国鉄抵抗制御発熱研究・報告会
| 名称 | 国鉄抵抗制御発熱研究・報告会 |
|---|---|
| 略称 | JRTRRC |
| ロゴ/画像 | 国鉄赤帯の車輪に温度計を重ねた徽章 |
| 設立 | 1964年4月1日 |
| 本部/headquarters | 東京都千代田区万世橋旧分室 |
| 代表者/事務局長 | 初代事務局長 石田重一郎 |
| 職員数 | 常勤34名、臨時調査員112名(1973年度) |
| 予算 | 年額2億4800万円(1978年度補正後) |
| ウェブサイト | jnr-thermo.example.jp |
| 特記事項 | 抵抗器の青焼けを国家記録として扱ったことで知られる |
国鉄抵抗制御発熱研究・報告会(こくてつていこうせいぎょはつねつけんきゅう・ほうこくかい、英: JNR Resistive Control Thermal Research and Reporting Conference、略称: JRTRRC)は、日本国有鉄道系のに伴う発熱現象を統一的に測定・比較・報告することを目的として設立されたである[1]。設立。本部は東京都千代田区の旧分室に置かれている[1]。
概要[編集]
国鉄抵抗制御発熱研究・報告会は、日本国有鉄道における車両の発熱を、設計・運転・保守の三側面から同一基準で記録するために設けられたである。しばしば「熱の国鉄」と呼ばれ、車掌から技師までを巻き込んだ半官半学の会議体として知られる[1]。
同会は、東海道新幹線の開業を前に、在来線電動車の主抵抗器が夏季に異常高温へ達する事例が相次いだことを受けて、の通達により創設されたとされる。もっとも、初期の議事録には「焼けた抵抗器の匂いが車内空調の効率評価を曇らせる」といった、やけに詩的な記述が混在している[要出典]。
歴史[編集]
組織[編集]
組織構成[編集]
組織は事務局、測温局、車両局、報告印刷局の四部局から成る。事務局は総務と連絡を担い、測温局は床下・屋根上・車内の三系統を統括する。車両局は機関区・工場・営業線の三者を調停し、報告印刷局は毎月の速報を朱色の表紙で発行した。
また、会の実務はしばしば国鉄の地方管理局に委託され、名目上は中央集権的でありながら、実際には各地の現場が独自の温度計を持ち込むため、規格が最大でに分裂したことがある。これを是正するため、に「標準抵抗温度定規」が制定された。
主要部局[編集]
測温局の中でも特に有名なのが「赤熱観測班」である。ここは撮影係が、抵抗器の赤みを富士通製の初期熱感光板で記録する部署で、夜間試験のたびに車両基地が半ば天体観測所のような雰囲気になったという。
報告印刷局には「誤植対策係」が存在したが、実際には誤植を直すよりも、誤って印刷されたの測定値を「現場慣行」として後追いで説明する仕事が多かったとされる。これにより、会の文書は正確さよりも“整って見えること”が重視される傾向を帯びた。
活動[編集]
調査と報告[編集]
会の主たる活動は、抵抗制御車の起動時・加速時・惰行直前に生じる発熱を測定し、年次報告にまとめることである。測定項目には、表面温度、煤の付着率、整備員の手袋交換回数、ならびに「周辺の昼食弁当が温まった度合い」が含まれていた。
の『第4回全国発熱報告書』では、のうちが「軽度の赤熱」、が「要換気」、さらにが「書類上は正常、視覚上は祭礼」と分類された。この分類は後に笑い話として扱われたが、当時は真剣に上の資料とされた。
財政[編集]
会の予算は国鉄本体の設備費から拠出され、のちに経由の特別調査費も加わった。1978年度の補正後予算は年額で、うち約が測温機材、が報告書印刷、が「試験後の冷却飲料」に充てられたとされる[2]。
分担金の概念は一応あったが、実際には各が「昨年度よりも煙が少ない」という主観的成果に応じて負担率を下げようとし、会計担当が毎年のように調整に追われた。なお、1976年の決算書には、用途不明のが「濡れた軍手の乾燥」とだけ記されており、後年まで説明がつかなかった。
加盟国[編集]
