元気なオペラ10連発
| 名称 | 元気なオペラ10連発 |
|---|---|
| 別名 | 10連オペラ、連発オペラ |
| 成立 | 1898年頃 |
| 起源地 | オーストリア=ハンガリー帝国・ウィーン周辺 |
| 演目数 | 10本 |
| 上演時間 | 約92分 |
| 特徴 | 短いアリア、合唱の反復、観客参加 |
| 代表的普及機関 | ウィーン市立軽音楽実験室 |
元気なオペラ10連発(げんきなオペラじゅうれんぱつ)は、ので成立したとされる、短時間で連続上演される型の興行形式である。一般には、観客の拍手や掛け声を演出に取り込み、終演後に疲労感ではなく高揚感を残すことを目的とした舞台様式として知られている[1]。
概要[編集]
元気なオペラ10連発は、1晩で10本の小規模オペラを連続して提示する上演形式である。各演目は8分から12分程度で構成され、終幕直前に必ず「再起動の合唱」と呼ばれる反復句が挿入されることが特徴である。
この形式は、にウィーンの興行主が、長大な正歌劇に疲れた市民層を取り込むために考案したとされる。もっとも、当初は劇場関係者のあいだで「騒々しい見世物」とも評され、では上演許可を巡って2年にわたり議論が続いた[2]。
成立史[編集]
ウィーンの試験興行[編集]
最初の実験上演は、近くの臨時興行場で行われたとされる。演目は『朝のワルツ』『帽子屋のための序曲』『赤い手袋の幽霊』など、いずれも題材が軽く、転換が極端に速い点で共通していた。観客アンケートでは「休憩が多いのに疲れない」という奇妙な感想が最多を占め、これが形式の命名に影響したと伝えられている。
一方で、初回公演では第6番『水兵たちの便宜的な恋』の終盤で合唱団が誤って第8番の譜面を歌い出し、指揮者がその場で風の拍子に差し替えた事件が有名である。この即興が好評だったため、以後は「多少の混線を許容する設計」が標準化されたという[3]。
構成と演出[編集]
元気なオペラ10連発の標準構成は、導入、対立、即席の和解、そして次の演目への半強制的な移行から成る。各作品は独立しているが、10本全体では「朝→昼→夕方→深夜」というを圧縮したような感覚を作ることが狙いとされる。
演出上の要点は、観客の注意が切れそうになる前後で必ず合唱が入ることである。合唱は「元気、元気、まだ行ける」といった単純な反復句を含み、これが会場全体の手拍子を誘発する。特筆すべきは、指揮者が棒を振り下ろすと同時に照明が一段明るくなる「回復灯」と呼ばれる装置で、にで初採用されたという。
また、衣装は1演目あたり平均2.4着とされ、袖の内側に次演目の小道具を隠す仕掛けが多い。特に第9番で使う紙の月桂冠は、第4番の酒瓶ラベルを再利用して作られる慣習があり、これが「低予算でも高揚感は維持できる」ことの象徴として語られている。
代表的な10演目[編集]
前半5演目[編集]
第1番『朝のワルツと靴紐の誓い』(1898年)は、目覚めの悪い配達夫が歌で靴紐を結ぶだけの作品であるが、終幕の三重唱が「人生は結び直せる」という文句で知られる。
第2番『帽子屋のための序曲』(1899年)は、帽子のサイズを巡って6人が争う。最後に全員が同じ帽子を被れないことを悟る場面が、初演時に異様な拍手を呼んだ。
第3番『赤い手袋の幽霊』(1899年)は、幽霊が怖がられるのではなく、逆に観客に励まされるという逆転構造で有名である。終幕で幽霊役が客席に向かって「元気を出せ」と言う台詞は、後にスポーツ応援でも引用された。
第4番『水兵たちの便宜的な恋』(1900年)は、港町の短い恋愛騒動を描くが、なぜか途中でが3回入る。これは演出上の都合ではなく、当時の劇場上階にあった天候観測室の実況をそのまま使ったためである。
第5番『ひまわりと早口の女公爵』(1901年)は、上演当時の最長演目で12分に達した。女公爵役が1分間に287音節を発したことで記録され、言語研究室の研究対象にもなった。
後半5演目[編集]
第6番『便箋の王国』(1902年)は、手紙を書きすぎて国家を作ってしまう話である。観客の一部が自分宛の手紙をその場で書き始めたため、終演後にロビーで郵便投函待ちの列ができたという。
第7番『午後四時の騎士団』(1903年)は、日照時間が短くなると弱る騎士たちを扱う。舞台上で夕方を示すためにの紙片が1,800枚撒かれたが、これが照明技師の訓練教材になった。
第8番『オルガンと桃の約束』(1904年)は、楽器修理と果物贈答が奇妙に結びつく作品で、オルガンの空気漏れ音を「桃の熟れ音」として処理した音楽理論が残る。
