日本三大ナンプラー
| 分類 | 魚醤(発酵調味料)に属する国内俗称 |
|---|---|
| 成立の根拠 | 港湾衛生記録と発酵温度台帳の照合結果とされる |
| 選定時期 | 昭和初期の民間格付け(とされる) |
| 対象地域 | を中心とし、まで拡張したとされる |
| 主な製法 | 塩蔵熟成+樽発酵(温度制御が売りとされる) |
| 用途 | 刺身・漬け・鍋の隠し味など |
| 商標の扱い | 複数社の流通品を含む総称とされる |
日本三大ナンプラー(にほんさんだいなんぷらー)は、日本国内で消費されるとされる「魚醤」系調味料のうち、特に格付けが高いとされる3銘柄の総称である[1]。その選定は、明治期の港町で発達した発酵熟成文化と結びつき、後に「ナンプラー」呼称の流行により定着したとされる[2]。
概要[編集]
日本三大ナンプラーは、特定の製造者の実名を指すのではなく、発酵工程の「再現性」と「香気の立ち方」によって“格付け”された3系統の呼称であるとされる[1]。そのため、同一銘柄の派生品や地域限定流通品が混在することも、百科事典的にはしばしば問題化されたとされる。
選定の基準としては、(1)熟成槽の温度が一定範囲から逸脱した回数、(2)分離液の粘度指数、(3)官能評価における「魚臭が消えるまでの分数」が挙げられてきたとされる[3]。もっとも、後年に調査委員会が設置され「温度台帳の書式が3種類存在する」ことが指摘され、選定の厳密性は揺らいだとされる[4]。
また、呼称の理由は単純ではなく、明治末に輸入用調味料が到着した際、通関書類に「nampla(誤記)」が混入したことが転機になった、とする説が有力である[2]。一方で、最初から日本側で「ナンプラー」という音が“発酵の音”として受け入れられたのではないか、という見方もある[5]。
成り立ちと選定の仕組み[編集]
この総称は、港町での保存食競争が「衛生基準の達成競争」へと移行した結果、生まれたとされる[6]。具体的には、発酵中の事故が多かったため、の下部組織である(当時の正式名称:衛生醸造具検査司樽熟成監査室)が、熟成槽の温度記録と樽の木目検査を統一したとされる[7]。
その後、民間団体のが、温度台帳を「海水の月齢」と照合して“香気の出る日”を推定し、3系統に収束させたとされる[8]。このとき、各工場に「標準人」と呼ばれる官能評価者が派遣され、香りの変化をストップウォッチで測ったという逸話が伝えられてきた[9]。なお、測定時間は1銘柄につき「最大で32回」、合計で「96枚の記録紙」が揃わないと採点しないというルールだったとされる[10]。
ただし、後年の研究では、温度台帳のフォーマットだけでなく、測定時に使われたストップウォッチのメーカーがそろっていたことが示され、「評価のブレを減らしたのではなく、むしろ“ブレを同じ方向へ寄せた”可能性」が論じられている[11]。この議論は、少数ではあるが当時の監査官の筆跡差まで検討した点が奇妙であるとされる[4]。
一覧[編集]
以下では、日本三大ナンプラーとして語られる3系統を、選定理由に関する“口伝のエピソード”付きで列挙する。なお、各項目は実在銘柄の特定を目的とするものではなく、語り継がれた工程の特徴を中心にまとめたものであるとされる。
=== 瀬戸内系 ===
1. (1908年)- 高松市周縁の樽職人が考案したとされる系統であり、「塩の溶け方が海藻の色に似るまで」を基準にした点が特徴とされる[12]。初期の台帳には、熟成槽の縁にだけ微量の粉末香草が置かれた記録があるとされ、味の深みがそれに起因するのではないかと語られている[13]。
2. (1914年)- の造船所近くで普及したとされる系統であり、樽の内側に“亀甲模様の刻み”を入れることで発酵のムラを減らしたとされる[14]。面白い逸話として、監査の抜き打ち検査で模様が薄い樽が見つかった際、職人が「亀は急がない」と言って刻みを彫り直し、結果として香りが翌週に遅れて立った、とされる[15]。
3. (1922年)- 愛媛県で流通したとされ、樽から滴り落ちる分離液を「白波(しらなみ)」と呼んだことから命名されたとされる[16]。選定の決め手は、分離液の粘度指数が一定範囲(具体的には 0.72〜0.79)に収まるまで再加熱を繰り返したとされる点である[17]。なお、この“粘度の箱”が狭すぎて、職人の離職率が年18%に跳ねたとの記録もある[18]。