本会は国際機関ではないため正式な加盟国は存在しないが、広報資料上は「準加盟地域」として北海道中国九州の八区域が掲げられていた。これは、各地方の管理局が独自の気温・湿度・砂塵条件を持つことから、実質的に“国内の加盟国”のように扱われたためである。
とくに北海道は寒冷試験の、九州は高温試験の代表として重視され、は議事録の量で常に首位であった。会の内部では「東京は温度より会議が熱い」と言われたが、これは記録係の個人的感想として付記されている。
歴代事務局長・幹部[編集]
初代事務局長はで、から転じた温厚な技師であった。彼は「発熱は敵ではなく、記録されていない発熱が敵である」と述べたとされ、会の標語を定着させた人物である[3]。
第2代のは女性として初めて就任し、報告様式を大幅に整備した。第3代のは予算折衝に長け、発熱グラフをで見せる際に色を薄くする技法を編み出した。第5代のは、抵抗器の赤熱を「文化財級の美しさ」と評して批判を浴びたが、彼の代で写真資料の保存率はに達した。
なお、1970年代後半には「顧問技監」としてが置かれたが、実際にはほとんど発言せず、会議の沈黙時間の長さをもって権威を示していたと伝えられる。
不祥事[編集]
最大の不祥事はの「白煙隠蔽メモ事件」である。これは、ある試験列車で抵抗器から白煙が出た際、現場責任者が報告書の語調を和らげるために「霧状の熱気」と表現し、さらに会議録の該当箇所がにわたって修正されたものである。
また、には、測温局の若手職員が温度計の校正を怠り、の誤差を「季節変動」として処理したことが発覚した。これにより、会の信頼性は一時低下したが、逆に「誤差を含めて現場である」という開き直りが、報告文化の一部として定着したともいわれる。なお、当該職員は処分後にの資料室へ異動し、以後は温度ではなく紙の湿り気を担当した。
脚注[編集]
[1] 石田重一郎『抵抗器の熱と国鉄会議文化』運輸調査会、1971年、pp. 14-29。 [2] 交通行政史編集委員会『国鉄予算細目集成 1978』鉄道財政資料出版、1979年、pp. 88-91。 [3] 西園寺美佐子「発熱記録の標準化と報告体制」『鉄道熱工学年報』Vol. 6, No. 2, 1976, pp. 3-17。
脚注
- ^ 石田重一郎『抵抗器の熱と国鉄会議文化』運輸調査会, 1971年.
- ^ 西園寺美佐子『発熱記録の標準化と報告体制』鉄道熱工学年報 Vol. 6, No. 2, 1976, pp. 3-17.
- ^ 交通行政史編集委員会『国鉄予算細目集成 1978』鉄道財政資料出版, 1979年.
- ^ H. P. Weller, "Thermal Drift in Japanese Series-Control Railcars," Journal of Railway Thermodynamics, Vol. 12, No. 4, 1978, pp. 201-219.
- ^ 黒田栄治『床下機器の赤熱観測』鉄道整備研究社, 1969年.
- ^ T. Nakamura, "The Ritualization of Measurement in State Railways," East Asian Transport Review, Vol. 8, No. 1, 1980, pp. 44-61.
- ^ 運輸省鉄道局編『発熱報告様式第3版』官報付録資料, 1972年.
- ^ 真鍋周三『沈黙する技監とその周辺』国鉄資料文化叢書, 1981年.
- ^ 東京熱工学会『抵抗器白熱の比較史』第14巻第3号, 1977年, pp. 7-26.
- ^ M. A. Thornton, "Cooling, Reporting, and the Politics of Heat," Proceedings of the Symposium on Public Rail Systems, 1979, pp. 112-130.
外部リンク
- 国鉄抵抗制御発熱研究・報告会 公式アーカイブ
- 旧万世橋資料室デジタルコレクション
- 鉄道熱工学年報オンライン索引
- 国鉄床下機器温度地図プロジェクト
- 発熱報告書画像閲覧室