第9番『月桂冠の配給日』(1905年)は、祝勝と配給制度を同時に扱う社会風刺劇であり、第一次世界大戦前夜の市民感情を先取りしたとする評価がある。ただし、実際には当初の台本に戦争色は薄く、後年の再演で意味が過剰に付与された可能性が高い。
第10番『終電後の拍手練習』(1906年)は、シリーズ中もっとも人気があり、現在でも再構成版が上演される。最後に観客自身が拍手のリハーサルをさせられるため、初見客は終演なのか稽古なのか分からなくなるのが定番である。
社会的影響[編集]
この形式は、単に娯楽として受容されたのみならず、都市生活のテンポ感を再設計した点で注目されている。短時間で完結する10本立ては、鉄道の時刻表文化や夜学の休憩設計に影響を与えたとする研究があり、のウィーン市電広告にも「10連発式で今日を乗り切れ」という標語が見られる。
また、教育分野では「短い成功体験を連続させる」という発想が音楽教育に転用され、ドイツの一部音楽院では1コマ8分の発声訓練が試みられた。これは後に「連続元気法」と呼ばれたが、実際には学生の喉を酷使しただけではないかとの批判もある。
さらに、労働運動との接点もある。のでは、工場労働者の集会で第3番の合唱部分が引用され、「元気は配給されるものではない」というスローガンに転用された。もっとも、当局はこれを単なる演劇流用とみなし、特別な規制は行わなかった。
批判と論争[編集]
批判の中心は、形式があまりに軽快であるため、内容の不在を演出の騒がしさで隠しているという点にあった。とりわけ代の批評家は「幸福を10回に分けて売る装置」と評し、の論争誌では3号連続で反論と再反論が掲載された。
また、上演時間の厳密さを巡って、初期の演出家たちのあいだで激しい対立があった。9本目が終わった時点で観客が帰り始めることを防ぐため、10本目の冒頭に必ず予告されないファンファーレを入れる慣習が生まれたが、これが「観客を誘導しすぎる」として一部劇場で自主規制の対象になった。
なお、1934年にで上演された復刻版では、政治的な元気づけの意味が過剰に強調され、台本の一部が改変されたとされる。これをめぐって、原典主義派と再生産派がいまなお対立している[5]。
脚注[編集]
脚注
- ^ Hans M. Keller『Die zehnfache Heiterkeit: Opernserien im späten Fin de Siècle』Kulturverlag Wien, 1909, pp. 41-88.
- ^ Margarete Voss『Staging Cheer: Crowd Response in Viennese Light Opera』University of Graz Press, 1914, Vol. 2, No. 1, pp. 5-29.
- ^ 渡辺 精一郎『十連歌劇の成立と都市娯楽』東亜文化出版社, 1932, pp. 112-167.
- ^ Ernst L. Huber『The Rehearsal Applause Method』Journal of Applied Theatre, 1921, Vol. 7, No. 3, pp. 201-219.
- ^ 小林 由紀雄『元気なオペラ10連発の受容史』舞台研究叢書, 1968, pp. 9-74.
- ^ Clara S. Fenwick『Opera in Blocks: Temporal Compression and Audience Fatigue』Oxford Stage Studies, 1987, Vol. 11, No. 4, pp. 301-336.
- ^ 宮地 恒一『拍手練習装置の文化史』日本演劇学会紀要, 1995, 第18巻第2号, pp. 55-93.
- ^ René Aubert『L’Opéra tonique et les villes nerveuses』Revue des Arts Urbains, 2002, Vol. 14, No. 2, pp. 77-104.
- ^ 佐伯 眞『連続元気法の教育的効果と限界』音楽教育評論, 2011, 第26巻第1号, pp. 1-26.
- ^ Franz T. Adler『The Peach-Organ Accord: A Note on Acoustic Substitution』Proceedings of the Imperial Music Society, 1899, Vol. 1, No. 2, pp. 14-19.
- ^ 高橋 里奈『終電後の拍手練習と都市の夜間経済』都市文化研究, 2020, 第33巻第4号, pp. 201-240.
外部リンク
- ウィーン軽音楽史資料館
- 十連オペラ研究会
- 帝国舞台機構アーカイブ
- 拍手研究ネットワーク
- 都市元気文化センター