=== 日本海系の補足(準・三大) ===
4. (1929年)- 本来の三大には入らなかったとされるが、香気の立ち上がりが早い点で知られるとされる[19]。新潟県の倉庫で、塩蔵品を“霜の降りる時間帯”に合わせて移したという口伝がある[20]。ただし、早すぎる立ち上がりは後口の苦味につながるとして、正式採用が見送られたとされる[21]。
5. (1933年)- 酒田市の小規模工房に伝わるとされ、釜の温度制御が精密である代わりに、収量が通常の6割程度に落ちるとされる[22]。それでも「一滴で汁が立つ」評価を得ており、料理人向けの小瓶商売が続いたという[23]。
=== 呼称のゆらぎ(同名異工程) ===
6. (1941年)- 戦時統制で原材料の配合が変わり、青緑色の発酵液が出たことから広まった呼び名とされる[24]。とはいえ、色が出ても香気が戻らないロットが出たため、三大の系統とは切り分けられたとされる[25]。この“切り分け”をめぐって流通業者が度々争ったことが、当時の新聞の紙面からうかがえるとされる[26]。
7. (1956年)- 神奈川県で「黒い潮が出たら成功」と宣伝されたが、実際には樽材の炭化が早すぎたケースも混ざったとされる[27]。しかし、失敗ロットでも料理店では“味が締まった”と評価され、結果的に一部で根強い人気を得たとされる[28]。
8. (1963年)- 樽を吊るす際に赤い紐を使った工房があり、その視覚的わかりやすさから流行したとされる[29]。品質とは別の要素で呼称が広がった例として、後の格付けが「工程を見せる」方向へ進むきっかけになったとされる[30]。
9. (1971年)- フィルタリングの工程に工夫があり、鏡面に近い透明度が得られたとされる[31]。ただし透明度は“味の薄さ”と誤解されることもあり、販促では「透明=深い」と説明するパンフレットが作られたという[32]。
10. (1984年)- 1990年代前に一度ブームが訪れたとされ、分離液を落とす際に霧状に噴霧する“霧裂スプレー”が売りになったとされる[33]。農林水産省の衛生検査でも注目されたが、過剰噴霧による香気損失が問題化したとされる[34]。
11. (1999年)- 工程上は“鐘のように均一な加熱”を目標にしたが、実際には熱ムラが色むらになった、とされる[35]。それでも市場では「橙が香気のサイン」と誤認され、結果として“見た目で選ぶ時代”を象徴する存在になったとされる[36]。
12. (2012年)- いわゆる“クラフト発酵”の文脈で登場した呼称であり、発酵槽のふたに天文台の資料を転用した刻印(星座の輪郭)が使われたとされる[37]。なお、この刻印は実務的には不要だったとされ、宣伝目的だったのではないかと指摘されている[38]。
歴史[編集]
港湾衛生と「三大」への収束[編集]
「三大」という括りが成立した直接の契機として、1930年代初頭の強化が挙げられるとされる[39]。当時、魚醤は“香りが強い=危険”として誤解され、輸送中に苦情が相次いだとされる[40]。そこで検疫側は、嗅覚の強弱ではなく温度・粘度の数値で説明可能な枠組みを作ろうとし、その試行が結果として「三大」へ収束した、とする説がある[41]。
この過程では、熟成槽を“同じ高さの樽台に乗せる”という作業統一を行ったとされる[42]。高さは 1.2メートルという指定で、当時の測定器がメートル規格に対応していなかったため、現場では 4尺(ししゃく)と換算して運用されたとも書き残されている[43]。なお、この換算ミスが一度だけ“香気の遅れ”として表れ、以後の監査項目に組み込まれたという[10]。
流通革命と呼称の商業化[編集]
戦後になると、冷蔵物流が整備され「熟成の最後の一週間」を工場任せにできるようになったとされる[44]。しかし同時に、メーカー間の“売り”が目に見えにくい工程に移り、結果として官能評価の記録を公開する文化が広がったとされる[45]。
1960年代には、量販店が店頭で「どれが三大か」を求めたことが、三大呼称の商業化を押し上げたとされる[46]。そこでの下部委員会が、消費者向けに「味の順番」だけを示すパンフレットを作成した[47]。ただし、パンフレットでは実際の工程差が削られており、後に研究者から“誤学習を招いた”との批判が出たとされる[48]。
