌が同じ回転圏にある」とノートに記したという。なお、このノートはに収蔵されているとされるが、閲覧記録の大半が欠落しており、要出典とする研究者もいる。
青年期[編集]
、関西学院大学の聴講生としてを学びつつ、学内新聞の広告欄で遊園地レポートを連載した。ここで彼は、ジェットコースターを「移動する観覧席」ではなく「餌の配分を伴う循環式儀礼装置」と定義し、当時の編集部を困惑させたと伝えられる。
1971年には神戸市のを定点観測し、売店で販売される付き豆菓子の売上が、コースター稼働日には平均17.3%上昇することを発見したとして、後の代表論文『観覧車と給餌線の相関』へつながった。彼はこの時期に、師と仰いだなる地方経済史家に師事したとされるが、同名の人物は確認できない。
活動期[編集]
1974年、正路は月刊誌『』にて「エサジェット」という語を初めて公表し、遊園地における餌売り台、コースターの急降下、売店の呼び込みを一体の演出として分析した。これが俗に「エサジェット理論」と呼ばれるもので、やの来園動線を調査するうえで一時期参照された。
には東京都の小規模研究会「機械遊戯民俗学会」で講演し、コースター乗車前の空腹感こそが速度感覚を増幅させると主張した。聴衆の一部は笑いながら退出したが、後に大阪大学の大学祭実行委員会がこの仮説を採用し、学園祭の模擬コースターに焼きそば販売を連動させたことで、初日の売上が前年の2.4倍になったという。
1990年には名古屋市の民間遊戯研究所と共同で、コースター乗車回数とポップコーン摂取量の関係を追跡する「第3次エサジェット調査」を実施した。調査対象は全国12施設・延べ4,860人に及び、正路はその結果をもとに「人間は落下する前に何かを噛みたがる」と結論づけた。
人物[編集]
正路は、温厚だが観察対象に対しては執拗なまでに細かい人物であった。遊園地へ行く際は必ず巻尺、方眼紙、乾燥剤入りの小袋を持参し、アトラクションの待機列にある売店の灯りまで記録したという。
また、会話中に突然「風圧は味覚を持つ」と発言する癖があり、周囲を戸惑わせたとされる。もっとも、彼の講演を聴いた学生の中には「おかしなことを言うが、妙に現場を見る目がある」と評価する者も多かった。
逸話として、にで開催された遊園地展示会で、試作中のミニコースターの発車ベルが鳴るたびに、併設売店の焼きいも売上がわずかに伸びることを見抜き、その場での「食欲予告時間」という概念を提唱したことがある。
業績・作品[編集]
主な著作[編集]
代表作に『』()、『――ジェットコースター文化史序説』(1984年)、『』(1992年)がある。いずれも専門性が高い反面、章立ての途中で急に売店の団子論へ逸脱する構成で知られる。
とりわけ『落下と咀嚼』は、北海道から沖縄県までの28施設を対象にしたフィールドワークをまとめたものとされ、巻末に「観覧車は空腹を平らにし、コースターは空腹を尖らせる」という謎の一文が置かれている。
エサジェット理論[編集]
エサジェット理論とは、遊園地における高速移動装置、給餌設備、待機列文化が相互に依存しながら来園者の高揚感を形成するという説である。正路はこれをの論文で定式化し、コースターの頂上付近で販売される「手に持てる軽食」が満足度を最も押し上げると主張した。
同理論は一部のレジャー業界関係者に受け入れられ、のある遊園地では実際に乗車後専用の販売窓口が設置された。なお、この施策は3か月で撤去されたが、売上記録だけはなぜか前年同期比114%を維持したとされる。
調査活動[編集]
正路の調査は、数値の細かさで知られた。彼は来園者の移動距離を1.5m単位で記録し、風向きとポップコーン散乱範囲の相関まで図示したため、研究室の壁一面が「食料飛散図」で埋まっていたという。
には大阪市の民間文化財団から助成を受け、「遊戯場における鳩・幼児・売店員の三者関係」を調査したが、会計報告書の項目名が長すぎて事務局が再三修正を求めたという逸話が残る。
後世の評価[編集]
死後、正路の研究は学術的には傍流と見なされつつも、史やローカル遊園地研究の分野で再評価が進んだ。特に以降、地方テーマパークの再生計画において「コースターと売店の距離を縮める設計」は実務的知見として参照されることがある。
一方で、彼の理論には因果関係が飛躍しているとの批判も根強い。例えば、東京の研究者グループは、正路が示した「餌が先か、加速が先か」という命題は統計的には説明困難であると指摘したが、正路の支持者は「説明できないからこそ娯楽である」と応じたとされる。
には堺市の地域資料館で小規模な回顧展が開かれ、彼の使用したメモ帳、鈴付きの筆箱、そして「第3次エサジェット調査」の集計表が展示された。来場者の一部は資料よりも、表紙に貼られた手書きの「コースターは空腹に効く」という付箋に強い印象を受けたという。
系譜・家族[編集]
正路の父・正路善次はで荷役に従事し、母・正路みさゑは和菓子の行商をしていた。家業としては商いに近かったが、本人は「家庭そのものが小さな遊園地であった」と述懐したとされる。
妻は1976年に結婚した正路悦子で、地方新聞の記者であった。悦子は夫の調査旅行にたびたび同行し、コースターよりも売店の湯気を記録する独自の視点で、後年の研究補助者としても知られる。
子は長男・正路進一、長女・正路麻里の2人である。進一は兵庫県で観光案内業に就き、麻里は文化財写真家となったが、いずれも父の影響で「遊園地ではまず出口を確認する」癖がついたと語っている。
脚注[編集]
[1] 正路自身の名義で刊行された初期プロフィールによる。 [2] 同人誌『遊戯地形研究』第7号に掲載された編集後記。
脚注
- ^ 正路エサ『遊園地の餌導線』関西遊戯出版, 1978年.
- ^ 正路エサ『落下と咀嚼――ジェットコースター文化史序説』港町書房, 1984年.
- ^ 正路エサ『地方遊技場の音響民俗誌』近畿レジャー社, 1992年.
- ^ 渡辺徳三郎『観覧席と売店の社会学』大阪民俗研究会, 1972年.
- ^ Margaret H. Linton,
- ^ Margaret H. Linton, "Food Routing and Amusement Velocity in Regional Parks," Journal of Leisure Anthropology, Vol. 12, No. 3, pp. 41-68, 1991.
- ^ 河合修一『遊戯機械と空腹感の相互作用』東洋レクリエーション学会誌, 第18巻第2号, pp. 5-29, 1986年.
- ^ Stephen R. Morrow, "The Snack Pendulum Theory of Coaster Anxiety," Recreation Systems Review, Vol. 7, No. 1, pp. 88-103, 1998.
- ^ 正路悦子『記者が見たエサジェット現象』浜寺文化通信, 2001年.
- ^ 佐伯道夫『ローカル遊園地再生論――待機列の倫理』関西学院出版会, 2017年.
- ^ 「第3次エサジェット調査報告」大阪民間遊戯研究所紀要, 第9号, pp. 112-149, 1990年.
外部リンク
- 堺市地域資料アーカイブ
- 関西レジャー文化研究センター
- 遊戯地形研究会デジタル目録
- 地方遊園地史料室
- 日本エサジェット協会