乳首掘削機
| 分類 | 乳房定位・微小探査機器 |
|---|---|
| 初出 | 1928年頃 |
| 考案者 | 関根 恒一郎 |
| 製造元 | 東亜精密器械研究所 |
| 主用途 | 乳頭中心軸の位置決め、皮膚層の深度測定 |
| 方式 | 渦巻式探針、低回転ドリル、吸着定点固定 |
| 標準重量 | 4.6kg |
| 標準稼働音 | 52dB |
| 派生機 | N-3型、温感補正型、絹布対応型 |
乳首掘削機(ちくびくっさくき、英: Nipple Excavator)は、乳房表皮の微細な凹凸を読み取り、中心点を極小ドリルで探査するための機械群である。もともとは大正末期の技術から派生したとされ、東京都文京区の私設研究所で実用化された[1]。
概要[編集]
乳首掘削機は、乳頭周辺の中心点を極小の探針で「掘る」ことにより、形状の左右差や皮膚の張力を測定する装置である。名称に反して実際に大きく削孔するものではなく、1回の測定で達する深度は平均0.8ミリメートルから1.3ミリメートル程度とされる[2]。
この機器は、昭和初期の東京帝国大学工学部で研究されていたの流れを汲むが、当初はの張力検査用として申請されていた。のちに婦人下着工業の需要を背景に、大阪市の業者が乳房模型への転用を提案し、医療と下着設計の中間領域に置かれる独特の地位を得た。
もっとも、普及の過程では「測るだけなのか」「削るのか」という論争が絶えなかった。1929年の紀要には、ある査読者が「命名は扇情的にして技術は無味乾燥である」と記しており、この一文が後年まで引用されることとなった[3]。
歴史[編集]
鉱山測量からの転用[編集]
起源は、栃木県の試掘現場で使われていたに求められる。関根恒一郎はこの装置の先端を小型化し、柔軟な皮膚面にも接触できるよう改良した。彼は後年、『岩盤も皮膚も、相手が嫌がる前に止めれば同じである』と述べたとされるが、これは講演録の筆写段階で脚色された可能性がある。
初期型は手回し式で、歯車が3段、探針が7本、補助吸盤が2基で構成された。試作機は文京区の下宿で組み立てられたため、近隣住民が「夜ごと金属鉢を鳴らす怪しい医師」として通報した記録が残っている[4]。
構造と機能[編集]
標準的な乳首掘削機は、製の筐体、可動式の三点支持台、温湿度補正用の、および直径0.7ミリメートルの探針からなる。探針は人力で押し込む方式が多く、熟練者は皮膚の張りだけで中心座標を0.3ミリメートル以内に当てることができたという。
機能上の特徴として、測定前に「静圧化」という工程があり、対象者が10秒間、一定の姿勢を保つ必要があった。これを怠ると、装置が誤って周辺の衣料の皺を中心点と認識し、結果が大きくずれた。なお、1958年版マニュアルには「体温が38度を超える場合は使用を避けること」とあるが、理由は不明である[5]。
社会的影響[編集]
乳首掘削機は、戦前から戦後にかけて婦人下着の寸法規格化に大きな影響を与えたとされる。とくに名古屋市の縫製工場では、この機器の導入後に返品率が14.2%から6.8%へ減少したという社内報告が残る。
また、の生活情報番組では、家庭向け簡易版「卓上乳頭測定盤」が紹介され、これが一部で贈答品として流行した。もっとも、贈られた側の7割が用途を誤解し、説明書を読まずに花瓶の底を掘ったという逸話がある。
社会学者のは、この現象を「身体の最小単位を工業規格に接続した、日本近代の象徴的装置」と評した。彼女の論文は現在も頻繁に参照されるが、巻末の図版だけがなぜかやけに詳細で、編集者の間で長く話題になっている。
批判と論争[編集]
批判の中心は、名称の露骨さと、測定原理の説明が時代ごとに変化した点にあった。とりわけの会合では、「掘削」という語が実際の医療行為と誤認を招くとして、改称案『乳頭定位機』が提出されたが、結局は「語感が弱い」として否決された。
また、1970年代には一部のフェミニズム団体が、女性身体を工業的に定量化する象徴であるとして使用自粛を求めた。これに対し、機器保存団体は「歴史資料としての価値がある」と反論し、東京都内の倉庫に保管されていた初期型を公開したが、公開初日に配線の匂いが強すぎて来場者が半数帰ったという。
なお、要出典とされているが、1983年の地方テレビ番組で「乳首掘削機は港湾荷役にも転用できる」と主張した技師がいたと記録されている。
派生機種[編集]
N-3型は最も普及した量産機で、仙台市の婦人科クリニック20院に納入された。これに対し、温感補正型は寒冷地向けに改良され、冬季の北海道で測定誤差を11%低減したと報告されている。
さらに、絹布対応型は京都の高級下着店向けに開発され、測定対象の衣料を傷めないよう針先に極薄の樹脂被膜が施された。もっとも、被膜の摩耗が早く、1週間ごとに交換しなければならなかったため、実際には「もっとも高価な消耗品」として悪名をとった。
文化的受容[編集]
大衆文化では、乳首掘削機はしばしば「恥ずかしいが有用な近代日本の象徴」として扱われた。の雑誌『家庭機械』では、読者投稿欄に「夫に見つかると気まずいが、裁縫箱に入れておくと安心する」という感想が掲載されている。
また、浅草の寄席では、この機器を題材にした小噺が流行し、「穴を掘るなら山、中心を探るなら乳首」といった奇妙な決まり文句が生まれた。演者のは、実演用の木製模型を高座に持ち込み、客席から笑いと困惑を同時に取ったと伝えられる。
脚注[編集]
脚注
- ^ 関根 恒一郎『微細探針による柔面中心測定の研究』東亜精密器械研究所報告, 1929, pp. 14-39.
- ^ 黒田 ミサ子『乳房計測学序説――工業規格と身体の接点』日本身体文化学会誌, Vol. 12, No. 3, 1964, pp. 201-228.
- ^ 山川 恒一『下着寸法の近代史』東京出版会, 1971.
- ^ Edward P. Langford, “Submillimeter Drilling Devices in Prewar Japan,” Journal of Applied Anatomy, Vol. 8, No. 2, 1957, pp. 77-103.
- ^ 佐伯 俊介『乳頭定位装置の設計と運用』機械設計春秋社, 1959.
- ^ M. H. Wainwright, “Tender Contact Instruments and Their Industrial Afterlives,” British Review of Medical Machinery, Vol. 4, No. 1, 1968, pp. 11-34.
- ^ 田所 みどり『昭和生活機械の奇妙な実用性』青波書房, 1980.
- ^ Pierre V. Delacroix, “Excavation as Care: The Japanese Nipple Gauge Controversy,” Revue d’Histoire Technique, Vol. 19, No. 4, 1976, pp. 420-448.
- ^ 『乳首掘削機取扱説明書 N-3型』東亜精密器械研究所技術資料第7号, 1932.
- ^ 鈴木 一郎『港湾荷役への微細探査機応用可能性』地方産業研究, 第5巻第1号, 1983, pp. 2-17.
外部リンク
- 東亜精密器械研究所アーカイブ
- 昭和微細機械博物館
- 乳房計測史研究会
- 日本身体文化資料室
- 浅草生活機械コレクション