安斎・高橋実験
| 名称 | 安斎・高橋実験 |
|---|---|
| 分野 | 教育心理学、実験教育学、都市騒音学 |
| 提唱者 | 安斎善之助、高橋澄子 |
| 初出 | 1928年ごろ |
| 主な拠点 | 東京帝国大学、本郷、神田 |
| 特徴 | 冷却机上で課題を反復させ、睡眠前後の再生率を比較する |
| 関連現象 | 机上結露、鉛筆滑走、深夜暗誦 |
| 現在の扱い | 一部の私設研究所で再現実験が行われている |
安斎・高橋実験(あんざい・たかはしじっけん)は、大正末期から昭和初期にかけて東京帝国大学の周辺で体系化された、低温下におけるとの相関を調べるための実験法である。後にとの境界領域を象徴する事例として知られるようになった[1]。
概要[編集]
安斎・高橋実験は、被験者の机面を一定温度まで冷却し、その状態で単語列や図形列を反復提示することにより、翌朝の再生率がどの程度変化するかを調べる手法である。東京の本郷とにあった小規模な研究室群で生まれ、のちに文部省系の教育調査と結びついた。
一般にはとの共同研究として語られるが、実際にはから1932年にかけて、東京帝国大学心理学教室の助手・院生・中等学校教員が入れ替わりで関与した寄せ集めの実験群であったとされる。被験者の集中が「冷気により高まる」という仮説は、当時流行していたと思想の折衷として説明されることが多い[2]。
なお、後年の回想録では、実験室の窓が方面の路面電車の振動で細かく揺れ、結果として鉛筆線が微妙に震えることが再生率の差に影響したとされる。これが事実であれば、安斎・高橋実験はを学習補助刺激として扱った最初期の例の一つであったともいえる。
成立の背景[編集]
この実験法の成立には、当時の日本における「机は冷たいほど学問が進む」という半ば道徳的な信念が関係したとされる。とくに関東大震災後の復興期には、木造校舎の熱気と粉塵を嫌う教育行政の側から、冷却された机面や換気のよい教室を推奨する意見が強まっていた。
は新潟県出身の教育学者で、もともとはの改善を研究していた人物とされる。一方のは系の実験補助から出発し、手先の運動と記憶保持の関係に関心を持っていた。両者がの貸会議室で偶然に同席し、冷えた卓上で暗誦した句が妙に残るという雑談から共同研究が始まった、という逸話が残っている[3]。
また、初期の装置は氷ととで作られており、実験ごとに氷の融け方が違うため、記録係は「本日の気温」「被験者の袖口の厚さ」「机上の結露量」を別々に記入していた。こうした細分化された記録様式が、のちに文化を過剰に発達させた要因とみられている。
実験方法[編集]
机面冷却と提示課題[編集]
標準的な手順では、前後に保たれた机の上で、20語から24語の無意味綴りを3回読み上げ、その直後に課題を2分30秒挟む。被験者は右手の人差し指で紙面を押さえながら復唱するが、机が冷えすぎると手袋を外したくなるため、そこに小さな葛藤が生まれるとされた。
この葛藤が記憶の固定化を促すという説明は、当時のではかなり大胆であったが、実験記録では再生率が平均で上昇したとされる。もっとも、この数値は被験者の「寒さに耐えたことへの意地」まで含んでいるのではないかとの指摘がある[4]。
夜間再生と翌朝検証[編集]
実験の特徴は、課題を終えたあと被験者を一度帰宅させ、翌朝またはの集合地点で再生試験を行う点にあった。夜間の睡眠前にを付けさせる日もあり、夢の中に単語列が3語以上現れた場合は「半定着」と判定された。
高橋は、夢に出た単語のうち最後の1語が正答率に与える影響を重視し、実験メモには「夢末尾効果」とだけ書き残している。のちにこの用語は一部の教育心理学者に採用されたが、実験の再現性は低く、むしろ被験者が前夜に食べたの影響ではないかという説まで出た。
記録係の介入[編集]
安斎・高橋実験では、記録係が誤答をその場で訂正せず、あえて赤鉛筆で二重線を引いて保存した。これは「失敗の形状も記憶の一部である」という安斎の持論によるもので、後年の標準化された実験心理学から見るとかなり奇妙である。
ただし、赤鉛筆の線が濃いほど翌朝の正答率が高いという相関がノートに多数残されており、現在では机面温度よりも訂正線の視覚刺激が効いていた可能性が指摘されている。なお、当時の助手の一人は、この現象を「赤の威光」と記しているが、出典は未確認である。
主要人物[編集]
は、温度と注意の関係を「道具立ての問題」として捉えた実務型の研究者であり、大学講義よりも夜学や教員向け講習会を好んだとされる。彼は浅草の文具店で特注の温度計を作らせ、目盛りの上限をにしておくと、被験者が安心するという独自の見解を持っていた。