さらに、近年ではSNS上の映え需要が増え、色(透明度や発酵液の色)を重視する投稿が増えたとされる[49]。この傾向に対し、原則として工程の再現性こそが格付けの根拠だとする立場から、の元技官が「香りは嘘をつくが温度は嘘をつかない」とコメントしたとされる[50]。一方で、その元技官本人が「温度台帳の余白に星座を書いた」ことが後に見つかり、完全な信頼は得られていないとされる[37]。
批判と論争[編集]
日本三大ナンプラーは、格付けが“口伝”と“数値”の混合である点から、学術的には再現性が疑われてきた。特に、三大の3系統について「同じロット番号でも粘度指数が微妙に違う」事例が複数報告されたとされる[51]。その理由として、樽材の乾燥状態や、輸送中の揺れによる混合差が挙げられる一方で、当初の台帳が後から編集された可能性が指摘された[52]。
また、三大とされる銘柄が実際には互いに“工程が似すぎている”という批判もある。例えば、とで、熟成槽の温度逸脱回数が共に「年2回」という記録が存在するが、同じ値が揃い過ぎているとして不自然視された[53]。さらに、一部資料では 2回という数が「単純に好ましい数字だった」という注記付きで残っていたとされ、笑えるが重大な問題になり得る、と論じられた[11]。
加えて、呼称が“ナンプラー”という音に寄り過ぎたため、魚醤全般を同一視する誤解が生まれたとされる[54]。その結果、魚醤文化の多様性が見えにくくなったという社会的影響も指摘されている。もっとも、そうした批判とは別に、料理界では「三大」ブランドが調理の作法を統一し、教育コストを下げたという評価もあったとされる[55]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田中圭一『港町の発酵温度台帳:樽熟成監査室の記録』東海書房, 1968.
- ^ Margaret A. Thornton『Fermentation Audits and Sensory Timing』Routledge, 1977, pp. 41-63.
- ^ 高橋礼子『海潮調味連盟と「三大」認定の社会学』日本調味学会出版局, 1983, Vol. 12, No. 3, pp. 201-219.
- ^ 佐伯信之『誤記の通関書類が生んだ呼称:nampla問題の再検討』潮風印刷, 1991.
- ^ 林和宏『魚醤の粘度指数と再加熱履歴:白波系の分析』日本食品分析技術研究会, 2005, 第6巻第1号, pp. 88-96.
- ^ Satoshi Miyake『Barrel Wood Grain and Odor Consistency』Springer, 2010, Vol. 24, pp. 133-156.
- ^ 中島真澄『官能評価者の選定と「標準人」制度』食品史研究会, 2014, pp. 55-74.
- ^ 野村茂『霜裂スプレー技術の香気損失モデル』日本調味機械学会, 2018, 第9巻第4号, pp. 301-312.
- ^ Arthur B. Kline『Transparent Does Not Mean Mild: Color Metrics in Fermented Sauces』Oxford Food Science Press, 2021, pp. 12-29.
- ^ 鈴木弘毅『星座刻印と発酵槽:星縁ナンプラー周辺の民俗』青灯書林, 2023, pp. 90-112.
- ^ (微妙に不整合)李成勳『The Influence of Naval Quarantine on Fish Sauces in Late Meiji』Cambridge Papers, 1973, Vol. 3, pp. 1-20.
- ^ 渡辺精一郎『樽台の高さ1.2mに潜む誤差:4尺換算の系譜』明治資料研究所, 1959, pp. 77-81.
外部リンク
- 樽熟成監査室アーカイブ
- 海潮調味連盟デジタル資料室
- 港町発酵温度台帳コレクション
- 日本食品調味料協会 旧版パンフレット検索
- 粘度指数実験ノート(私設サイト)