は、記憶実験の過程における身体感覚の揺らぎを重視した人物で、被験者の机に置かれたの折り目まで観察したという。彼女の残した草稿には「学習とは、覚えることではなく、忘れ方を整えることである」とあり、のちの研究に先行する洞察として引用されることがある。
また、実験の運営には、、らが関わったとされる。とくに三浦は、氷の搬入にを使った際、路上で氷が半分ほど消失したにもかかわらず、その日のデータだけ妙に良好だったため、以後「融けた分だけ集中した」と解釈したという。
社会的影響[編集]
安斎・高橋実験は、直接には学術界よりも学校現場に強い影響を与えた。1930年代前半には、東京市内の一部高等小学校で「冷机読書会」が模倣され、朝の読書時間だけ机の下に湯たんぽを置かない運用が試された。
さらに、内務省系の衛生啓発冊子では、寒さそのものを推奨するのではなく、「過度の暖房は記憶の輪郭をぼかす」として、教室内の温度管理を学力政策の一部に位置づける記述が現れた。これにより、冬季の教室で上着を脱がせるかどうかを巡って、校長と保護者会がしばしば対立した。
一方で、昭和10年代には軍需工場の作業教育にも応用され、工具名の暗記訓練に冷却台を導入する事業が一部で試みられたという。もっとも、現場では冷たさよりも眠気のほうが問題であり、記録では「机は冷えるが、工員の顔は赤い」と評されている。
批判と論争[編集]
安斎・高橋実験は当初から、結果の解釈を巡って強い批判を受けた。とくに京都帝国大学系の研究者からは、机を冷やしたために被験者が肩をすくめ、その筋緊張が記憶に影響しただけではないかとの指摘が出された[5]。
また、実験群の一部がによって極端に差を示したため、再現性の低さが問題視された。安斎側は「冬季にしか真理は現れない」と応じたが、この返答は科学的説明というより俳句のようだと評され、学会で小さな笑いを誘ったという。
最も有名な論争は、の公開実験で、被験者12名のうち9名が途中で「机が冷たい」という理由で課題への意欲を失ったにもかかわらず、その日の再生率が過去最高を記録した件である。高橋はこれを「不快の上澄み」と説明したが、第三者は単に記録係が採点を2回していたのではないかと疑った。
後世の評価[編集]
戦後、安斎・高橋実験は教育心理学史の端に置かれたが、以降、環境調整型学習やコワーキング空間研究の文脈で再評価された。とくに、低温・静音・短時間課題の組み合わせが、注意の立ち上がりを促すという説明は、現在のの先駆的例として参照されることがある。
ただし、実験の細部には依然として不明な点が多い。たとえば、現存するノートの一冊には「氷を半斤」とだけ書かれており、これが机上の冷却剤を指すのか、あるいはの菓子屋で買った食料を指すのか判然としない。また、被験者名簿にの名前が混じっている頁があり、編集ミスか、あるいは当時の実験がすでに半ば寓話化していた可能性がある。
脚注[編集]
脚注
- ^ 安斎善之助・高橋澄子『冷机面と記憶定着の相関』教育実験学会誌 第4巻第2号, 1931, pp. 14-39.
- ^ 三浦キヨ『本郷実験室日誌』南山堂, 1933.
- ^ 小林忠「夜間再生における温度刺激の作用」『心理学研究』Vol. 8, No. 1, 1932, pp. 2-18.
- ^ Takahashi, S. and Anzai, Z. “On Desk Cooling and Verbal Recall” Journal of Applied Pedagogy Vol. 12, Issue 3, 1934, pp. 201-227.
- ^ 渡辺精一郎『都市騒音と暗誦の技法』岩波書店, 1936.
- ^ 高橋澄子「夢末尾効果について」『東京女子高等師範学校紀要』第21巻第4号, 1930, pp. 77-96.
- ^ James P. Halloway, “Thermal Friction in Learning Chambers” Educational Review Vol. 19, No. 4, 1935, pp. 88-109.
- ^ 西川辰吉『机が冷たいと覚える理由』博文館, 1938.
- ^ 安斎善之助「赤線訂正の心理的効用」『教育心理学月報』第2巻第9号, 1932, pp. 41-55.
- ^ Margaret A. Thornton, “The So-Called Ice Desk Method” Proceedings of the East Asia Institute of Learning Vol. 5, 1937, pp. 10-33.
外部リンク
- 日本教育実験史アーカイブ
- 本郷心理学資料室
- 昭和初期学習環境研究会
- 東京実験教育データベース
- 冷机法再検討プロジェクト